Place Vendome

ヴァンドーム広場  (2000年9月)

キャメロン・クロウの新作「オールモスト・フェイマス (Almost Famous)」を見に行こうかどうか迷ったのだ。なんてったって評がいい。少なくとも「ベティ・サイズモア」と同じくらいは誉められてるだろう。「ザ・エージェント」以来の新作、確かにそそられる。しかし、私にとって気になる点が一つ。それは70年代を舞台にした映画であるということだ。私はどうもあのラッパ・ズボンが好きでない。70年代全般のファッションが好きではない。


何を隠そう自分もその年代にそういう格好をしていた。多感な時代といえば聞こえがいいが、今振り返って思うと単なる馬鹿だっただけだ。70年代を舞台にした映画というのはそういうのを一挙に思い出させてくれて、実に抵抗がある。まだ自分の過去を懐かしむというほど歳とってはないが、過去の失敗を反省できるほどは成長したということだと自分では思っている。どうなんだろう、普通の人って自分が10代の頃を思い出させてくれるものって恥ずかしくは感じないんだろうか。そういうわけで結局見に行ったのが、カトリーヌ・ドヌーヴ主演のスリラー、「ヴァンドーム広場」。やはり「オールモスト・フェイマス」を見に行く決心はつかなかった。多分もう見に行かないだろうな。


さて、「ヴァンドーム広場」であるが、実は今、ニューヨークでは「ヴァンドーム広場」と「ポーラX」のドヌーヴが出演している映画が2本公開中である。来週からはラース・フォン・トリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」も始まるから、計3本が同時公開することになる。今年は他にも「イースト-ウエスト (East-West)」、「タイム・リゲインド (Time Regained)」も公開したから、ドヌーヴ出演作が5本も公開するというドヌーヴの当たり年なのだ。その前に公開されたのが多分92年の「インドシナ」だったことを考えると、なぜ今頃こんなにドヌーヴ作品が公開されるのかよくわからないが、この「ヴァンドーム広場」は98年、「ポーラX」だって去年の作品だし、外国映画が不当に抑圧されるアメリカにあっては時にはこういうこともあるんだろう。


今回ドヌーヴが扮するのは、パリの著名なダイヤモンド・ディーラーの妻。夫はある筋から違法のダイヤを手に入れるが、結局同業者やギャングからのプレッシャーに潰されて、自殺してしまう。かつて自身もやり手のダイヤモンド・ディーラーだったマリアンヌ (ドヌーヴ) は、残されたダイヤを売りさばこうと奔走するが、そこに現れたのが、かつて愛したこともあるが、裏切った上に自分を捨てた男。マリアンヌは過去を清算するためにもまた男と会う決心をするが‥‥という展開。


1943年生まれのドヌーヴは、この映画を撮った時55歳というのがまったく嘘のように今もって若々しさを失っていない。ヌードになるわけではないが男との絡みはあり、その男に対して「一度私のパンティを脱がしたからといっていい気にならないで」と啖呵を切って様になる女優というのは、まあ多くはないだろうな。この手の役をアメリカ女優でもやれるのはせいぜい10 (20?) 年前のジーナ・ロウランズかローレン・バコールくらいだという気がする。シャロン・ストーンはあと20年は待たなくてはなるまい。それにしても60近くになる女優が現役ラヴ・シーンを演じても違和感のない作品を製作してしまうフランスという国はおそろしい。相手の男がはげの中年で、それでも平気でラヴ・シーンをやらせてしまうというフランスという国は、やはりおそろしい。この国の人間は猫も杓子も恋の駆け引き以外考えることはないのであろうか。


しかしドヌーヴって非常にうまく歳とっているよなという感じがする。リアルタイムで見たわけではないのだが、やはり私がドヌーヴと聞いてすぐ思い出すのは、ロマン・ポランスキーの「反撥」、ルイス・ブニュエルの「昼顔」なのであるが、あの時はほとんど白痴的美女であったのが、今では知的女優の代表である。時代は変わる。「昼顔」で思い出したが、一昨年、ニューヨークでは退色したフィルムに修復処理を施した「昼顔」のニュー・プリント版が公開された。なんでもマーティン・スコセッシがほとんど私費を投じて修復したらしいが、今回、ドヌーヴのインタヴューを読んでいたら、今最も一緒に仕事してみたい監督の一人がスコセッシだと答えていた。スコセッシとドヌーヴ、実現したら必見の作品になることだけは間違いなさそうだ。是非実現してもらいたい。


「ヴァンドーム」で昔のドヌーヴにそっくりのキャリア指向でありながら、同じ男に騙され、ドヌーヴと同じように道を誤るという設定の宝石店店員に、エマニュエル・セニエが扮している(私はこれまで英語読みでシーグナー(Seigner)と言っていたら、日本ではちゃんと現地読みを採用してセニエというらしい)。セニエは映画の中で、ドヌーヴの若い頃というのも演じている。結構似た雰囲気を持っていて、セニエが若いドヌーヴというのも納得できる。実はこのセニエ、「反撥」でドヌーヴをスターダムに押し上げたポランスキーの現在の妻なんだな。昔「反撥」でドヌーヴ、今はセニエを使って「ナインス・ゲイト」と、似たような雰囲気を持つ女優を使ってのホラーか。ポランスキーって、結局趣味は変わらないようだ。でも「反撥」は傑作だった。世の中にホラーは星の数ほどあれど、本当に背筋が冷えるような怖さを与えてくれる「反撥」を超える作品にはほとんどお目にかかったことはない。


少し話が脱線したが、結局この映画はドヌーヴに始まりドヌーヴに終わる。その他の俳優もヨーロッパならではか、皆それなりに雰囲気を持っていて楽しんだが、脚本も演出もドヌーヴの周りを回っているから、とにかくドヌーヴを見るしかない。もちろんそれはそれでいいし別に文句をつける筋合いもないんだが、実は映画を見てる途中で私が夢想しだしたのが、今、カサヴェテスみたいな監督が生きていて、ドヌーヴを使って「グロリア」みたいな映画を作ったらさぞ格好いい映画ができただろうなということ。シャロン・ストーンの「グロリア」なんて最初から見る気がしなかったけど、ドヌーヴの「グロリア」なら絵になっただろうにと思えてしょうがない。誰かドヌーヴを使ってああいう一匹狼的な主人公を作成してくれないだろうか。絶対面白いものができるに違いないと思うのだが。シリーズ化も可です。






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