Phantom Thread


ファントム・スレッド  (2018年1月)

ポール・トーマス・アンダーソンが「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド (There Will Be Blood)」のダニエル・デイ-ルイスと再び組んで撮った作品は、1950年代のロンドンを舞台とする作品だ。特にアンダーソン作品に肩入れしているわけではないが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」に圧倒された身としては、内容に関係なく、とにかく劇場に足を運ぶ。 

  

今回デイ-ルイスが演じるのは、1950年代ロンドンの、成功したファッション・デザイナーのレイノルズだ。いついかなる時も髪には櫛を入れ髭をあたり、一部の隙もない服に身を包んでいる。幼い頃から培った成功の美学哲学は頑として揺るがず、常に身を律し、精進を弛まない。 

  

そんなレイノルズが、ある時ひょんなことから訪れたレストランのウエイトの女性アルマを一目で気に入る。最初はがさつとも言える挙措振る舞いのために逆に目に止まったのだが、そういう自分とは真逆のものを持っているアルマは、レイノルズのミューズとして機能し、二人は一緒に生活を始める。 

 

当初は順風満帆だったものが、しかし時間が経つに連れて段々うまく行かなくなる。そういうもんだろう。どこの世界でもよくある話で、最初は自分が持ってないものを持っている相手に惹かれるが、惚れると暮らすはまったく別問題で、恋愛を楽しんでいる時は新しい発見があって毎日が新鮮だが、生活に必要なのは安定だったりする。仕事に必要なのは燃える感情ではなく、冷静な日々の精進なのだ。 

 

アルマの参入によって、その生活が一変する。これでは集中して仕事ができない。彼女を自分の生活に導き入れたのは失敗だった。それなのにお得意様のベルギーの王女の結婚式が間近に迫っている。レイノルズは仕事に集中しようとし、アルマは自分がないがしろにされるのが気に入らない。私は添えものでも除け者でもなく、レイノルズに必要とされたいのだ。アルマは一計を案じる。それはレイノルズに毒キノコを食べさせるというものだった。弱ったレイノルズはきっと私を頼ってくるに違いない。 

 

その目論見は見事に成功する。毒キノコのために身体の弱ったレイノルズは、倒れた拍子にほぼでき上がっていたドレスをダメにしてしまう。アルマは、レイノルズが臥せっている間に縫い子たちと共に寝る暇を惜しんでドレスを縫い直す。ベッドからやっとのことで起き上がって自分がダメにしたはずのドレスがまた見事に仕立て直されているのを見たレイノルズは、感動してアルマにプロポーズする。しかしそれもまた、一時の高揚した精神状態での突発的な行動に過ぎなかった。新婚旅行先の雪山のホテルで、レイノルズは既にデリカシーのないアルマの言動に幻滅し始めている自分を発見する。二人の間にまた溝ができ始める‥‥ 

  

 

(以下ネタバレ) 

再び溝のでき始めた二人の関係を修復するために、アルマはまた毒キノコを使おうとする。同じ手がまた通用するものだろうか。しかも今度は堂々と、レイノルズが見ている前で、毒キノコを使って料理する。果たしてレイノルズは、アルマが使っているものが毒キノコということを知っているのか。そのように見える。レイノルズはアルマが自分に毒を食わせようとしているのを承知の上で、それを口にする。それがレイノルズのアルマに対する愛の証なのだ。 

 

人の感情というのは不思議なもので、好きだからこそ、愛しているからこそ虐めたり苦しめたり、あるいは自ら率先して苦しめられようとしたりする。そしてどうやらそれが非常にうまく行く場合もある。レイノルズはたぶん、最初にアルマから毒キノコを食べさせられた時は、それとは気づいていない。しかし2番目に毒キノコが出てきた時、すべてを悟る。アルマは前回も毒キノコを自分に供し、そしてまた同じことをしようとしている。 

 

しかし彼女が自分を憎んで殺そうとしているわけではないこともわかる。そうなら最初から致死量の毒キノコを出してくるか、そうでなくともあれほど必死にウェディング・ドレスを仕立て直すこともなかったはずだ。すべては自分を愛するあまり、自分の注意を惹こうとしての行動だった。知性より本能で行動するアルマだが、それだからこそそのことがすべてを理知的に律するレイノルズの心を鷲掴みにする。 

 

‥‥という風に私は理解したのだが、もしかしたらそうではないかもしれない。もしかしたらレイノルズは本当に何も知らないまま再度毒キノコを食べ、そしてまたアルマへの愛を確認したのかもしれない。私には預かりしれない心の針の振れ方をしたのかもしれない。いずれにしてもまた毒キノコを調理し、それを皿に盛ってレイノルズに供し、果たしてレイノルズがそれを食べるのか、彼は気づいているのかいないのかという辺りのテンションは、なまじっかのサスペンス・ミステリよりよほど緊張させる。気づいていたにせよいないにせよ、どっちにもとれ、どっちにしてもその結果を納得させるデイ-ルイスの演技力にはあいも変わらず感心させられ、それを愛情深く? 見つめるクリープスもすごい。 

 

それにしてもデイ-ルイスは、アメリカ南部の頑固で無骨な男だけではなく、50年代ロンドンの上流階級の男を演じさせてもよく似合う。「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」に続き、デイ-ルイス - アンダーソンのコンビって最強だなと思わざるを得ない。 

  

また、自身は日影に徹してレイノルズを支える姉のシリルに扮するレスリー・マンヴィルもいい。滅多に表に出てこないが、はっとして気づくと実はとても怖い敵なんじゃないかという感じがよく出ている。アルフレッド・ヒッチコックの「レベッカ (Rebecca)」のダンヴァース夫人 (ジュディス・アンダーソン) みたいだ。 











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1950年代ロンドン。レイノルズ (ダニエル・デイ−ルイス) は成功したデザイナーだったが、非常に神経質で完璧主義で気難しい人間だった。仕事に関しては姉のシリル (レスリー・マンヴィル) が管理していたが、プライヴェイトでは誰と付き合っても長続きしなかった。ある時海沿いの町を訪れ食事をしたレイノルズは、そこでウエイトをしていたアルマ (ヴィッキー・クリープス) に興味を惹かれ、デートに誘う。そそっかしく粗野な面もあるアルマだったが、レイノルズと気が合い、アルマは引っ越してきて一緒に住むようになる。アルマにはビジネス的な才覚もあり、当初二人はとてもうまく行っていたが、徐々にレイノルズはアルマの粗野な点がいちいち気にかかるようになる。一方アルマは段々冷たくなって行くレイノルズの気持ちを自分に向けようと努力するが、それは逆効果でしかなかった‥‥ 


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