Peter and the Wolf ピーター・アンド・ザ・ウルフ

ピーターとおおかみ/ピーターとオオカミ/ピーターと狼

放送局: PBS

プレミア放送日: 3/26/2008 (Wed) 20:00-21:00

製作: ブレイクスルー・フィルムス、セ・マ・フォー・ステュディオス、チャンネル・フォー

製作総指揮: ラース・ヘルバスト、サイモン・オルスワン

製作: アラン・デューハースト、ヒュー・ウェルチマン

脚本/監督: スージー・テンプルトン

原作/音楽: セルゲイ・プロコフィエフ

演奏: フィルハーモニア・オーケストラ

撮影: ミコライ・ヤロセヴィッチ

美術: マレク・スクロベッキ、ジェイン・モートン


物語: 町はずれの森の中の一軒家に気難し屋の祖父と一緒に住むピーターは一人ぼっちで、たまに町に出ると町の少年たちにいじめられる。たった一人の友達と言えるのはアヒルだけだったが、出入りを禁止されていた森にそのアヒルと一緒に出かけたのを祖父に見つかり、罰として家の中に閉じ込められる。その好機にアヒルを虎視眈々と狙っていたオオカミがピーターの目の前でアヒルを食べてしまう。オオカミに復讐を誓ったピーターは罠を仕掛けて首尾よくオオカミを生け捕りにすることに成功する。しかし檻に入れて町に連れてきたオオカミが町の少年にいじめられるのを見たピーターは、檻を開けてオオカミを逃がしてやるのだった。


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「ピーターとオオカミ」は、今年のアカデミー賞短編アニメーション部門賞を獲得した作品だ。実は私は最近はほとんどアニメーションは見ないのだが、ごく一般的なディズニーや日本のアニメとは異なり、作り手の特色が前面に出てきて実験色の強い短編アニメーションは、今でもインディ映画専門のIFCやサンダンス・チャンネル等でやっていると見ていたりする。というか、アニメーションの本当の面白さは短編にこそあると私は思っているのだが、いかんせんそういう作品は劇場で見る機会はない。


そんなわけでアカデミー賞でも、アニメーションは商業色の強い長編ではなく、いつも短編の方に興味を惹かれる。授賞式中継では一瞬しか紹介されないわけだが、それでも長編よりも多岐にわたる試みが行われているのが一瞥しただけで見てとれ、興味をそそる。今年のアカデミー賞では「ピーターとオオカミ」と「マダム・トゥトリ-プトリ (Madame Tutli-Putli)」の2本が、人形をこしらえ、それを一コマ一コマずつ撮影するいわゆるクレイメーションで撮られており、面白そうだなと思っていた (「Meme les pigeons vont au paradis (Even Pigeons Go To Heaven)」もそれっぽいように見えたが、クレイメーションかどうかは確信がもてなかった。) 結局受賞したのは「ピーターとオオカミ」で、今回公共放送のPBSが放送したのを、これ幸いとばかりに見た。


「ピーターとオオカミ」は、セルゲイ・プロコフィエフの子供向けの同名楽曲をクレイメーション化したものだ。世界的に有名な作品だから、タイトルくらいは誰だって聞いたことがあるだろうし、曲を知らないという者でも、冒頭の有名な出だしを聴けば、あああれかとすぐ合点が行くだろう。曲と一緒にストーリーがあり、オーボエ、クラリネット、フルート、ホルン等の楽器が、登場する動物たちのパートを受け持つなどの技巧も楽しい。


とはいえ別にクラシックに特に親しんできたわけではない私は詳しいストーリーを知っていたわけではなく、今回初めてその内容を知った。今回のクレイメーション版「ピーターとオオカミ」では、冒頭からしばらくは音楽がなく、山の中で気難し屋の祖父と一緒に鬱々として暮らしている少年ピーターの日常がしばらく描かれる。外は吹雪が吹き荒れる冬。山の中とてピーターにはアヒル以外友達と呼べるものもなく、たまにお使いがてら町に出ると、町の少年にいじめられる。悔しさで泣きながら膝を抱えてうずくまるピーター。


そこに一羽の鳥が降りてくる。怪我をしたのかうまく飛べない鳥は、ピーターが持っていた風船を自分の身体にくくりつけてやると、その浮力を利用してなんとか塀の外へと飛び立っていった。それを見たピーターは、寝ている祖父の枕元から裏の森に出るドアの鍵を手に入れ、禁を犯してドアを開け森の世界に一歩踏み出す。そこで初めて、あの有名な旋律が鳴り響く。そうだった。これは元はといえば音楽作品なのであったと思い出す。


氷の張った池のそばでアヒルや鳥としばしの自由を満喫するピーターだったが、そこへピーターがいないことに気づいた祖父がやってきて、ピーターをまた家の中に監禁する。そこへオオカミが現れ、格好の獲物であるアヒルを物色する。覗き窓から外を見てアヒルの危機に気づき、なんとかしようとするピーターだったが、その目の前でアヒルはオオカミの餌食となってしまう。町に出てはいじめられ、今また唯一の友達と言えるアヒルを失ったピーターは、オオカミに復讐を誓う。塀をよじ登りまた外に出たピーターは、苦心の末、オオカミの生け捕りに成功する。


祖父は生け捕りにされたオオカミを見て、最初は猟銃で撃とうとするが、ピーターに止められ、二人はオオカミを檻に入れ、車で牽引して町に売りに来る。オオカミを捕らえたことで得意満面なピーターだったが、ふと素面に帰ってみると、このオオカミは結局売られて肉屋で解体されるか、あるいはサーカスの見世物になるくらいしかなかった。ピーターをいじめた町の少年が今度はオオカミにまでちょっかい出すのを見たピーターは、檻の錠前を外し、オオカミを外に出してやる。オオカミはピーターに一瞥をくれると、振り返ってまた自分の住む森の世界へと帰っていくのだった。


なんといっても、30分の作品でありながら製作に5年かかったというその忍耐に基づく造形が圧巻である。細かい点までおろそかにせず、よくこんなに細かい動きまで再現したよなと思わせる。番組は1時間枠で放送され、あとの30分で監督のスージー・テンプルトンや関係者に製作に関する話を訊いているのだが、聞いていると、ほとんど執念とすら言える忍耐力、集中力で作品を完成させたことがわかる。クレイメーションなのだ。一コマ撮り、ちょっとだけ模型を動かしてまた一コマ撮る。時にはシーンのかなりの部分を時間をかけてちょっとだけずらし、もしかしたら30分かかった挙げ句、24分の1秒の一コマを撮っただけでまた次の一コマを撮る準備に30分かかるかもしれない。5年かかったというのも納得できる。


いかにもロウ・テクという印象のあるクレイメーションだが、実は例えば空を飛ぶ鳥とかはどうしてもなんかで支えざるを得ないから、ピアノ線で吊り下げたりして後でデジタル処理でそれを消しているそうで、結局作品のほとんどでなんらかのデジタル処理がされているそうだ。


また、冒頭で状況を説明した後、いったん音楽が始まると、あとは物語の方を音楽に追随させざるを得ない。音楽の長さは変えるわけにはいかないから当然だ。その音楽においては楽器が特定の動物を担当しており、ある場面でその楽器が使用されると、画面もそれに合わせて物語を展開する。画面を後付したとは到底思えないスムーズな絵作り、ストーリー展開にもこれまた感心する。


しかし本当に感心し、実際にこの作品の核となっているのは、やはりピーターの造形だろう。山の中の一軒家で祖父に育てられ、友達のいないピーターは、町に出るといじめられるため、無口で下を向いて歩く。可愛いと思う女の子がいても、むろん声なんかかけられないし、結局は乱暴者に見つかっていじめられ、ゴミ箱の中に叩き込まれる。家に帰って膝を抱えてうずくまるピーター。その目から悔し涙が流れる。その、内にこもって思いつめるピーターの表情が、天才子役のフレディ・ハイモアでもかくやと思えるほど真に迫った鬱勃としたものを感じさせる。人形だろ、あんた。


そのシーンだけでなく、たった一人 (一匹) の友達であったアヒルが無情にもピーターの目の前でオオカミにやられた時も、当然音楽だけでセリフ自体は一言もないわけだが、復讐を決心したピーターの上目遣いの暗い目と心がびんびんに響く。ピーターにアカデミー主演男優賞を上げたいくらいだ。


一方でオオカミ以外の動物たちが醸すユーモアのテイストも、なかなかわさびが効いててうまい。特に笑いをとるのが祖父のお抱えのネコなのだが、こいつがまた憎たらしくてよくできている。それにしても池に落ちたそのネコが身体を振って水を弾き飛ばすシーンなんて、本当によくできている。ここも当然CGの助けを借りているだろうが、しかしうまいもんだ。


いずれにしても、暗い情念を内側に抱え込むピーターが主役のこの作品は、プロコフィエフの意に反して、子供向きとは言いかねる気がする。あるいはプロコフィエフ自身、こんなに負の感情やベクトルが強い作品ができるとは思ってもいなかったかもしれない。その点はテンプルトンが責任を負うべきものだろう。しかし、結局人生は思うに任せないものだ。いじめられようと最愛のペットや友人がいなくなろうと、それで人生は終わりではないし世界は続いていく。


友人と言える存在のアヒルを奪ったオオカミに復讐を果たそうにも、それでアヒルが生き返ってくるわけではなし、また、オオカミにしたってアヒルを食わなければ自分が飢え死にするかも知れず、弱肉強食の世界では強いものが弱いものを餌にするのは当然だ。オオカミはオオカミとして当たり前のことをしたまでであって、責められる筋合いはない。しかし、そのオオカミを人間がいじめるのは話が別だ。町の乱暴者の少年が捕らえられたオオカミを小突き回すの見た瞬間に、ピーターはそのことを悟る。


この瞬間にピーターは少年時代に決別し、大人への第一歩を踏み出したのだ。既にピーターの目にはいじめっ子の姿なんか入っていない。もはやどうでもいいだけの存在だ。ピーターは世の中には不条理というのが存在し、生きていく限りそのことと相対しながらなんとか辻褄をつけて生きていくしかないということを知る。ピーターと心を通わせることのできるのは町の暴力少年やわからずやの祖父ではなく、実はオオカミだったのだ。最後、ピーターとオオカミはひと時の間一緒に歩くと、オオカミはピーターを残して町の外へと去っていく。ああ、なんでパペットがこんなに雄弁に物語を演じることができるのか。







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ピーターとオオカミ   ★★★1/2

 
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