Pearl Harbor

パール・ハーバー  (2001年6月)

ついに決心をして「パール・ハーバー」を見に行く。公開直前からのディズニーのこれでもかの宣伝攻勢で、やたらとTVコマーシャルを見せられたおかげで食傷気味になっており、今週見なかったらもう見ないというのがわかりきっていたので、重い腰を上げて劇場に行く。本心から見たいと思っているのではなく、見ておかないとまずいだろうなあという感じで劇場に足を運ぶことなど、本当なら私もやりたくないんだが。


しかし、この映画、懸念点が多過ぎるよ。まず、3時間という長さ。本当に退屈させないで3時間引っ張っていけるのか。3時間ずっとアクションばっかりというわけにも行くまい。そのために主演のベン・アフレックとケイト・ベッキンセイルの恋愛ものとしても伏線が張ってあるわけだが、そこでもまた、アフレックを使用しての恋愛もの? と首を傾げざるを得ない。ベッキンセイルはともかく、人々がアフレック主演の恋愛ドラマに期待していないことなんか、サンドラ・ブロックと共演した「恋は嵐のように (Forces of Nature)」、グウィネス・パルトロウと共演の「偶然の恋人 (Bounce)」と、アフレック主演の恋愛ものが続けて大ごけしたことからでもはっきりわかる。誰も彼に演技なんて求めてないのだ。


その上、監督のマイケル・ベイにもドラマの演出なんてまったく期待できないのは、「ロック」や「アルマゲドン」が証明している。その辺をごまかすために、また「アルマゲドン」同様ひっきりなしのうるさい音楽が鳴りっぱなしだったら、今度こそ本当につんぼになってしまう。本気で耳栓を持って劇場に行こうかと思案する。なんでこの映画はこんなに人の期待をくじくような要素が多いんだ。


日本人を完全に悪者として描いてあったらどうしよう、なんて不安が一部ではあったようだが、市場としても大きい日本で公開することも考えないといけないから、単純に日本軍を悪者としては描くことはないだろうというのはわかりきっていた。もちろん作品としては敵役も必要だから、善人として描いているわけでもないが。それでもアメリカにいる日本人は肩身が狭くなるかも、という意見もあったが、少なくとも人種のるつぼであるニューヨークでそんなこと気にする奴なんていない。たかだか娯楽作品に影響されて今さら戦争責任がどうこうと言い出すようなナイーヴな奴は、ニューヨークには住めないでしょう。


不安だらけの「パール・ハーバー」だったが、しかしいったん見始めると、テンポが速く次々とシーンが変わることもあって、退屈しない。少なくともこれは○である。3時間だからね。これで退屈だと思い始めたら拷問だよ。もうひとつよかったのが、日本軍による真珠湾奇襲がクライマックスだとばかり思っていたのが、そうではなく、この空襲は映画の半分過ぎで起こり、これに対する米軍の逆襲がもう一つのクライマックスとして最後に置かれているために、大きなアクションが途中と最後と2回にわたってあることだ。この構成はよかった。おかげで退屈する暇がなかった。


戦争アクション、しかも奇襲ものということで、もちろん本当の見せ場は日本軍が進軍を開始するところにあるのだが、その辺りの演出は興奮させてくれ、満足のできるでき。朝まだき、いつものように何事もない普通の一日を始めようとしているハワイ。ベイスボールに興じる子供たちや洗濯物を干している主婦のすぐ後方を、大編隊を組んだ日の丸飛行隊が低空で通過していく。そうです、これが見たかった! こんな朝早くから子供たちが外で遊んでいたり、既に洗濯が終わっている主婦なんていない、とする意見もあったようだが、そんなのは私は気にしない。要は視覚的に興奮させてくれればそれでいいのだ。


しかも、いつでも騒がしくうるさい米軍とは対極的に、静かにその時間を待つ日本軍というのは、主役としての米軍よりも印象的であった。それほど出番があるわけでもないのに、はっきり言って主役の米軍より日本軍の方が格好よかった。私はあの鉢巻きって奴はあまり好きじゃないんだが、少なくともこの映画の中では、玉砕覚悟のパイロットが額に巻く鉢巻きは印象的だった。実は「パール・ハーバー」では、真珠湾奇襲に対する報復攻撃として米軍パイロットによる決死の東京空襲の作戦が立てられるのだが、彼らが乗る爆撃機には帰りの分の燃料が積まれていない。言わば捨て身の日の丸飛行隊のお株を米軍パイロットが奪ってしまうのだが、こういう自決覚悟のサムライ精神のようなやつは、結構万人にアピールするんだなと思ってしまった。考えたら「アルマゲドン」もまったくそれだったし。


しかしいずれにしても、これって現実では何年か後になるはずの東京大空襲とごっちゃになっていて、その上、ほとんど東京が壊滅するような印象を与えるような攻撃をたった数機でやってのけるのだ。面食らうよなあ。とにかく負けたままでは納まらないアメリカ魂を目の当たりにしたような気がする。かといって、これが広島長崎に原爆で終わりだと、正義にはならないというのを充分意識してのことだろう。しかし、それにしてもそこまで歴史を歪曲していいのか。


まあ、アクション・シーンはともかく、やっぱりアフレックが主体となるドラマ部分はあれが限界か。ちょっとその部分のネタをばらしてしまうと、アフレック扮する主人公のレイフは、ベッキンセイル扮するイヴリンと恋仲になるのだが、レイフは志願パイロットとして派遣されたヨーロッパ戦線で撃墜され、戦死の公報が届く。もちろんそれは間違いでレイフは生きているのだが、レイフの戦死を信じたイヴリンはレイフの親友のデニー (ジョッシュ・ハートネット) とできてしまい、実は生きていて帰ってきたレイフを交えての三角関係になる。とにかく、そういうわけで中盤、アフレックの出番がめっきり減る。これがよかった。アクション以外の部分でアフレックの出番を減らすのは、とにかく正解だ。


アフレックは演技もできないくせにアクション大作になると必ず顔を出すという、往年のチャールトン・ヘストンのような役回りが板につきつつある。それが定着してしまうなら、それはそれで別に構わない。ヘストンだって大根と思いつつも、ハリウッド大作が製作されるのにそれに出ていないと、なんとなくヘストンが出ていないので寂しいといつの間にやら思わせるようになった。そういうのもありだとは思うから、別にアフレックを起用する映画自体に反対するわけではないが、でも、やっぱり彼の顔のアップばかり見たいという気にはさせてくれないよなあ。ヘストンで思い出したが、アフレックはティム・バートンが演出する「猿の惑星」のリメイクにこそ出るべきではなかったのか。


また、「パール・ハーバー」ではアフレックが泣くシーンがやたらと多い。これまで製作されてきた戦争映画で、主人公の軍人がここまで泣きまくる映画は史上初だろう。三角関係に泣き、友人の戦死に泣き、おまえ、軍人としてここまで泣きじゃくって恥ずかしくないのかとすら思ってしまうくらいよく泣く。しかも、めそめそ泣くくせに、ちっとも見てるこちらに感情移入させてくれない。あれだけ泣いてちっとも観客の同情を買えないというのも史上初だろう。アフレックが往年のヘストンの位置に納まるまでには、まだもうちょっと時間がかかりそうだ。


あと、最後にもう一つ不満を言わせてもらうと、キューバ・グッディンJr. を起用しての人種問題の描き方はまったく失敗だった。不要であっただけでなく、逆にまったく焦点をぼかすだけの働きしかしていない。彼が出てくるシーンはすべて取っ払った方が作品としては締まるだろう。どうせこの映画で黒人が主要な働きをすることなんか誰も期待していないんだから、余計なことは最初からしなければよかったのに。でも、出さなければ出さないで今度は黒人からなんかの声が上がることを怖れたのか。いずれにしても、やっと懸案の「パール・ハーバー」を見て、これで義務を果たしたという感じだ。とにかくこれで来週は心置きなく「ムーラン・ルージュ」を見に行ける。「ムーラン・ルージュ」は3時間であったとしても全然気にならないんだが。







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