Pay It Forward

ペイ・フォワード 可能の王国  (2000年10月)

キャサリーン・ライアン・ハイドの1999年発表の同名原作を、ミミ・レダー監督、ケヴィン・スペイシー、ヘレン・ハント、ヘイリー・ジョエル・オスメント主演で映画化。アクション映画の監督と思っていたレダーはともかく、この演技陣はそそるものがある。因みにオリジナル・タイトルの「ペイ・イット・フォワード (pay it forward)」とは、主人公の一人、オスメント演じるトレヴァーが考え出した社会運動のこと。英語では決まり文句である「ペイ・イット・バック (pay it back)」の対として使われている。「ペイ・イット・バック」とは、何かしてもらったらその人にお礼をお返しするということだが、「仕返しをする」的な、あまりいい意味では使われない場合も多い。これに対して前向きに善行を拡げる運動が、「ペイ・イット・フォワード」であるわけだ。


セヴンス・グレイド(中1)になったトレヴァー(オスメント)は、社会(ソーシャル・スタディ)の最初の授業でシモネット先生(スペイシー)から与えられた課題を真剣に考える。それは社会をよりよく変えていくために何をすべきかということを1年かけて考えるものだった。トレヴァーが考えたことは、一人が3人に対して善行を施していけば、巡り巡って世界は住みよい世界になるというものだった。トレヴァーはホームレスのクリス、アル中でありながらも家計を支えるために二つの仕事を抱えて働く母のアーリーン(ハント)を何とかして手助けできないものかと幼いなりに知恵を絞る。しかしもちろん、世界はトレヴァーの考えた風には進まず、トレヴァーは自分の考えの浅はかさを知る‥‥


先週、ラース・フォン・トリアーの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見て衝撃を受けた後だったので、こういう、監督が先走るタイプではない、練られた脚本と安定した演技で見せるタイプの映画は、リハビリに最適だった。それにしてもレダーはアクション一辺倒の監督かとばかり思っていたら、そうでもなかったようだ。元々レダーはTV界出身。TV映画の演出が多く、「ER」とかも演出している。映画進出はジョージ・クルーニーとニコール・キッドマンが主演した「ピースメイカー」から。しかし「ピースメイカー」は予告編を見ただけであんまり面白くなさそうと思い、「ディープ・インパクト」もマンハッタンが津波にのまれる本人の演出とはほとんど関係のないCG以外は大したことなかった。はっきりと下らなかったと断言してしまってもいい。まあ、そういう脚本だったんだろうからしょうがないと言えばしょうがないだろうが、おかげで私の頭の中ではレダー=2流のアクション監督くらいのイメージしかなかった。


それがこういうしっとりとした佳作を撮ってしまうんだから驚いてしまう。主演の3人の演技力に助けられた部分も大きいとは思うが、なかなかやる。スペイシー、ハント、オスメントは、私はこの順に素晴らしいと思った。特にスペイシーは、もう、言うことない。顔に爛れた傷跡のある、決して自分の内面を他人には見せないタイプの人物を演じているわけだが、この人が演じると何をやっても独特の説得力を持ち、存在感が出てくる。この年代で今、彼の右に出る役者はいないだろう。


対するハントは、夫に逃げられた子持ちのアル中で、生活を支えるために働きずくめという、なんでも「恋愛小説家」でやった役と似たような役らしい。らしいというのは、私は「恋愛小説家」を見てなくてこれでハントがどういう役柄だったのかよくわからないからだが、ハントはともかく、恋愛ものでハッピーエンドで終わるような映画に出るジャック・ニコルソンは見たくなかったのだ。ま、そのことはともかく、ここでのハントは中年に足の差しかかった化粧のケバいおばさん、といった感じの役柄。徹底的にブスいメイクで、ああもったいない。でも、それで顔はケバくても心は錦、的な面を強調しているわけだ。


オスメントは、実は私は巷で絶賛されているほど彼のことを買っているわけではない。確かにうまいことはうまいんだろうが、演技のうまいガキってなんとなく信用できないような気がするのは私だけか。いずれにしても彼の真価が定まるのはこれからだろう。脇でアンジー・ディッキンソンと「フリークエンシー」のジェイムス・カヴィーゼルがホームレス役で出ている。ディッキンソンは私は「殺しのドレス」くらいしか知らないのだが、昔に較べて大分肉がついた。


カヴィーゼルは、ホームレスにしては少し綺麗すぎるという気がした。そこそこ汚くはしているのだが、本当のホームレスって、本当に汚くて臭うのだ。そういった感じはなかったと言っていい。肉食人種の体臭ってきついぞ。冬、ニューヨークのサブウェイに乗ると、時々一車両全体を一人のホームレスが占領していることがある。車内の臭いに耐えられなくて、誰も同じ車両に乗れないのだ。たとえ差別とか言われようとも、私は街角でホームレスを擦れ違うと、反射的に息を止める癖がついている。画面からそういうリアリティは伝わってこなかった。他に、ハントの前夫役としてジョン・ボン・ジョヴィがちょい役ながら出ており、また、昨年短命に終わったFOXのシットコム「アクション」で主演していたジェイ・モーアが、ジャーナリスト役で出演している。


原作は、実はスペイシーがやった教師は黒人として設定されている。映画では顔に火傷の痕を負っているというのが目に見える唯一の大きな傷跡だが (それでも充分視覚的に強力である)、原作では傷痕はさらに酷いものとして描かれている上に、片目の男として設定されているそうだ。つまり、原作では人種問題が第一義で描かれていることに対し、映画ではヒューマニズムが前面に押し出されている。もちろん原作と映画は別物だから、意識的なこの変更に対し別に言うことはないのだが、原作では黒人が主人公と聞くと、どうしても、では、だったら誰がやったらよかったろうかと考えてしまう。一番最初に頭に浮かぶのはデンゼル・ワシントンだが、彼だとハンサム過ぎるかも知れない。ローレンス・フィッシュバーンなんてどうだろう。ちょっときつすぎるだろうか。いずれにしてもスペイシーの主人公を見た後では、黒人だろうが白人だろうが他の配役を考えるのはちょっと難しい。


この映画、内容といい、公開時期といい、オスカー戦線を睨んでいるのがありあり。昨年の、やはりスペイシーが主演した「アメリカン・ビューティ」がまさしくこの時期に公開された。でも、これを見るとスペイシーがまたとったとしても誰も文句は言えないだろう。本当にすごい役者だな。「アメリカン・ビューティ」と言えば、「ペイ・イット・フォワード」も同様にピアノを使った不協和音的な音楽を使用している。私はこういう音楽の使い方が結構好きである。


批評家からもわりと誉められている「ペイ・イット・フォワード」であるが、「定石的」という意見も目についた。これもわからないではない。ところどころうまく虚を突いてくれるとはいえ、ある程度予想通りに物語は進んでいくのだ。しかし、物語なんて定石を踏まずにいられるというのはほとんど不可能なことだと思えるし、私はその点はあまり気にしていない。私が一番気になったのは、ラスト・シーンである。実はこれがまったく「フィールド・オブ・ドリームス」なのだ。これは‥‥と私は絶句してしまった。いや、確かに効果あるんだけどね。ここまで同じにしていいのか。それともこれしかないと思ったのか。もしかしたら脚本のレスリー・ディクソンとレダーは「フィールド・オブ・ドリームス」を見ていないのかも知れないし、見てこれはいい、使えると思ったのかも知れない。でも私は呆気にとられたよ。いずれにしても二番煎じの感は拭えないし、この点だけはちょっと気になった。






< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system