Past Life


パスト・ライフ  (2017年6月)

歌好きなので予告編で合唱のシーンがあるのと、戦争を引きずったミステリ・タッチのドラマらしいので、「パスト・ライフ」を見に行く。タイトルからすると、もしかしてタイム・トラヴェルが絡むSFの可能性もあるかもと思ってもいたが、そんなことはないガチのドラマだった。 

 

イスラエルが舞台というと、ほとんど反射的にイスラエルとアラブの確執を連想する。アメリカで紹介される近年印象に残った映画やドラマは、「ベツレヘム (Bethlehem)」や、サンダンスの「ジ・オナラブル・ウーマン (The Honorable Woman)」、ショウタイムの「ホームランド (Homeland)」(オリジナルはイスラエル製の「Hatufim (Prisoners of War)」だ)、あるいはウエスト・バンクが舞台の短編の「アヴェ・マリア (Ave Maria)」等、ほとんどがイスラエルとアラブの関係を描くものだからだ。そうそう、スティーヴン・スピルバーグの「ミュンヘン (Munich)」なんてのもあった。戦後4分の3世紀をずっと国境問題で関係をこじらせ続けてきたわけだから、それも当然と言える。ほとんど唯一とも言えるアラブが絡まない作品は、「ゲット: ザ・トライアル・オブ・ヴィヴィアン・アムサレム (Gett: The Trial of Viviane Amsalem)」くらいだが、あれはあれでまた我々他の国の面々から見ると、とんでもなく常軌を逸しているように見える。 

 

現在のアラブとの関係を別にすると、イスラエル、ユダヤ人に関わりの深いものとしては、やはりホロコーストがある。ホロコースト自体は戦争終結と共に終わったとはいえ、アラブ問題が目に見える現在進行形の問題なら、ホロコーストはその裏に控えているもう一つの忘れられない問題だ。「イーダ (Ida)」「あの日のように抱きしめて (Phoenix)」「サラの鍵 (Sarah's Key)」「ペイド・バック (The Debt)」も、ホロコーストがなければ作られることのなかった作品と言える。 

 

ほとんどの場合、ユダヤ人はそういう作品では被害者だが、「パスト・ライフ」の冒頭、ベルリンで歌を歌った主人公のセフィの前に一人の女性が現れ、セフィの父を人殺しだと罵る。ユダヤ人がドイツ人を人殺しと非難するのではなく、ドイツ人がユダヤ人を人殺しと糾弾している。新しい展開で、思わず、主人公のセフィが実はドイツ人だったという話かと、一瞬惑う。 

 

その女性は新進指揮者のトマス・ジーリンスキの母で、どうやら戦時中にセフィの父が隠れていた家と関係しているらしいということが段々わかってくる。xxxスキという名字はいかにもユダヤ人っぽい。上述の「サラの鍵」の主人公一家は、スタージンスキーという名だった。そのため私は、ドイツ人として暮らしているジーリンスキ家の面々が同胞のミルチ家を匿っていたが、当時の若かったバルーク・ミルチがジーリンスキ家をナチに売った、みたいな展開を予想していた。しかし後で調べてみると、ジーリンスキという名は元々ポーランド人名ということだ。 

 

一方でトマスは癖のある顔で、ドイツ人かポーランド人というよりも、なんかユダヤ人っぽく見えないこともない。そのことがストーリーと関係しているのか、してないのか。そしてトマスとセフィの関係は友人関係か師弟関係か恋愛関係か、進展するのかしないのか。1970年代の男性独占の時代で、作曲家としてクラシック界でのセフィのキャリアはどうなるのか、ナナの白血病? の行き先は? 等、一つ一つをもっと掘り下げると一つの作品になりそうな小ネタが多く散りばめられている。 

 

おかげで父がドイツ時代に行ったことは? 犯した罪は? という最大の興味が薄まってしまったことは否めない。父は産婦人科の医者で、寝台の上の患者を診ているシーンとかがあるので、これまた過去に行った罪を仄めかす伏線かと思うのも、これまた人情というものだ。これが本格ミステリなら、これらの伏線をどう回収していくのかというのが興味の焦点になる。ポール・ハギスならどうする? みたいな展開だが、実は「パスト・ライフ」は本格ミステリではない。どうやら私が勝手に伏線と思ったものは、伏線でもなんでもないただの捨てエピソードだったようだ。特にミステリの解明に力を入れていたわけではなかった。 

 

なんせまったくわからないヘブライ語とドイツ語で話され、見るこちらは英語字幕を追っているので、実はこの理解でいいのか100%の自信はない。ドイツ人のジーリンスキとイスラエル人のセフィが話す時は英語になり、そうなるとやっと日本人の私でも理解できるという、なんか迂遠な解読作業をやっているが、それが楽しくないこともない。とはいえ、やはりこれでは100%の理解は無理だ。これが言葉の違う国と国と話し合いになると、意思疎通がどんなに大変な作業であるかがわかる。イスラエルとパレスチナも、雪解けはそう簡単な道ではないだろうなと思うのだった。











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1977年、イスラエルの合唱団で歌っているセフィ・ミルチ (ジョイ・リーガー) は初めての海外公演で西ベルリンで歌う。新進の指揮者であるジーリンスキ (ラファエル・スタチョイアク) はセフィに注目するが、しかし彼の母と思しき女性は、セフィの名字を見て、セフィの父バルーク・ミルチ (ドロン・タヴォリィ) を人殺しと罵る。セフィには口さがない行動派のジャーナリストの姉のナナ (ネリー・テイガー) がいた。ナナは乗り気ではないセフィの尻を叩いて、父の戦時中の行動を調べ始める。一方ジーリンスキはイスラエルに来てセフィの合唱団を教え始める。ジーリンスキは西ベルリンにセフィを呼び、二人は共同でセフィの父の過去を調べ始める‥‥ 


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