放送局: サンダンス

プレミア放送日: 3/10/2003 (Mon) 21:00-22:00

製作: バーナ-アルパー・プロダクションズ、CBC

製作総指揮: ラズロ・バーナ

監督/出演: バリー・スティーヴンス

編集: マンフレッド・ベッカー

作曲: ケン・マイアー


内容: 自分が精子バンクから提供された精子によって生まれたことを知ったバリー・スティーヴンスが、本当の父親と、これまで存在することも知らなかった兄弟探しを始める様をとらえる。


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インディ映画専門のサンダンス・チャンネルで放送されたこの番組は、2年前にカナダのCBCで放送された番組だ。TV界で2年前の番組というと、既に大昔という感があるが、これまでアメリカではこの番組を見る機会はなかったわけだし、今さらながらこの番組のことについて書いても、別にばちは当たるまい。


この番組の監督兼主人公でもあるバリー・スティーヴンスは、ある日、母親から電撃的告白を受ける。彼は実は、人工授精によってこの世に生を受けた子供であり、それまで両親と思っていた父母は、実は本当はそうではなく、母親こそ実の母であるが、父はまったく別に、他にいるというのだ。既に彼がこれまで実の父だと思っていた人物は他界しており、本当のことを隠したままでいるのはよくないと考えた母が、一切の真実をバリーに告げたのだった。それ以来、本当の実の父探し、あるいは究極の自分探しが、バリーのライフ・ワークとなる。


私がこの番組に興味を惹かれたわけは、とりもなおさず、その時女房が買ってきて読んでいたマンガ、吉田秋生の「YASHA」を読んだばかりだったことが大きく影響している。さもなければ、この番組を見ることはなかったろう。「YASHA」は、遺伝子操作を行われた受精卵から生まれてきた主人公が、同じ細胞を用いた一卵性双生児のもう一人の弟がいた、という設定の、ほぼSFのアクション・マンガだ。「BANANA FISH」ほど面白いわけではないが、大昔から連綿と受け継がれてきた生き別れになった双子の兄弟のSFヴァージョンとして、それなりに印象に残った。


一方、現実に精子バンク経由でこの世に生を受けたスティーヴンスは、既に50余歳、中年の域に達しており、もはや少女マンガの主人公になるのは不可能だ。しかし彼の場合、現実の持つ強さや重さというものが圧倒的なので、それはそれでマンガとは違う面白さがある。なんといっても、彼の場合、実は同じ精子を用いた異母兄弟姉妹が、もしかしたら200人くらいいるかもしれないのだ。この感触はSFアクションの「YASHA」というよりも、ホラーの「ブラジルから来た少年」に近い。


現代では遺伝子学や生物学が発達しているので、DNAさえ手に入れば、99.99%の確立で、検査した人同士に関係があるかどうかがわかる。スティーヴンスはそのため、もしかしたら同じ精子ドナーから生まれた自分の兄弟姉妹の可能性があると思われる人物に対し、DNA検査を依頼する。もしスティーヴンスと検査した人物間でDNAが50%マッチした場合、二人は兄弟姉妹ということであり、ということは、もし相手側の父親が誰か判明していれば、その人物こそがスティーヴンスの父親だということができる。スティーヴンスの親の世代は既にほとんどが他界しているため、彼の兄弟姉妹を通じて父を特定するというこの方法しか、もう残されていないのだ。


しかしこの方法も、それほどうまく行くわけではない。なんとなれば、同じ研究者のもとを訪れて妊娠した女性の全員が、その結果懐胎して産んだ子供たちの全員に、彼らが人工授精によって生まれてきたことを告げているわけではないし、そのことを知っている子供たちでも、育ての親こそ実の親であり、本当の父親を知りたくはないという気持ちを持つ者も多い。結果として積極的にスティーヴンスに協力したがる者は、それほど多くはない。そのため、スティーヴンスの調査は遅々として進まない。新しい発見があったかと思うと、また一からやり直しの連続である。それでもスティーヴンスは、その途中で母親違いの兄デイヴィッドと出会うことができたし、二人でこれからも調査を続けていくことができる。


スティーヴンスは、母に人工授精をとりおこなった研究者こそ自分の実の父ではないかと考え、彼の写真と自分は似ているところがこんなにあると、鏡やカメラを前に色々特徴をあげつらう。その研究者はユダヤ人だったのだが、もしかしたら自分は半分ユダヤ人かもしれない。白人の間でもユダヤ人というのは一種特殊な地位を占めており、ナチを見るまでもなく、いつの時代でも迫害されてきた歴史を持つ。たとえ本人に人種差別意識があるにせよないにせよ、やはりある日いきなり自分がユダヤ人と知ることは、自分の存在基盤を180度ひっくり返しかねないものなのだ。しかし、スティーヴンスの予想は的を得ているように見えて、のちにまったく根拠のないことであったことが判明する。その研究者の娘とスティーヴンスのDNAがまったく一致しなかったのだ。研究者がスティーヴンスの父であったという可能性はなくなった。


いずれにしても、スティーヴンスの実の父が生きている可能性は、既にもう、あまりない。それでも自分のルーツ探しに余念のないスティーヴンスを見ていると、人は自分がどこから来た何者なのかを知ることに、ほとんど執念とも言える情熱を抱いていることが知れる。私のように、別に大した家系に生まれたわけでもない、ごく普通の人間の場合であると、それほどルーツ探しに熱心にはならないようだが (知ったからってなんでもない)、わりと知られた名字を持つ、ほどほどに歴史のある家系に生まれたりすると、結構熱心にルーツ探しをするようだ。ある日、歴史の教科書に載っている数百年前の有名な人物と自分の関係がわかったりすると、それは面白いかもしれない。また、スティーヴンスのように、完全に自分の過去を遡る糸が途切れているからこそ、よけいルーツ探しにむきになるというのもよくわかる。


なんでもスティーヴンスの亡くなった父は、過去ずっとスティーヴンスによそよそしい態度をとっていたそうで、母から告白を聞いた後、その理由が腑に落ちたそうだ。それはスティーヴンスの異母兄のデイヴィッドも同じであって、あまり父とは親しくしていなかった。デイヴィッドの父はまだ存命であり、話を聞くと、デイヴィッドの母があまり父をデイヴィッドに近づけないようにしていたのだと言う。そういうのもあるかもしれないし、それは単なる弁解で、生理学的な父親ではない育ての父親として、生まれた息子にどういう態度をとればいいのかわからなかったのかもしれない。


しかし、現代では、まるで血の繋がりはなくとも、何人もの養子をとって無事育てている家庭がごまんとある。産みの親より育ての親という言葉もある。たとえ息子が自分の血を引いていなくても、スティーヴンスとデイヴィッド場合は少なくとも妻の血を半分は引いているのであり、自分の子として育てるのに大きな障害があったとは思えない。スティーヴンスの場合、父は昔大病し、多分そのために子供が作れない身体になってしまったらしいと述べられる。そのために母は人工授精に踏み切ったわけだが、もしかしたら自分の欠陥のために子供を作ることができなかったという負い目を、息子を見るたびに思い出す羽目になったのかもしれない。真実は既に永久に知れることはない。


このようにいろいろと考えさせてくれる番組なんだが、惜しむらくは、スティーヴンスが実父探しをする過程をもうちょっと推理仕立てにするとか、あるいはどうやったらDNA審査で別々の人間が関係あることがわかるのか等を、我々素人にもわかりやすいように説明してくれるとかの配慮があれば、もっと面白くなったのにと思ってしまう。結局、スティーヴンスの本当の父親は、誰かわからないまま番組は終わってしまうのだ。これはやはり、あと数年は待っても、父親が誰かわかるまでは、番組を完結させるべきではなかったんじゃないかと思えてしまう。もちろん、あと何年待っても結局は父親は誰だかわからないままで終わってしまうこともあろう。しかし、このままだと番組はどうしても尻切れトンボの印象がつきまとうわけだし、待つだけの価値はあろう。


スティーヴンスの父親は結局誰だかわからないのだが、番組の最後で、他のまったく別のDNAテストの結果により、スティーヴンスには、実は娘がいたのだということが明らかになる。独身で子供なんかいないと思っていたら、いきなり、既に成長した娘がいたと知らされるのだ。スティーヴンス自身にも、思い当たることがある。スティーヴンスは、父親探しの真っ最中に、自分がいつの間にか父親になっており、逆に父親として探し求められる立場にいることを知るのだ。運命ですなあ。







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Offspring

オフスプリング   ★★1/2

 
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