O Brother, Where Art Thou?

オー・ブラザー、ウェア・アート・ソウ?  (2000年12月)

20世紀最後の週末の土曜の朝、起きてみると外は一面銀世界。しかも5年ぶりの豪雪で、積もりに積もっている。コーエン兄弟の新作、「オー・ブラザー、ウェア・アート・ソウ?」を見にちょっと離れている映画館に車で行こうとしていたのだが、窓から外を見渡してみると、既に私の車の半分は雪に埋まっている。これからまず雪掻きかと、ま、運動不足の折り、たまにはそれもいいかとも思ったが、考えてみると、劇場に車を停めるスペースがあるのか疑問である。既に積雪はどう見ても1フィートくらいあり、広い駐車場の雪掻きが終わっている可能性なんてほとんどない。第一、まだ雪は降り続いているのだ。路上ももってのほかだろう。雪のためにスペースが見つかるか疑問だし、路上に停めた場合、除雪車にそばを通られると、除けられた雪で車が路肩で固まってしまうことが往々にしてあるのだ。時々、路肩で氷の芸術と化している車を見ることがあるが、映画を見ている間に自分の車がああなるのだけはごめんである。


というわけで、翌日まで待って見にいくことにする。土曜日のうちに雪掻きは済ませ、日曜に出発。結局車は路肩に停める。ううん、こういう時はやはり四駆は道路状況を気にする必要がなくていいねえとにんまりする。しかし、交通問題はともかく、映画に関しては問題はこれからであった。


この「オー・ブラザー」、舞台は南部のミシシッピである。しかも時代は1930年代、当然、登場人物は皆思い切り時代がかった南部訛りの舌足らずな英語を喋る。これが強敵だった。私はまだまだ南部訛りの英語も完全に聞き取れるほどの英語力は持ち合わせていないのだ。先々週、古い言い回しの英語を多用する「クイルス」に苦しめられたと思ったら、今度は南部訛りか。ああ、前途はまだまだ多難である。


私が学生時代に田舎から東京に出てきた時、バイト先で東北出身のおっさんが何を言っているのかさっぱりわからなくてショックを受けたことがあったが、南部訛りだって似たようなもの。たとえアメリカ人だって、慣れてなければ理解に苦しむのだ。これで私が最も辛い思いをしたのは、ビリー・ボブ・ソーントンの出世作、「スリング・ブレイド」であった。これは私が今よりもっと英語に慣れてなかった時代の話の上、登場人物も多くは筋金入りの本物の南部出身ということもあって、本当に何言っているのかわからない。ほとんど聞いたこともない外国語の映画を字幕なしで見せられたようなものだった。現在はさすがにその時よりはヒアリングも向上しているとはいえ、まだまだ辛い。


特に今回はフォーカスが段々ずれていくオフ・ビートの会話で笑いをとるという最近のコーエン兄弟の傾向がもろに前面に出ており、会話を100%聞き取ってこその面白さだったりする。それなのに場内が笑っているのに自分は笑えない、という状況が起こると、否が応でも自分自身のヒアリングの不完全さを認識せざるを得ない。日暮れて道遠しを実感する瞬間である。そんなんで批評家よろしく星つけて採点したりなんかしていいのかという疑問も湧くが、まあ、それは置いといて、と。


「オー・ブラザー」は、ホーマー (ホメロス) の「オデッセイ (オデュッセイア)」を1930年代アメリカ南部に翻案した物語ということになっている。主人公はジョージ・クルーニー演じるエヴェレット・ユリシーズ・マックギルで、ちょっとした罪で服役中の彼が、仲間のピート(ジョン・タトゥーロ)とデルマー(ティム・ブレイク・ネルソン)をそそのかして脱走するところから映画は始まる。その3人が、道中に邂逅する変人奇人や世にも奇妙な出来事を、コーエン兄弟独特のずれたユーモア感覚で綴っていくというものだ。


実は私は「オデッセイ」をまともに読んだことがないため、あの、海を旅する人を惑わすということで有名なサイレンや、一つ目の巨人サイクロップスの話くらいしか知らない。サイレンは映画の中でもほとんどオリジナルに忠実に使われており、しかも見事に笑わせてくれるところなんか、流石である。野蛮なサイクロップスの役に扮するのはジョン・グッドマンで、確かに巨体であり、アイ・パッチをしていることで片目になっている。盲目の預言者 (これも確か「オデッセイ」だったよな) は彼らのレコードを吹き込むラジオ局のプロデューサーとなるのだが、残念ながら私の予備知識はこれまで。KKKやギャングのベイビーフェイス、保安官等、いったいオリジナルのどのキャラクターが巡り巡ってこうなっているのか、まったくわからない。しかしもちろん、「オデッセイ」を読んだことがなくても充分楽しむことができるようにはなっている。


映画のタイトルに関しては、ジョン・スタージェスの傑作と言われているコメディ「サリヴァンの旅」(実は私は見たことがない) で、コメディばかりを書いている売れっ子の脚本家がコメディに飽き飽きし、シリアスなものに挑戦しようとして書き上げるのが、何あろう「オー・ブラザー、ウェア・アート・ソウ?」なのであった。つまりこのタイトルをそのままいただいているのである。もしかしたらこの言い回しはアメリカではほとんど慣用句的に使われるのかと思ってネイティヴの私の同僚に訊いたら、100%同じだったかは覚えてないけど、シェイクスピアやバイブルで似たような言い回しはたくさん出てくると言っていた。当然その辺の含みも持たせているのだろう。


実は残念ながら人が誉める「スリー・キングス」を見ていないのであまり大きなことは言えないのだが、クルーニーは、「ER」を除けば私はこれまでに見た中で一番今回がはまっていると思う。「ER」が超ヒット番組になったおかげで色気ある男性俳優ナンバー1に祭り上げられるようになって久しいが、その後出た映画は、世紀の?マークつき映画「フロム・ダスク・ティル・ドーン」からつい最近の「パーフェクト・ストーム」まで、私にはどれも今一つだった。「バットマン」は本人も失敗だったと認めているし、ミシェル・ファイファーと共演した「素晴らしき日」は見ていないが、スティーヴン・ソダーバーグの「アウト・オブ・サイト」ですら、まだクルーニーの本領が発揮されているようには見えなかった。


私は、今回のようにとぼけた味を出せるのが、クルーニーの最大の魅力だと思っている。次回作は、またソダーバーグと組んでの、シナトラの「オーシャンと11人の仲間」のリメイクである。今、「エリン・ブロコビッチ」、「トラフィック」と乗りに乗っているソダーバーグが、一皮剥けたクルーニーと一緒に軽いコメディを撮る。今度こそ「アウト・オブ・サイト」を超える傑作になるのは、既に今から手に取るように明らかである。


根っからコーエン組の気のあるタトゥーロは、またかということであまり評価はされないだろうと思うが、やはり捨て難い味を持つ。しかし、実は今回はそのタトゥーロよりもブレイク・ネルソンの方がさらによかった。俳優としてよりも「アイ・オブ・ゴッド (Eye of God)」の脚本/演出家としての方で知られているが、馬面のこの馬鹿さ加減をここまで見事に出せる俳優は他にいないだろう。


タトゥーロがコーエン兄弟のレギュラーなら、グッドマンは準レギュラーと言える。しかしグッドマンはTVの「ロザンヌ」が終わって以来、あまりヒットに恵まれない。色んなところに顔を出しているのだが、「ブルース・ブラザース2000」のような自分の作品ではコケる。今秋FOXで始まった自分の番組「ノーマル、オハイオ (Normal, Ohio)」も早々とキャンセルされてしまった。やっぱり脇の方が向いているのだろうか。その他、エヴェレットの妻ペニーにホリー・ハンターが、ベイビーフェイス・ネルソンに、ABCのTVドラマ「ザ・プラクティス」でエミー賞のドラマ部門助演男優賞を受賞したマイケル・バダルッコが扮している。


コーエン兄弟のユーモアというのは私は嫌いではない。というか、はっきり言って大好きである。しかもギャグの演出は、昔よりも今の方がこなれてうまくなっていると思う。しかし、しかしである。それでも私はそれよりも「ブラッド・シンプル」や「ミラーズ・クロッシング」のような、シリアスな作品の方に惹かれる。特に「ミラーズ・クロッシング」のような、美学を感じさせるよく練られたドラマというのに私は弱いのだ。「オー・ブラザー」は、コーエン兄弟のこの種の作品としてはほとんど頂点を極めていると言っても過言ではないだろう。というわけで、次はまた「ミラーズ・クロッシング」みたいな作品を撮ってくれないだろうか。






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