暴力を振るう夫に嫌気をさしたジョージィ (シャーリーズ・セロン) は、息子と娘を連れて家を出る。旧友のグローリー (フランシス・マクドーマンド) と再会したジョージィは、その伝手で父のハンク (リチャード・ジェンキンス) も働いている炭坑に職を見つける。しかし男女雇用が均等という建て前ではあるが、歴史的に男社会の炭坑では、ジョージィをはじめ、女性に対する風当たりは強く、嫌がらせの種は尽きなかった。我慢ができなくなったジョージィは、会社を訴える決心をする‥‥


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「モンスター」でアカデミー賞を射止めたシャーリーズ・セロンの新作は、これまた社会派の、歴史的セクシャル・ハラスメント訴訟を扱った「スタンドアップ」だ。監督は「クジラの島の少女 (Whale Rider)」のニキ・カーロと、「モンスター」のパティ・ジェンキンスに続き女性監督との共同作業が続く。内容の方も、やられたらやり返せとばかりに男に対等に立ち向かう、というか男に復讐するような役柄で、「スタンドアップ」でも、最初は夫から殴られ、同僚からセクハラ受けてたりするのだが、当然のことながら後で牙を剥く。美人を怒らせると後が怖い。それにしてもよほど男に恨みでもあるのか。


セロンは「モンスター」では、一目では彼女自身とはわからない別人メイキャップをしていたわけだが、私は、そこまでして演じる「モンスター」に、いったいどれほどの意味があったのか実は疑問だった。別にセロンじゃなくってもよかっただろうにと思っていた。それに較べれば、セロン本人が自前の顔で演じる「スタンドアップ」の方が私には断然好感が持てる。とはいえやはり美人青タン系のセロン、ちゃんと最初から殴られて青タン作って家を出る。自分のセールス・ポイントはちゃんとわかっているようだ。


「スタンドアップ」は、公開前はかなり注目を集めていた。セロン、またもやアカデミー賞かとすら言われていた。ところが、公開したとたんのこの世論 (別にシャレじゃない) の静まりようはなんだ。私が見に行ったのはまだ公開2週目なのに、劇場に来ている観客は4人連れのおば (あ) さん客、私同様一人で見に来ている中年のおっさん、そして私のたった6人だけ。いや、そこまで評は悪くなかったぞ。しかし、明らかに口コミはマイナスで作用している。


これとまったく同じ展開だったのが一昨年のニコール・キッドマン主演の「白いカラス (The Human Stain)」で、「白いカラス」も公開前はかなり注目されていたのに、公開されたとたん、見向きもされなくなった。公開前はキッドマンは、またアカデミー賞かなんて騒がれていたのにもかかわらずである。何から何まで今回とそっくりだ。


ここで両者に共通しているのが、作品の質そのものではなく、観客の心理を見逃しているという事実である。「白いカラス」の場合、誰がなんと言おうと白人にしか見えず、実際に白人であるアンソニー・ホプキンスが黒人という設定に、誰もがついて行けなかった。観客はそういう便宜上の都合を受けつけなかった。そしてたぶん今回は、ほとんど一人で孤軍奮闘するセロンに、やはりついて行けないものを感じたという気がする。


とはいえ、別にこの作品でのセロンは悪くない。私の印象を言えば、気持ちが先走っているように見えた「モンスター」よりは、断然こちらの方を推す。まだ出しゃばりすぎる嫌いは完全にはなくなっていないとはいえ、それでも以前より肩の力を抜いて自然に演技できるようになっているし、実際、時々はっとするような表情を見せる。私としてはむしろこちらの方にアカデミー賞を上げたいくらいだ。


それでも人々の気持ちがこの作品に向かわないのは、まず第一に、我々には既に「ノーマ・レイ」があるからということが言える。実際、ブルー・カラーの職場でよりよい環境を求めて立ち上がる女性という大まかな設定を聞いただけでは、で、これ、いったい「ノーマ・レイ」と何が違うの? と誰もが思うだろう。しかも率先して立ち上がる女性がサリー・フィールズとシャーリーズ・セロンなら、誰もがより身近に感じるフィールズを応援しようという気になると思う。セロンは、じゃあモデルでもやれば? というのが大方の反応ではなかろうか。


さらにこの作品が空転している感じが否めないのは、一般的認識として炭坑はやはり男の職場であり、そこへ後から乗り込んでセクハラだのなんだのと騒ぎ立てるセロンに、第三者として感情移入しにくい点にあることはほぼ間違いないようだ。むろん正論としてセロンがとる行動は正しいものであり、そのストーリー展開を側面から固めるために、一方で殴られる妻、養う家族のいる母親、父からかまわれない娘、身持ちの悪い女という細かいエピソードを積み上げ、心証的に同情を寄せることのできる女性像を確立しようとしている (もちろん父からかまわれない娘、身持ちの悪い女という設定が、クライマックスで逆転するのは言うまでもない。) だが、要するに、それが成功したとは言えないのが、たった6人という観客数に現れているとしか言いようがない。


こないだデイリー・ニューズをぱらぱらとめくっていたら、セロンが演じている本人の談話が載っており、私はこの映画は見ないと言っていた。この女性、一見するとセロンというよりは、どちらかというとセロンの同僚となる、いわゆる恰幅のいい太った中年のおばさんという感じで、そりゃ10年前はもっと美人だったのだろうが、こういう本人の写真を見ると、いかに作品中のセロンが突出して美人かということがわかる。いくら子持ちでも、これだけの顔とスタイルがあれば、なにも炭坑で働かなくとも、都会に出ればなんか職はあるだろうと思ってしまうのだ。


もっとも、いくらセロン一人の映画だとはいえ、彼女一人だけではもちろん映画は作ることはできず、脇もなかなか頑張っている。永遠の脇役リチャード・ジェンキンスがここではセロンの父役として非常にいい味を出しているし、その妻アリスに扮するのはシシィ・スペイセクだ。セロンの旧友グローリーに扮するフランシス・マクドーマンドは、後半はルー・ゲーリック病にかかって身体が動かなくなってしまう。それを献身的にサポートする夫カイルを演じているのは、ショーン・ビーンだ。ビーンはこないだも「フライトプラン」で正義漢のパイロットを演じていたし、昔は悪役の方が多かったはずなのに、いつの間にやら人々の良心を代表するような役が持ち味になっている。


そんなわけで既に「スタンドアップ」は劇場から消えようとしている。セロン自身が年末以降の賞レースに絡んでくるかは微妙なところだが、この世間の冷たい反応を見ていると、難しい気がする。まあ、業界関係者は見ているだろうから、それなりにいくつかの賞にノミネートくらいはされるんじゃないだろうか。「モンスター」だろうと「スタンドアップ」だろうと、あと10年、20年後にセロンが主演するならばこんなに違和感ないだろうし、その時は私だって諸手を上げて後押ししたいと思うのに、何をこんなに慌ててこれらの作品を今作らなければいけないのか。よく、いつも時宜を逃してしまう、遅れてしまう人間というのはいるが、セロンを見ていると、彼女は先を急ぎ過ぎるという気がしてしまう。






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North Country   スタンドアップ  (2005年10月)

 
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