ノー・パスポート・リクワイアード (No Passport Required) 

放送局: PBS 

プレミア放送日: 7/10/2018 (Tue) 21:00-22:00 

製作: ヴォックス・メディア   

製作総指揮: チャド・マム   

ホスト: マーカス・サミュエルソン   

 

内容: セレブリティ・シェフのマーカス・サミュエルソンが、アメリカ国内で体験できる世界各国の料理を紹介する。  


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No Passport Required


ノー・パスポート・リクワイアード  ★★★

「ノー・パスポート・リクワイアード」のホスト、マーカス・サミュエルソンは、アメリカではよく知られているセレブリティ・シェフだ。新しいアイアン・シェフを決めるフード・ネットワークの「ザ・ネクスト・アイアン・シェフ (The Next Iron Chef)」に出たこともある。 

 

その時は途中で脱落したが、ブラヴォーの同様の勝ち抜きクッキング・リアリティ「トップ・シェフ (Top Chef)」スピンオフの、同様にトップ・レヴェルのシェフを集めた「トップ・シェフ・マスターズ (Top Chef Masters)」では、並みいる強豪シェフたちを抑えて見事優勝している。これら以外でも、その手の番組のゲスト・ジャッジとか、日中トーク・ショウの食のコーナーとかで、これまでにも数え切れないくらい目にしている。 

 

とまあ、サミュエルソンは有名人なのだが、それだけで今回「ノー・パスポート・リクワイアード」について書こうと思ったわけではない。実は私たち夫婦はサミュエルソンがニューヨークのブロンクスで経営するレストラン「レッド・ルースター (Red Looster)」で食事したことがある。まあ、ニューヨークではアイアン・シェフが経営する店はいくつもあり、和の鉄人森本正治の「ノブ (Nobu)」で食事したことはあるが、イタリアン・アイアン・シェフのマリオ・バタリが経営する「バボ (Babbo)」は、行きたい行きたいと思いつつ、叶わないうちにバタリのセクハラ事件が発覚して行くタイミングを逸してしまった。ボビー・フレイが5番街に出していた「メサ・グリル (Mesa Grill)」は、よく店の前を通る機会があり、こいつは料理はうまそうなんだが、性格的にあまり好きじゃないと思っているうちに、店仕舞いになってしまった。 

 

等々あるうち「レッド・ルースター」が一番印象に残っているのは、そこでサミュエルソン本人と対面したからに他ならない。セレブ・シェフが経営するレストランだからといって、そこで本人がいつも腕を揮っているとは限らない。というか、まずそんなことはない。だいたいは任せられたスー・シェフが切り盛りしている場合がほとんどだ。 

 

私たちが「レッド・ルースター」に行った時だって実際の料理はサミュエルソン本人が作っていたわけではないだろうが、しかし本人が客席に出てきて人々と談笑したり一緒に記念写真を撮ってたりした。私たち夫婦も、お、いつもよくTVで目にしている本人が目の前にいる、と浮き足立って一緒にスマート・フォンで写真を撮った。TV同様、人当たりがよく、客商売を心得ているなという感じだった。 

 

実は何を食べたかより、そのことの方が強く記憶に残っているのは内心忸怩たるものがある。実際の料理でも、メインで何を食べたかはもう忘れており、その日のスペシャルだった、甘辛で味付けしたチンゲン菜のお浸しのようなものしか覚えていない。それも非常に美味しかったというより、これならうちでも作れると思って、頭の中でたぶんこれこれの調味料を使っていると味を組み立てて考えたので、記憶に残っているのだ。因みに美味しかったは美味しかったので、自分なりに味を再現したものを今でも時々家で作っている。その度に「レッド・ルースター」もついでに思い出すので、おかげでサミュエルソンは、私にとってアメリカのセレブ・シェフとしては最も馴染みが深い。 

 

サミュエルソンはエチオピア生まれの黒人で、幼い時に白人のスウェーデン人夫婦に養子にもらわれた。そのため、幼い頃から自分の出自、アイデンティティに自覚的だったろうことは容易に想像できる。サミュエルソンにとって、自分の作る料理はただ美味しいとか栄養源とかということだけではなく、自分の生きてきた道筋、存在意義そのものだった。エチオピア料理とスウェーデン料理を融合させた彼の料理はそのことを雄弁に物語っている。彼にとって、ある人の作る料理とは、その人そのものを意味している。 

 

「ノー・パスポート・リクワイアード」がアメリカのエスニック料理に焦点を合わせているのは、ある意味当然だ。人種のるつぼアメリカにおいて、多くの民族は代々受け継がれてきた伝統的な料理を、昔のレシピそのまま、あるいは現代風にアレンジして食べている。いずれにしても、それらの料理を食することは、文化、民族の伝統に触れることに他ならない。もちろんサミュエルソンはそのことに自覚的だ。 

 

番組第1回にサミュエルソンが訪れるのはデトロイトだ。かつて自動車の街として栄え、現在ではかつての栄光から脱落した街という印象の強いデトロイトだが、実は今、イラク、シリア、ヨルダンといったアラブ系民族が多く移り住んでいる。イスラムの伝統食がアメリカ内陸部で活性化している。ヒジャブを被った女性が街中を闊歩している。ドナルド・トランプにざまあみろと言いたくなる。 

 

第2回はニュー・オーリンズで、当然私はフランス文化の影響を受けたケイジャン料理を想像した。ところが今、彼の地で栄えているのはヴェトナム料理なのだ。むろんかつてフランスの植民地だったヴェトナムはフランスの影響を強く受けているが、それはケイジャン料理が影響を受けているフランス文化とは経路が違う。ケイジャン料理ではない、ヴェトナム本国経由のフランス料理の影響下にあるヴェトナム料理が、今、ニュー・オーリンズの新しいヴェトナム移民たちの手で作られている。バインミーは、ケイジャン料理じゃないのだ。 

 

その後、第3回は内陸部のシカゴにおけるメキシカン・コミュニティという、これまた意外性に富む選択。第4回はニューヨーク、クイーンズのインド系ガイアナという、エスニックの中のエスニックとでも言えそうなコミュニティで伝統食を食す。第5回はマイアミのハイチ・コミュニティを訪れ、第6回では自分の生まれ故郷のエチオピアのコミュニティがあるワシントンD.C.を訪れる。


料理は文化だとはよく言われることだが、番組を見ているとそのことがよくわかる。その文化の伝統的な料理を食することは、祖先の営みを追体験することに他ならない。と、この項を書くのにポテト・チップスを齧ってハーシーのキッス・チョコレートを頬張りながら思うのだった。実際問題として、アメリカ軍占領下にあった幼い時の私の田舎では、ハーシーのチョコレートがおやつを代表していた。そのため、チョコレートというと、今でもハーシーに手が伸びる。これも文化か。 










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