Mystic River


ミスティック・リバー  (2003年10月)

デイヴ、ジミー、ショーンの3人はかつてボストンで一緒に少年時代を過ごした仲間だったが、その時、デイヴは一時的に変質者に誘拐されて悪夢のような体験をしていた。成長した彼らは今ではほとんどつきあいもなく過ごしていたが、ジミーの娘ケイティがある夜、何者かに襲われ、撃たれて殺されるという事件が起こった。一時ギャングに片足を突っ込んでいたこともあるジミー (ショーン・ペン) は復讐を誓うが、よりにもよってその疑惑はデイヴ (ティム・ロビンス) に向いていた。そしてその事件を調査するのは、今では刑事となったショーン (ケヴィン・ベーコン) だった。なんの運命のいたずらか、また3人は顔を揃え、そして事件は徐々に明らかになっていく‥‥


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夏の大作シーズンが終わり、来春のオスカーを睨んだ秋の文芸大作系が続々と公開され始めた。そしてこの秋、まずはアカデミー賞作品賞候補作一番乗りと目されているのが、この「ミスティック・リバー」だ。デニス・ルヘインの同名原作をクリント・イーストウッドが演出するもので、夏頃から既にこの作品の噂で持ち切り、ヘリコプターで川沿いのバーを撮影しただけの予告編も、それだけですごく期待させてくれるできだった。


冒頭、主人公3人が若い頃、ストリートでホッケーをして遊んでいるシーンから始まるのだが、そのシーンからしてなにやらすごく緊張させ、何かが起こりそうな雰囲気を濃厚に醸し出す。なぜ子供たちがストリート・ホッケーをしているだけのシーンで、これだけ見る者に緊張を強いることができるのか。既にイーストウッドの実力全開という感じである。


実際、ツボにはまった場合のイーストウッドの演出は、他にほとんど並ぶ者がないとすら言える。別に何の奇を衒うこともない正攻法の演出で、CGも何もなし、最初から最後までオーソドックスなストーリーテリングで見せるだけなのだが、とにかく誰がケイティを殺したのかという謎の解明と、それに絡む3人の男、さらにその男たちの妻が絡み、最後まで緊張感を持続させる。


3人の主人公に扮するロビンス、ペン、ベーコンは、3人ともそれぞれ絶賛されているのだが、実際そうだろうと思う。難を言えば、過去に縛られるデイヴを演じるロビンスのガタイがよすぎて、これがもう少し脆い印象を与える役者であれば、とは思った。少年時代のデイヴから印象に開きがありすぎるのだ。その点、ジミーの子供の頃を演じた子役は、ペンのようなガキ大将ぶりを発揮しており、彼が長じてペンになったことが違和感なく収まる。その点で、デイヴ同様、成長してなんでこれがベーコンになるのかよくわからないショーン役の子役も、できればもう少しベーコンが幼い頃の雰囲気を想像できるような子をどこかからか見つけてきて欲しかったとは思う。


この映画では復讐心に燃えるジミーを演じるペンにスポットライトが当たるのはしょうがあるまい。こういうちょこざいな、大物でないギャングみたいな役をやらせると、見事にはまる。一つ気になったのが、愛娘のケイティを殺されて悲嘆にくれるシーンでも、彼は顔を歪めても涙一つ見せるわけではないことで、ガキの頃に誘拐されるデイヴ役の子が、怖くても声を上げて泣いているわけではないのに、頬っぺたには涙がこぼれた跡がちゃんとついているという芸細さが、ここにもあってもよかったのではという気はしないでもなかった。あるいは、小粒ながらもギャングのボスとして、人前では涙を見せないという習性が身についていたのかもしれない。


ここで思い出すのが「デッドマン・ウォーキング」で、この作品では、死刑囚のペンが監督のロビンスの手によって死に行く運命にあった。今回は復讐心に燃えるペンがロビンスに疑惑の目を向けるという設定になっており、思わず私は、昔の意趣返しでロビンスを殺す気か、まずい、このままでは本当にペンはロビンスを殺してしまいかねないと、気がはやってしまったのであった。


女性陣も、ロビンスとペンの妻に扮する女性を演じるマーシャ・ゲイ・ハーデンとローラ・リニーがこれまたいい。つい最近見た「カーサ・デ・ロス・ベイビース」でもそうだったが、いつもなにやら強い女性を演じていたような気がするハーデンが、こういう脆い役をやらせてもうまいというのも一つの発見。そして、意地悪な女をやらせたら一級品のリニーが、別に表立って性悪な女というわけではないが、すべてを知った後でも見せる態度なんて、もしかしたら一番怖いのはあなたと思わせるできだ。いや、皆さんうまいです。ベーコンの家を出ていった妻だけが、最初、顔を見せない思わせぶりな演出をしているわりには、別にストーリーに絡むこともなく、それだけで終わってしまったことが残念だが、とにかく3人の男の私生活を画面上に出す必要があったのだろう。


それ以外で印象に残ったのが、殺されるケイティ役のエミィ・ローサムと、唖の少年を演じたスペンサー・トリート・クラーク。ローサムは「オードリー・ヘップバーン・ストーリー」でオードリー・ヘップバーンがティーンエイジャーの頃を演じており、もうこんなに成長してしまったかとびっくり。クラークは「アンブレイカブル」でブルース・ウィリスの息子役を演じていたが、超人的な力を持つウィリスを見て驚くというようのとまったく同じ表情をここでも見せる。その瞬間、あ、この子、どこかで見たことがあると思わせ、映画を見て帰ってきた後で調べてみたら、「アンブレイカブル」の子であったとわかった。


イーストウッドがジャズ/ブルースに造詣が深いのはよく知られているところで、こないだもマーティン・スコセッシが製作したTVシリーズ「ブルース」で、ブルース・ピアノの大御所と話をしていた。そのイーストウッドが、今回は音楽も担当している。自身もピアノを嗜むイーストウッドだけあって、難しいオーケストレーションではなく、シンプルな音楽でありながら、実に物語とよくマッチした効果的な音を入れている。イーストウッドって、本当に才人だ。


この映画、非常によくできた作品なのだが、観賞後の印象は重く、暗い。ほとんど救いがなく、その点で、重い内容といえども、それなりにエンタテイニングであった「マグダレンの祈り」とは赴きを異にしている。その点で見る人を選ぶだろう。こういう映画というのも時には必要と思うのだが、うちの女房は、作品がよくできているのを認めながらも、あまり見た後の印象がよくないため、憂鬱な表情をしていた。あんまり思い出したくないそうだ。







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