Mulholland Drive

マルホランド・ドライブ  (2001年10月)

「マルホランド・ドライブ」は、元々はネットワークのABC用に企画された、TV番組のパイロットである。「ツイン・ピークス」の成功をもう一度とばかりにABCとリンチが再度TVドラマに挑戦したわけだが、残念ながら「マルホランド・ドライブ」はABCのお眼鏡にかなわなかった。ABCが降りた後、ステュディオカナルが名乗りを上げ、おしゃかとなったTV用パイロットに新たに撮り直したフッテージをつけ足してでき上がったのが、「マルホランド・ドライブ」だ。


命を狙われたが間一髪で助かった女性リタが、カナダからLAに着いたばかりのベティが住む予定のアパートに転がり込んで難を逃れる。しかしリタは記憶喪失になっており、自分が誰だか思い出せない。リタは相当な額のキャッシュと青い鍵を持っているが、なぜそういうものを持っているかは見当もつかない。女優志望のベティは、オーディションを受けながら一方でリタに協力して彼女の自分探しに協力を始めるが‥‥


リタとベティを主人公とし、それにハリウッド映画界の監督、若い着崩した殺し屋のストーリーが絡み、リンチ独特の不条理世界が展開する。前回、「ストレイト・ストーリー」でリンチらしくもない本当にストレイト・フォーワードな話を撮った反動か、今回はいつものリンチ・ワールドに戻り、ストーリーや理由付けから無縁な世界を、好きなように演出している。「ストレイト・ストーリー」の前作、「ロスト・ハイウェイ」ほど取っつきにくいということもなく、 元々TV用だということもあり、手触りは「ツイン・ピークス」と「ブルー・ベルベット」の中間くらいか。


それにしても結局、冒頭近くの何が何だかわからないホラー映画まがいのシーンから、何が何だかわからないエスプレッソ中毒の映画プロデューサー、ギャグか何だかよくわからない殺し屋など、説明を拒むいかにもリンチ然のシーンが満載である。しかし、それでもこれぞリンチといった感じのリンチ・ワールドが100%展開するのが映画が3分の2を過ぎたくらいからで、ほとんど筋を追うのを諦めたくらいから展開する不条理劇こそ、リンチの独壇場である。


実際、映画のクライマックスによる理由付けだけでは、その前のシーンの多くの説明を欠いており、結局、だからあれは何だったんだというシーンが山のように残される。映画が終わった後に、いったいあれはどういうことだったんだという疑問が多く頭の中にくすぶるという点では、「マルホランド・ドライブ」は、今年公開のもう一本の不条理? 劇「メメント」と似ている。結局、両作品とも多くの疑問が解決されないまま終わるわけだが、リンチ作品では、最初からその解決を放棄している、というか、はなっから気にもしていないという点で、不親切という点では「メメント」を何倍を上回る。しかし、「メメント」も「マルホランド・ドライブ」も、その、わからない、というところが逆に魅力になってたりする。特に「マルホランド・ドライブ」は、理解しようという試みを放棄するとよけい楽しめるという驚異的な映画だ。今年、アメリカ映画界は不条理ミステリーの古典を2本獲得した。


基本的に「マルホランド・ドライブ」の主人公はベティとリタという二人の女性なのだが、リタ・ヘイワースばりの謎の女リタ (実際この名も記憶をなくしたため、その時見たリタ・ヘイワースのピンナップからいただいている) を演じるローラ・イリーナ・ハーリングはともかく、ベティを演じるナオミ・ワッツは超特大の拾い物である。最初カナダから映画スターを夢見てLAを訪れたお上りさんとして登場する時は、いかにも下手くそな、そういう感じを出しているくせに、映画が進むに連れて、意外に本当に演技がうまいところを見せる。彼女の七変化を見るだけでも充分楽しめる。ベティという役名から、同じ役名を演じた「ベティ・サイズモア」のレネ・ゼルウェガーを思い出すが、能天気にLAに出てくる娘という役どころがこれまたそっくりの上、所々似たような表情を見せる。ベティという、はっきり言ってつまらない名前の娘が都会に出てくるというところがミソか。


この映画はタイトルが示す通り、LAという街が重要なキャラクターとして登場する。こういうタイプの作品は話を聞いただけの印象から言うと、太陽燦々の西海岸よりも、湿度が高く、寒い東海岸の方が合っていると思うのだが、こうやってできた作品を見てみると違和感なく収まっているように見えるのは、ハードボイルド-フィルム・ノワールと続く西海岸の小説や映画の世界に慣れきっているからだろう。それでもスタイリッシュなハードボイルドというだけならニューヨークでも違和感ないが、リンチ作品となると、やはり太陽燦々というイメージがある。そしてそれと対比して、暗い夜の世界も描かれる。すべてが明るい陽の光の下で起こりながら、その陽の光の届かない地下世界の話も同時進行するのがリンチ作品の特色だ。


リンチはLAに住んでいるのだが、そこでの生活に痛く満足しているらしい。しかしリンチにとって、LAという舞台を過不足なくとらえた映画は、後にも先にも「サンセット大通り」1本きりだそうだ。その他の、フィルム・ノワールから「チャイナタウン」に至る多くのハードボイルド系の作品なんてどうだと思うのだが、ニューヨーク・タイムズによるリンチのインタヴュウによると、数多ある映画の中で、「サンセット大通り」だけが、LAでしか起こり得ない出来事を扱っているということだ。ということは、「マルホランド・ドライブ」も、LAでしか起こり得ない出来事を扱った作品だとの自負がその発言の裏に隠されていることになる。


こういう世界が起こりうるのは、世界でLAのみということなのだろう。まあ、確かに、あの明るさとあの裏の世界を同時に持てる都市というのは、LAしかないような気はする。明るさと裏の世界だけなら、アメリカだけでも他にマイアミやニュー・オーリンズ等いくつも思い浮かべることができるが、LAは、その上雨が降らない、湿度が低い都市というのが最大のポイントだ。つまり、LAを舞台とする犯罪映画は、乾いた空気というのがその印象を決定づける。雨や湿った空気がどれほど犯罪映画に多く登場してきたかということを思えば、主として雨の降らない西海岸を舞台とするフィルム・ノワールの特異性が一層際立つというものだろう。しかし、その数多くのフィルム・ノワールの作品を知っていながら、敢えてこれらを無視し、LAを舞台とした映画で「サンセット大通り」だけを挙げたリンチの自信は大したものだ。


ところでこの作品、ポスターには「A love story in the city of dreams」と刷られている。もちろん映画ではベティとリタが段々惹かれあっていくところが描かれるわけだが、この文字に気づいて初めて、そう言えばこれ、ラヴ・ストーリーだったんだなと思った。レイモンド・チャンドラーの描くハードボイルドが多く大人の恋愛を描いているように、「マルホランド・ドライブ」も恋愛映画として意識していたらしい。ただし、このコピーは、TVシリーズではなく映画作品となったことで、何かセールス・ポイントが必要ということで慌ててつけ足したという感はしないでもない。本当に予定していたようにこの作品がTVシリーズとなったなら、どこまで二人の恋愛に焦点を当てていたかはまったくの疑問だ。


いずれにしても、いくら「ツイン・ピークス」がヒットしたからといって、またTV界に2匹目のドジョウを求めることは止した方がいいと思う。「ツイン・ピークス」だって話題になったのは最初の方だけで、番組が最終回を迎える頃は、はっきり言ってアメリカでこの番組を見ているのは誰もいなかった。最後の方は、ただ謎が謎を呼んで収拾がつかなくなっただけという感じで、わりとまめに見ていた私ですら、いい加減つきあえなくなって途中から見るのを止めてしまった。やっと番組が終わるということで、周りのアメリカ人はどう思っているんだろうと思って訊いてみたら、訊いた全員が全員、驚いたように、え、「ツイン・ピークス」ってまだやっていたの、とっくに終わったと思っていた、と答えた。結局、リンチの作風はTVとは相容れない。自分の想像力を飛ばし過ぎて最終的に誰も興味を持てなくなってしまう。今回ABCがパイロットを見て、これは無理と判断したのもむべなるかなだ。


久し振りにリンチ色を満喫した作品だったが、それでもやはりこれはもっと切って2時間以内にまとめてもらいたかった。これからもっと続いていこうとするTV番組のパイロットに後から色々とつけ足して強引にまとめたために、辻褄も合わなければ、2時間半という、こういったインディっぽい映画にしては非常に長い印象を与える作品になってしまった。これは作品にとってはマイナスにしかならないと思う。実際、切れるシーンは山ほどあった。長くても短くてもどうせ話が矛盾してしまい、あってもなくても大差ないならば、一観客としては切って欲しかった。リンチ・ファンならば長ければ長いほど作品に浸れていいんだろうが、私はそれほどリンチに入れ込んでいるわけではないです。その点、リンチにとってはそれほど見るべきものはないらしいハリウッドのフィルム・ノワールの緒作品の方が、きっちりと決められた時間内に収めるプロフェッショナリズムが感じられて私には好感が持てる。







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