Mr. Holmes


Mr. ホームズ 名探偵最後の事件  (2015年8月)

言わずと知れたシャーロック・ホームズの最新版。近年映像のホームズものはプチ・ブーム的様相を呈しており、それぞれが独特の意匠を凝らして新しいホームズ像を提供している。


ロバート・ダウニーJr.の「シャーロック・ホームズ (Shirlock Holmes)」はジョーク好きの武闘派ホームズを造型し、TVではBBCのベネディクト・カンバーバッチの「シャーロック (Shirlock)」は現代ロンドンで、CBSの「エレメンタリー (Elementary)」のジョニー・リー・ミラーは現代ニューヨークでそれぞれエキセントリックなホームズを体現、そして今回イアン・マッケランが演じるホームズは、前世紀半ばの英国サセックス地方を舞台に、その晩年を描く。ミッチ・カリン著の原作をビル・コンドンが演出している。


こちらは原作を知らず、ホームズものだからというので特になんの前知識も持たず評判も知らずに劇場に足を運んだのだが、オープニング・クレジットでHiroyuki Sanadaの名を見て、これは、と思う。もしかして漱石か。真田広之が扮しているのは夏目漱石で、もしかしてこの作品はホームズと漱石の最後の活躍を描く作品か、と、思わず一人勝手に興奮する。


日本人の本格ミステリ好きにとって、漱石とホームズの共闘はある意味常識のようなものだ。これは漱石がロンドンに留学していた時とホームズが活躍していた時代がほぼ重なることから来ており、山田風太郎によるホームズもののパスティーシュ「黄色い下宿人」を初めて読んだ時は、その完成度に思わず唸った。その後島田荘司も「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」でホームズと漱石を共闘させ、タイトルを思い出せないが、芦辺拓や柄刀一にもホームズと漱石が登場する作品があったと記憶する。そうそう、柳広司にも「吾輩はシャーロック・ホームズである」があった。というわけで、ホームズものに日本人が登場するということで、すわ、これはいよいよ漱石の登場かと期待に胸が高鳴ったのだった。


結論から言うと、真田が扮しているのは漱石ではなく、英国に駐在してホームズの知己を得た外交官の息子ウメザキという役どころだ。漱石ではなかった。残念だ。考えるといくら原作のカリンが日本のことをよく知っているにしても、さすがにホームズと漱石の関係まで知っているとは思えない。しかも日本人の視点から言うと、漱石を出してしまったら作品はホームズものではなく、ホームズと漱石が両主人公とならなければ到底納得できないので、これはやはり漱石を出してしまってはまずいかもしれない。この作品はあくまでミスター・ホームズを描くものなのだ。


老境に入り、体力・知力共に衰えたことを自覚しているホームズは、ウメザキに乞われて日本に立ち寄る。原爆が落とされてまだ復興の道程が見えない広島を訪れ、被災地の瓦礫の下から、たぶん老いを食い止め知力の老化を妨げる効能があると思われる特別な山椒を発見して手に入れる。どうやらホームズが日本行きを決めた最大の理由は、これを手に入れたいがためだったようだ。自分の頭脳がかつてのように明晰に働かないことを誰よりも自覚しているのは、ホームズ本人に他ならない。実はウメザキがホームズを日本に招いた理由は、ホームズのことを絶賛していた父が、ある時、息子たちを捨てて姿をくらませたことが理解できず、ホームズの力を借りたいと思ってのことだった。しかし記憶が混濁するホームズは、ウメザキのことをほとんど覚えてはいなかった‥‥


そのホームズの思考が、未来ではなく過去を振り返りがちなのは致し方ない。それが老境というものであろう。ホームズは、かつて自分が最後に解決した事件を、ワトソンの手によるものではなく、自分の手で、自分の視点からしたためてみようと考える。だいたいワトソンの記述は、受けを狙った誇張や改竄が多過ぎる。本当は自分は鹿撃ち帽ではなくシルク・ハットの方が好きだし、パイプよりは葉巻の方が趣味だ。というわけでホームズは、自分の記憶によって事件を記述し始める。ワトソンは既に鬼籍に入っており、過去の追憶のシーンでもその後ろ姿や影はともかく、我々がワトソンの顔を目にする機会はない。



(注) 以下、結末に触れています。


映画はかなり原作を忠実に映像化しているようだが、明らかに意図的に改編している点が一つある。原作ではロジャーはハチに刺されて死亡し、それがまたきっかけとなって老境のホームズの精神に影響を与えるという展開のようだが、映画ではそうはならない。ロジャーがハチに刺されるのはほとんど映画も終わり頃になってであり、しかもロジャーは死なない。この、なぜロジャーがハチに襲われたかの解明が、映画ではホームズが最も探偵らしく推理を働かせるシーンになっている。


ホームズはロジャーが刺された原因を突き止めて取り除き、ロジャーは無事退院する。最後のシーンは海沿いの高台でミセス・マンロー、ロジャーと会話を交わしたホームズがほとんど大袈裟な仕草で海を拝むシーンで幕切れとなっている。誰も死なず、ホームズはちょっとの間、心の平安を得る。そのため、たぶん映画は原作よりも多少は前向きな印象を与えて終わっていると思われる。


それにしても色々と役柄を変え、時代を飛び越えて我々の前に何度も姿を現すホームズはすごい。例えばイギリスものでは、何度も何度もシェイクスピアやオースティンが映像化される。しかし同一キャラクターがこれだけ作り手によって時代や性格、年齢が変わって登場してくるのは、ホームズ以外考えられない。


年齢というと、こうなるとたぶん次のホームズは、若かりし頃のホームズ、それもティーンエイジャーどころかそれ以前、例えば島田荘司が御手洗潔の幼い頃を書いたもののような、才気煥発、大人を手玉にとるホームズが作られるに違いない。あるいはホームズは女性になっているかもしれない。いわゆるホームズもののパスティーシュはそれこそ掃いて捨てるほどあり、たぶん活字ではそういう作品は既に現れているに違いない。考えたら、本人でこそないが、日本には三毛猫ホームズという種の違う人気ホームズまでいた。今後もホームズ人気は、増すことはあっても衰えることはないように思われる。しかし、今度こそ漱石を。










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1947年。齢90歳を超えたシャーロック・ホームズ (イアン・マッケラン) は、田舎に隠遁して保養と養蜂、そして自作執筆に取り組んでいた。それまでの彼の事件は友人のワトソンが書いたものであり、事実に誇張や改編が多く、ホームズの目から見た真実とは言い難かった。家政婦のミセス・マンロー (ローラ・リニー) は、働き者ではあったが気難しいところがあり、ホームズは彼女のまだ幼い息子のロジャー (ミロ・パーカー) に気安いものを感じていた。ホームズが書いているのは彼が現役として最後に扱った事件だった。そしてまた、請われて戦後すぐに訪れた日本での体験も、その後のホームズの人生に大きな影響を与えていた‥‥


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