Moonrise Kingdom


ムーンライズ・キングダム (2012年7月)

1965年夏、ニュー・イングランドのとある小さな島。カーキ・スカウトに所属する12歳の少年サム (ジャレッド・ギルマン) がキャンプを脱走していなくなる。同じ頃、ビショップ家の長女スージー (カーラ・ヘイワード) も家出する。実は二人は一年前に町の発表会で出会って以来、ひそかに連絡をとり合って二人で出奔する機会を図っていたのだ。スカウトのキャプテン、ウォード (エドワード・ノートン)、島のシェリフ、シャープ (ブルース・ウィリス)、スージーの両親のウォルト (ビル・マーレイ) とローラ (フランシス・マクドーマント)、そしてスカウトの面々は、サムとスージーを捜索する一大包囲網を敷く。折りしも、島には大型のハリケーンが接近しようとしていた‥‥


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とにかく癖のある作品作りという点においては定評のあるウェス・アンダーソンの新作は、ニュー・イングランド地方の小さな島を舞台に展開する、やはり癖のあるボーイ・ミーツ・ガールものだ。ビル・マーレイ、ジェイソン・シュワーツマンといったレギュラーの面々に、今回はブルース・ウィルス、エドワード・ノートンといった新たな曲者を配し、それでもやっぱりいかにもアンダーソンという世界を構築する。


世界に違和感を抱く12歳の少年と少女が、お互いに手と手をとり合って二人の住む世界から逃げ出す、周りの大人たちは彼らを追うという話なのだが、最初は皆目話の行き先がわからない。スージーは両親にも3人の弟たちにもうんざりで、毎日双眼鏡で外を覗いてばかりいる。


一方、カーキ・スカウトに所属するサムは、特に見た目がいいわけでもなく、取り柄もなさそうだ。その二人が出奔する。最初、私は外見では月とすっぽんのこの二人がくっつくという可能性にまったく思い到らず、スージーがいつも双眼鏡で外を見張っているのは、誰かきっとストーカーまがいの行為をしている者がいて、そいつに対する予防だとばかり思っていた。サムが出てきたら、当然こいつがそうなんだなと確信していた。


二人が野原で落ち合って、文字通り手に手を取ってどこかに去っていくシーンですら、最初、スージーがスーツケースを持っているのにもかかわらず、この中には衣類とかではなくサムを撃退する催涙スプレーのような防犯グッズがごろごろ詰まっており、最後にはスーツケース自体が相手を殴り倒す武器になるとしか考えていなかった。だって、どう見てもスージーの方がサムとは不釣り合いに可愛いのだ。それがサムとできているなんて思うか。


また、実はあまり大きな声では言えないのだが、このサム、私の従弟の息子にそっくりなのだ。しかも名前が、サムを演じてるジャレッド・ギルマンと同じジャレッドという。私の母の姉がアメリカ人と結婚してできた息子の次男なのだが、4分の1日本人で、一瞬見ただけでは何系かわかり難いが妙に人懐こいという雰囲気がそっくりな上、年齢もほとんど一緒で、お前、いったいいつの間にアンダーソン作品なんかで主演していたんだと、ほとんど本気で思った。それを最初、かわいい子に横恋慕してストーカーまがいの行為で撃退される役柄と確信していたわけで、私もまったく頼り甲斐のない親戚のおっさんだ。


その二人が電撃駆け落ちしてしまうと、それまではほとんど不干渉主義、放任に見えたスージーの両親、スカウトのキャプテンが、いきなり豹変したように彼らの行く先を追う。とはいってもそこはそれ、やはりちょっと見では特にスージーとサムのことが気にかかっているようにも見えないのだが、それなのになぜ周りの者を総動員してまで乗り気でない捜索活動を続けなければならないか。たぶん彼らは彼らなりにマジに二人のことを心配しているのだろうが、どう贔屓目に見ても必死な感じには見えない。


アンダーソン作品はこういう脱力感が充満しているのが特徴だが、要するにそれは今回も変わらない。いつも通りのマーレイやシュワーツマンといった常連がそれを助長するし、ノートンも結構いい味出している。考えたらマクドーマントは「ファーゴ (Fargo)」でも似たような乗りを演じている。微妙なのがブルース・ウィルス演じる島のシェリフ、シャープだが、考えたらウィリスは、アクション・スターではあるが、その多くがコメディの要素を併せ持っており、コメディと縁がないわけではない。そうそう、ティルダ・スウィントンまでいるのだ。


そういう癖のある者たちばかりでなく、サムの仲間だったスカウトの面々からも追われる立場となったサムとスージーは、二人で誰も知らない浜辺にテントを張る。二人だけで「青い珊瑚礁 (The Blue Lagoon)」のような蜜月が二人を祝福する‥‥わけはもちろんない。これはアンダーソン作品なのだ。クライマックスは、さながら前作の「ファンタスティック・Mr. Fox (Fantastic Mr. Fox)」の世界をそのまま実写化したような、破天荒なミスマッチのリアリティかつ躍動感に溢れたアクションが炸裂する。大型ハリケーンが近づき、風が吹き雨が降り雷が落ち、洪水が襲う。脱力感を伴いながら、風が吹き雨が降り雷が落ち、洪水が襲うのだ。なんでこんなことができる?


基本的に、ハリケーンの被害というのは甚大だ。昨年のアイリーンの時は、私の住むアパートは地下が水浸しになってその後始末に追われたし、日本でも中国でも、その被害は笑い事ではない。死者すら出る。それでも、私が子供だった頃の感覚から言うと、台風が直撃している最中でさえ、停電で暗く、TVが機能しないためラジオで台風情報を聞きながら、外は嵐が荒れ狂う中をロウソクの火を灯して家族で晩御飯を食べるというのは、何かしら心躍る出来事ですらあった。むろんそれはまったくなんの責任も義務もない子供だからこそなのだが、それでも、台風一過の青空はすがすがしく、非常に晴れやかな気分にさせてくれた。後始末なんか大人に任せて、さあ、また外で遊ぶぞという無責任な解放感に溢れていた。


アンダーソン作品が特にそのような晴れがましさを持っているかというと、それはまた微妙に違う気がするが、そういう気分を思い出させるある種の懐かしいような仕合わせな気持ちにさせることも確かだ。もしかしたらこれは、やはりサムが私の従弟の息子にそっくりであることとも関係があるかもしれない。今度久しぶりに従弟んちにメイルの一本でも入れてみるか。










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