Monster's Ball

チョコレート  (2002年3月)

「チョコレート」は昨年末からずっと公開されており、ハリー・ベリーとビリー・ボブ・ソーントンの主演の二人の演技がずっと評判になっていたのだが、なんとはなしに見逃していた。公開してしばらくはうちの近所の劇場に来なかったため、やっと近くでかかり始めた時は既に年が明けてからしばらく経っており、待ちすぎて公開当初の見たいという気持ちが薄らいでいたのだ。特にインディ系の映画だとこういうのがよくあり、見逃したりするのだが、「チョコレート」は既に公開して4か月経とうとしている。これだけ長い間やってるからには面白いに違いないと、やっとのことで見に行った。


ハンク (ソーントン) は息子のソニー (ヒース・レッジャー) と共に、南部ジョージア州の刑務所の看守として働いていた。同居している父親のバック (ピーター・ボイル) も元看守でがちがちの人種差別主義者であり、その影響を受けてハンクも別に考えるともなしに黒人を別の人種と見ていた。しかしソニーはそういう差別意識を持たず、しかも感受性が強いため、黒人死刑囚のマスグローヴ (ショーン・「パフィ」・コームズ) の死刑執行当日に、自分が緊張して吐いてしまうという失態を犯す。役立たずと罵られたソニーは、ハンクとバックの目の前で自分自身を撃って自殺する。ハンクは看守を辞め、ある夜、マスグローヴの未亡人となったレティシア (ベリー) が、夜の道で息子をはねられて泣き叫んでいたところを通りがかる。息子を病院に運んであげたことから、二人は急速に近づいていく‥‥


今年のアカデミー賞の主演女優賞には、ベリーと、同じく同様のインディ映画「イン・ザ・ベッドルーム」で強く印象を残したシシー・スペイセクの二人がノミネートされており、この二人のうちどちらかが受賞するのは確実と見られていた。一方は息子を、一方は夫と息子を亡くすという、どちらも自分の身近な者を失う、境遇の似ている女性を演じており、ゆっくりとしたリズムで進む作品の手触りも非常によく似ている。しかし自分の愛する者を失った両主人公がとる態度はそれぞれ異なり、一方は夫が復讐に走ろうとするのを見て見ぬ振りをし、一方は貧乏なこともあって、ただじっと耐えるしかない。しかし、そういった態度をとることによって、どちらがより結果的に満足し、多少なりとも心の平安を得ることができるかは、誰にもわからない。作品の最後では、結局一方の心の中には埋めることのできない隙間が残され、一方では、すべてを諦観して受け入れた者が、かすかに新たな希望を見出せそうな期待をもたせて終わる。


ベリーの演技の見所は多いのだが、やはりポイントはクライマックスの呆けたようで、それでいてすべてを受け入れる慈愛深い様を見せる、えも言われぬあの表情だろうか。この1年に公開された映画で最も印象に残る表情を選ぶとするならば、ベリーのラストのこの表情と、「ディープ・エンド」で息子がゲイだったという秘密を知らされた時に母親役のティルダ・スウィントンが内面の葛藤を些細な表情の変化だけで納得させるシーンとの、この二つが双璧という感じがする。「ディープ・エンド」は作品自体がもうちょっと強かったらスウィントンもオスカーにノミネートされたのは確実なのに、惜しかった。しかも「ディープ・エンド」も息子がトラブルに巻き込まれたせいで母親が奔走するという、やはり息子を軸とした巻き込まれ型だった。最近の映画においては、息子というものは母親に迷惑をかける存在以上のものではないみたいだ。


結局今年のオスカーはベリーが獲得したわけだが、ベリー、スペイセク、スウィントンの3人で争われるオスカー・レースを見てみたかった。ベリーも素晴らしかったが、この3人は甲乙つけ難い。実は本当のことを言うと、私が最もいいと思ったのはスペイセクなのだが、ベリーに較べ、あまりにも出番が少な過ぎた。それに、この作品を見た後でも、私にとってベリーの代表作はやはりTVミニシリーズの「ビューティフル・ウェディング (The Wedding)」である。あの、白人の血が入った黒人上流階級の女性 (実際にベリーはそうだ) という役をあれほど繊細かつ説得力たっぷりに演じきれるのは、ベリーしかいないと今でも思う。


しかし、彼女、ハリウッド大作に出る時と、こういうインディ映画に出る時とではなんでこうも印象が違うのか。「エグゼクティブ・デシジョン」、「X-メン」「ソードフィッシュ」と、ハリウッド大作に出た時は、「エグゼクティブ・デシジョン」でわりと好演した他は作品の飾り以上の印象は受けないが、「ビューティフル・ウェディング」や、エミー賞の主演女優賞を受賞した「イントロデューシング・ドロシー・ダンドリッジ (Introducing Dorothy Dandridge)」では、水を得た魚のようだ。「チョコレート」では貧乏な、あまり教育を受けていない女性という設定なのだが、それもまたいい。しかし、服を着ているときはあまり気づかないが、彼女のおっぱいってでかいよなあ。着痩せするタイプのようだ。「ソードフィッシュ」で脱いだ時は、前を見せることでウン万ドルのエキストラのギャラを獲得したらしいが、今回はそれよりももっと激しくやっても、ギャラは「ソードフィッシュ」のエキストラのギャラにも達してないに違いない。ハリウッド女優がハリウッド大作で金を稼ぎ、インディ映画で自分の限界に挑戦するというのは、当節の流行のようだ。


ソーントンは抑えたいい演技をしているが、私はしかし「バーバー (The Man Who Wasn't There)」の方がもっとよかったと感じた。最近「バンディッツ」等、出演作が続き、目新しさや有り難味がちょっと薄れたせいもあるかも知れない。というか、やっぱりこれはベリーの映画だからなあ。ソーントンより、息子のソニーを演じるヒース・レッジャーが、私が考えていたのよりずっとよく、意外で印象に残った。私が彼を初めて目にしたのはFOXが97年夏に放送して短命に終わったアクション・シリーズの「ロアー (Roar)」なのだが、その影響だろう、その後も「パトリオット」、「Rock You! (A Knight's Tale)」と、似たような雰囲気の作品への出演が続いた。そのため、こちらもアクション俳優という認識が抜けてなかったのだが、わりといいじゃないか。またまたオーストラリアから新しい有望株の登場という感じである。しかも最もアメリカアメリカしているはずの南部を舞台としている映画に出て、まったく違和感を感じさせない。それどころか、あの辺に行くと、確かにこういう奴いる、と思わせてくれる。


ハンクの父、バックに扮するのはピーター・ボイル。現在ではCBSの人気シットコム「エヴリバディ・ラヴス・レイモンド」によってお笑いの方での印象の方が強いが、そこでもやはり男尊女卑の我の強い役をやっている。しかしシリアスな役もこなし、「X-ファイル」で未来を感知できる男の悲哀を演じた回は、「X-ファイル」のベストのエピソードの一つだろう。死刑囚に扮するコームズは、アメリカで最も有名な黒人ラッパーの一人。パフィ・コームズというよりは、パフ・ダディという通り名の方で知られている。主要な役では彼が最も弱く、役者という感じはあまりしないが、それはそれでそれなりの味は出していた。一昨年だか、当時つき合っていたジェニファー・ロペスと一緒に赴いたマンハッタンのクラブで発砲事件を起こしたのがまだ記憶に新しいが、そういう事実があるので、彼が死刑囚を演じるということ自体にはそれなりの説得力はある。


作品として最も納得しづらいのは、ボイル演じるバックのような、がちがちの差別主義者がまだこの世に存在するのかということ。 いまだに人種差別主義者というのが存在することはよくわかるが、21世紀の現在では表面上はともかく、差別はもっと陰湿に、水面下に沈んでいるもののような気がする。黒人と面を合わせて堂々と差別用語を発するバックのような人間の存在は、たとえそれが年老いた人間であろうとも、ほとんどリアリティを欠いた存在のように私には思える。それとも田舎に行くと、やっぱりそのような白人はまだまだ多いのか。それとハンクとレティシアが親しくなっていく時のきっかけが、あまりにもよくできた偶然が度重なって起こりすぎるのもちょっと気になった。偶然は一回だけなら偶然で済ませられるが、何度も続くと作為が見え隠れする。ハンクの行きつけのレストランでレティシアがウエイトレスとして働き始める、なんていうのは、もうちょっとなんかやりようがあるのではと思った。また、家を追いだされるほど貧乏なのに、いつもキャンディ・バーをしこたま買い置きできるでぶの息子はどこから金を得ているんだ。全部万引きしてきたのか。


監督のマーク・フォースターはアメリカ南部の雰囲気をよく映し撮っているのでてっきりアメリカ人監督に違いないと思わせるが、スイス生まれである。前作の「エヴリシング・プット・トゥゲザー (Everything Put Together)」も、子供を死産した女性の苦悩を見つめる、人間の内面を重視したドラマだったらしい。次回作はジョニー・デップ主演が決まっているそうで、それもまた同様の人間ドラマになるみたいだ。しかし本人の写真を見て、なぜだかジョン・ウォータースを連想するのは私だけだろうか。







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