Moneyball


マネーボール  (2011年10月)

ビリー (ブラッド・ピット) はかつてベイスボール・プレイヤーとして将来を嘱望されながらも夢叶わず、今ではメイジャー・リーグで1、2を争う貧乏球団のオークランド・アスレチックスのジェネラル・マネージャーとなっていた。それでも今季はなんとかポスト・シーズンまで行ったが、シーズン終了後にジョニー・デイモンやジェイソン・ジアンビの移籍が確定しており、それらの大砲が抜けた穴を埋める必要があったが、先立つものがなければ大物プレイヤーは呼べない。他球団との交渉に飛び回るビリーは、とあるミーティングでピート (ジョナ・ヒル) を目に留める。アイヴィ・リーグ卒でいつもスーツ姿のピートは、プレイヤーの経験や人気よりもデータ重視の独自の理論で一目置かれる存在だった。ビリーはピートを引き抜き、彼の意見を聞いて、全盛期を過ぎたデイヴィッド・ジャスティスや、故障したスコット・ハッチバーグらを破格で獲得する。しかしそういう異端のやり方が他のスタッフに受け入れられるわけもなく、ビリーはほとんど孤立したまま新シーズンを迎える。案の定、噛み合わないチームは負けが混み始めるが‥‥


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「マネーボール」は、2003年に発行されたマイケル・ルイス著の「Moneyball: The Art of Winning an Unfair Game (邦題: マネー・ボール)」の映像化だ。異端の指揮官として、2000年代前半にメイジャー・リーグのオークランド・アスレチックスを率いて何度も地区優勝を果たした、ジェネラル・マネージャーのビリー・ビーンと、彼が採用したマネー・ボール理論を構築したピーター・ブランドとの二人三脚を描く。ビーンを演じるのがブラッド・ピット、ピートを演じるのが「スーパーバッド (Superbad)」のジョナ・ヒルだ。演出は「カポーティ (Capote)」のベネット・ミラー。


実は実際に作品を見るまで、映画の中で描かれているマネーボール理論と、それを実践したビリー・ビーンという人物の存在を知らなかった。アスレチックスが2002年に現代ベイスボールとしては史上初の20連勝という偉業を達成した時は、TVでやたらと報道されていたのでなんとなく覚えているが、せいぜいそれくらいだ。「マネーボール」は、その20連勝を達成した試合、11-0でリードして新記録達成を誰もが確信していながら11-11に追いつかれるという信じられない追い上げを食らい、9回にマネーボール理論で獲得したハッチバーグがホームランを打って勝つという、劇的な勝負をクライマックスとして描いている。


マネーボール理論とは、いわゆる数字を重視してプレイヤーを登用するやり方だ。とはいえ、単に打率がいいから打順を1番に据え、長打力があるから3番4番とかいうのではなく、四球もヒットも出塁率としては等価という考え方から、打率が低くても、よく四球で塁に出るバッターを評価するという考え方だ。要するに数字の解釈の仕方がこれまでと違うのが、マネーボール理論だ。これによって、それまでは過小評価されていた、すなわち年棒の低いプレイヤーを起用しながら、なおかつ勝てるチームを構築し、MLB業界に旋風を巻き起こした。


とはいっても、特に私のような門外漢から見ると、数字というのはやっかいというか、騙されやすい。実はかなり恣意的に操作できるのではないかという懸念を捨てきれない。あるいは端的に、ぴんと来ない。例えば私は、このホーム・ページの広告にグーグルのアドセンスを導入しているが、その解析に使用される数字を見ても、では、どうすればいいのかなんて、ほとんどわからない。


ページビュー、クリック数や見積もり収益額なんてのは見ればわかるが、CTR、CPC、RPMなんて経済の専門用語が出てくると、お手上げだ。で、どうすればいいのかと思ってしまう。要するにピートがやっていることがこれだろう。解釈の仕方で、それまでは光の当たらなかった部分に目を向け、その部分に仕事させることができる。物事を数値に置き換えることができれば、それは計算できるものとなり、この数値を向上させるために何をすればいいかが、曲がりなりにも提案される。しかし一方でその数字を人間に照射して当てはめる時、それが関係する人間の気持ちを斟酌するかどうかはまったく別問題だ。ピートとビーンが最初遭遇したのが、この、いかにも人間臭い感情による反発だった。


とはいえ、たぶん、やがてそういう関係者の気持ちも数値化され、たとえば最も人に痛手を負わせることなく解雇することのできるやり方というのが開発されるに違いない。というか、それをやったのが「マイレージ、マイライフ (Up in the Air)」であり、やがてアスリートもロッカー・ルームで肩を叩かれるのではなく、帰宅途中のクルマの中で、TV電話やテキストで解雇通知を受けるのかもしれない、などと思うのであった。


上にも例を挙げたが、マネーボール理論が映画の中で語られる時に最も印象的に描かれるのが、ビーンがフロント陣を相手に盛りの過ぎたプレイヤーを獲得する理由として、彼は出塁率が高い、と説得、というか押し切るシーンだ。ヒットは打てないが四球が多く、そのため打率は高くないが出塁率は高いというプレイヤーに着目するという視点は、たぶん新しいものではないが、それを特に重用してスタメンに組むという発想は、なかなか抵抗に遭うと思う。


ベイスボールは、投げてくるボールを打ち返して初めて成立するスポーツなのだ。バッターがバットを振らなければ、ベイスボールにならない。メイジャー・リーガーで最も恥とされるのは見送りの三振で、手を出さない、もしくは手が出なかったというのは最も忌むべき姿勢だ。だから、たとえ出塁しようとも同様にバットを振っていない四球はあまり評価されない。数字の上では出塁率という点では同じかもしれないが、印象としてはシングル・ヒットと四球は決して等価ではない。


とはいえ、四球が狙ってできる簡単なものかというと、それも違うだろう。もし最初から四球狙いでまかり間違って三振したりなんかしたら、観客のブーイングはおさまらないだろうし、チームメイト、相手チームに限らず、すべての関係者からバカにされるだろう。正直言ってキャリアの息の根を止められると思う。


かつてヤンキースで4番を打っていたポール・オニールが、あれはどのチームと対戦している時だったか、ワールド・シリーズで、塁に出ることだけを目的に最初から四球狙いで、ストライクのボールをすべてカットしてファウルにしていたのを見たことがある。十何球かくらい粘って、四球になって出塁していた。十何年前に見たそのシーンをいまだにはっきりと覚えているくらいだから、よほど印象に残っているわけだが、それくらいメイジャー・リーガーは狙って四球で出塁しようなどとは思わない。それなのになりふり構わずとにかく来るボール来るボールをすべてカットしたということもさながら、最終的にそれをもぎ取った力というものも感じた。その時の観客がオニールにブーイングしなかったのは、私同様オニールに感心したからだろう。


ヤンキースといえば、映画の冒頭で描かれる、アスレチックスがヤンキースに2連勝した後3連敗を喫するという煮え湯を飲まされた2001年のポスト・シーズンは、9/11の直後に行われた。この時、オークランドのファンを除き、アメリカ中のほとんどのベイスボール・ファンはニューヨークの復興を願い、ヤンキースを応援していた。したがってこの年アスレチックスがヤンキースに敗れたのは、単にその時のチームの調子やラインナップ以外の背景を考える必要がある。むろん映画が描いているのはその翌シーズンのアスレチックスだが、冒頭に描かれる対ヤンキース戦において、その辺に触れることは意味のないことではないと思うが、ばっさりと切り落とされている。


「マネーボール」は、アメリカではちょうどメイジャー・リーグの公式戦も終わり、ポスト・シーズンに入る時期に合わせて公開された。これで今年アスレチックスがワールド・シリーズとは言わないまでもせめてリーグ・チャンピオンシップに出られたなら、それこそが最も効果的なパブリシティになったろうに、そうは問屋が卸さなかった。


というか、実はアスレチックスは2006年以来プレイオフにすら出ていず、近年ははっきり言って低迷している。というのも、革新的だったマネー・ボール理論を、他の球団も、全部とは言わないが、ポイントだけ真似し始めたからだと言われている。マネー・ボール理論が生きるのは全球団でアスレチックスだけがこの理論を実践しているからであり、他の球団も同じことをし始めたら、結果として潰し合いをするだけになってしまう。ビーンはいまだにアスレチックスのジェネラル・マネージャーだが、果たして彼がワールド・シリーズに出られる時は来るのだろうか。









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