Minamata


MINAMATA―ミナマタ―  (2022年10月)

少し前のことだが、日本を舞台にした、ハリウッドを含む海外資本による、大作と言ってもいいだろうと思える作品が、2本公開されていた。「ブレット・トレイン (Bullet Train)」のことではない。かの小野田寛郎のドキュドラマ「ONODA 一万夜を越えて (ONODA)」と、この「MINAMATA―ミナマタ―」だ。 

 

公開されていたといっても、アメリカでは都市部での単館上映もしくは映画祭サーキット上映に限られており、予告編を見たことは一度もない。この2作品についても、日本在住の知人から聞かなければ、知らないまま終わっていただろう。日本ではこういう作品が公開されているけどそちらではどうなのと訊かれて、初めて知ったというのが本当のところだ。 

 

特に、フランス資本で、アメリカでは主題がほとんど知られていず、しかも上映時間3時間の「ONODA」がアメリカで拡大公開される可能性は、最初からほとんどなかったと思える。一方、アメリカを代表するスターであるジョニー・デップが主演している「MINAMATA」の場合は、事情が少し異なる。 

 

デップがハリウッドを代表するスターの一人ということに疑義を挟む者はいないと思うが、その集客力に陰りが見えていることは、近年の主演作品の興行成績の不振が如実に物語っている。さらにデップのイメージにとって大きくマイナスだったのは、元妻のアンバー・ハードを名誉毀損で訴えた裁判だ。最終的にデップ勝訴で結審しているが、何が真で何が偽だったかはともかく、この裁判がかなりデップ人気を損ねたことは間違いないだろう。 

 

そういう時期に、デップが日本の公害病を世界に知らしめた写真家に扮する作品に対して、ハリウッドが宣伝費を使うのを渋ったのは想像に難くない。結果として、多くの者は作品の存在を知らずに終わった。 

 

水俣病は、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、新潟水俣病と共に、日本4大公害病の一つに数えられる。熊本のチッソ水俣工場の廃液に含まれたメチル水銀化合物による水銀中毒によって、多くの犠牲者が出た。 

 

水俣病がMinamataとして通じるほどアメリカでも知られているのは、取りも直さずデップが作品で演じている主人公、ユージン・スミスが、水俣で水俣病患者を写真に撮り、それを1970年代当時を代表する世界的雑誌のLIFEで発表したからに他ならない。映画の冒頭と最後で描かれるこの写真「入浴する智子と母 (Tomoko and Mother in the Bath)」は、当時の人々に大きなインパクトを与えた。 

 

私が初めてスミスを知ったのは、一方の代表作である「楽園への道 (The Walk to Paradise Garden)」でだったので、スミスがどちらかというと、従軍カメラマンとして名を成したことを知った時は、最初意外に感じた。とはいえ戦争は、カメラマンとして成功するのに最も手っ取り早い手段だったろうし、彼なりの正義感もあったろう。なんとなく、あまりメリットがありそうもないのに離婚した元妻を訴えたデップも、金とかの問題ではなく、彼なりの正義感のようなものがあったのではないかと思われる。つまり、私は結構デップのスミス役は悪くないと思ったのだった。 


 




 






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1971年、著名カメラマンのユージン・スミス (ジョニー・デップ) は、ほとんど仕事をセず、ほぼ酒浸りでニューヨークに住んでいた。そこへ現れた日系の女性アイリーン (美波) は、是非日本にって水俣を取材すべきだと強硬に主張する。最初は渋るスミスだったが、執拗なアイリーンに根負けして、LIFE編集長 (ビル・ナイ) を半ば強請して日本行きを納得させる。水俣で取材を続けるスミスは、状況を世界に知らしめるためには、通り一遍の写真ではなく、被害を被った人々の生の写真を撮る必要があることに気づく‥‥ 


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