Me, Myself & Irene

ふたりの男とひとりの女  (2000年6月)

ジム・キャリーが「ミスター・ダマー」で組んだボビーとピーターのファレリー兄弟ともう一度組んだはちゃめちゃコメディ。キャリーは今回は、気が弱いために二重人格となる白バイ警官チャーリーを演じる。マドンナ役のアイリーンに、「ザ・エージェント」のレネ・ゼルウェガー。


小人の黒人に妻を寝取られ、自分の子でもない3人の(黒人の)息子と共に暮らすチャーリー。小心者で優しいチャーリーはしかし皆から馬鹿にされ、自分でも知らないうちに心の中に凶暴なもう一人の人格、ハンクを形成していた。ある時ついに心の中の堤防が崩れ、ハンクが表に出てきて、好き放題の限りを尽くす。しかも我に帰ったチャーリーは何も覚えてないというから始末が悪い。そんなある日、ちょっとした悪事で捕まったアイリーンが、チャーリーの勤める警察署に連行されてくる。ハンクが手に余るためチャーリーに暇をとらせたい上司は、いい機会だとばかりにチャーリーにアイリーンをニューヨークまで送り届けさせる役目を仰せつける。しかしその上司が知らなかったことには、アイリーンが知っている事実はニューヨークの警官上層部の汚職にかかわることで、二人をなき者にしようと追っ手が動き出していたのだ‥‥


もちろん以上がマクラで、本当の物語 -- チャーリーとアイリーンの旅道中 -- はこれから展開するのである。気の弱い男がぷっつんくるともう一人の凶暴な自分に変貌するという設定は、なんか井上三太の「隣人13号」を彷彿とさせるが、日本ではそれが恐怖マンガになり、アメリカだとコメディになるというのが国民気質の差か。とにかくこれでもかとばかりのキャリーの顔面芸とお下劣ギャグを満喫させていただきました。


ハンクに変貌したチャーリーのお下劣ギャグや、アイリーンに蹴られたチャーリーが崖下に落ちていくといった、相も変らずの身体を張ったギャグにも笑ったが、しかしなかでも私が爆笑したのが、旅道中の間にいい仲になったハンクとアイリーンが一夜を明かした後、翌日ケツが痛くなったチャーリーが目覚めると、なんとアイリーンのそばには巨大な大人のおもちゃが!というギャグである。アイリーンにそんなものを俺のケツに突っ込んだのかと詰問するチャーリーに、アイリーンは、いや、あんたが自分で自分のケツの穴に突っ込んだと説明する。


次のシーンでは洗面台の上に座ってケツを冷しているチャーリー、という風になるのだが、いやあ笑った笑った。実はこの映画、女房と一緒に見に行ったのだが、私があまりにも大受けするので彼女は唖然としていた。私がびっくりして、あれ、おかしくない? と訊くと、おかしいはおかしいが私のように腹を抱えて爆笑するほどではないという。あんたもアメリカ人になったねえとしみじみ言われてしまった。あれ、え、そうかなあ。それほどおかしくないかなあ。私はケッサクだと思ったんだが。


最近、アメリカのコメディは、ウッディ・アレンのようなシニカルで知的なコメディもないではないが、このような下品系のコメディが主流である。この傾向はやはりファレリー兄弟が作った「メリーに首ったけ」で、主人公のベン・スティラーがちんぽこの皮をチャックに挟むという下品ギャグをかましたあたりから主流になってきたような気がする。「メリーに首ったけ」は物凄くヒットしたのだが、以来この手のコメディが増えた。「アメリカン・パイ」で童貞小僧がパイを使ってマスターベーションをしたり、今上映中の「ビッグ・ママズ・ハウス」でも、女性に扮したマーティン・ローレンスが女性に添い寝していて、私のお尻をつついているものは何と質問されたりする、そういう、セックスや生理を茶化したギャグが全盛となっている。


もちろんこの種のギャグはいつの時代にもあったはずで、「サテデイ・ナイト・ライヴ」などはその宝庫と言えるのだが、ここまで主流になったことはなかった。おかげで、主要観客がティーンエイジャーのはずのコメディで、「ふたりの男とひとりの女」はティーンエイジャーの入場には成人の同伴が必要というRレイティングがつけられての公開となった。いったい、ジム・キャリーの映画をティーンエイジャーの誰が親同伴で見に行くというのだろう。しかし製作者は、ちょっと編集でカットを施して1ランク下の親同伴を必要としないPG-13レイティングで公開するよりも、たとえ親同伴が必要であろうとも、ギャグのインパクトに手を入れないRレイティングの方が最終的には映画のためになると判断したようだ。私もその判断は正しかったと思う。やはりああいうのを水割りで出されてもね。げー、お下劣ー、くだんねえーと言いながら爆笑したいと思うのだ。


しかしこういうお下劣ギャグに圧倒されて見逃してしまいそうになるが、お人よしチャーリーから悪漢ハンクへの変貌を、CGに頼るのでもなく顔面芸でこなしてしまうキャリーの演技力?は脱帽ものである。本当に人のよさそうな顔から人の悪そうな顔になるのだ。大した顔面芸である。自分の中のチャーリーとハンクが争う一人ファイトも結構芸の見せ場なんだが、「ファイト・クラブ」で既にエドワード・ノートンがやっているため、残念ながら二番煎じの感は拭えない。惜しい。それでも「トゥルーマン・ショウ」や「マン・オン・ザ・ムーン」等のどちらかというとシリアスな分野でも頭角を現してきているし、数年後にはアカデミー賞もとるだろうな。


ゼルウェガーは、角度によってはえらく可愛く見えたり、ほとんどブスに見えたりもするのだが、そういうところが隣りの可愛い子ちゃん的な雰囲気で受けているのだろう。この作品では特にはまっているというわけでもなく、マスコミ評でもゼルウェガーは浮いているという意見をよく目にした。でも私は結構彼女が好きだなあ。あの大き過ぎない目とか、可愛らしいおちょぼ口とか、舌足らずな喋り方とか、守ってあげたいタイプである。でも実はとても気が強い女性という風にも見えないではないが。


天才の太っちょ息子3人組(一人は別にデブではないが)は、面白いキャラクターだからもっと活躍の場があってもいいと思うのだけれど、これはキャリーの映画だからしょうがないか。家で量子物理学を自習していたり、これまで触ったこともないヘリコプターをドイツ語のマニュアル片手に飛ばしてみせたりするのだが、なんといってもこの兄弟の醍醐味は、4文字言葉を連発する汚い会話の応酬にある。いやあ、天才物理学者フェルミと4文字言葉が同じ文脈で出てくるおかしさはなんとも言えない。


それと私の好きな俳優の一人であるクリス・クーパーが、悪役警官の上玉として出演している。キャリーのコメディだし、とりたててこれといった見せ場があるわけでもなく、簡単にキャリー/ゼルウェガーに手玉にとられるなどいいところはほとんどないのだが、やはりそれでも彼は渋い。いい顔している。善玉に扮すれば善玉の渋みを出し、悪役をやればあくどい渋みを出す。ああもったいない使われ方。それから、今週末からウィンブルドンが始まったが、なんと、あの可愛い顔で人気急上昇中のアナ・クルニコワがカメオ出演している。キャリーとゼルウェガーが泊まったモーテルで証言する一市民の役なのだが、あまりにも意外で本当に彼女?と思っていたら、ちゃんと最後に名をクレジットされていた。彼女はテニスを辞めてもすぐにでもハリウッド入りできそうだ。






< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system