Matchstick Men


マッチスティック・メン  (2003年9月)

詐欺師のロイ (ニコラス・ケイジ) は相棒のフランク (サム・ロックウェル) と組んで、小金を貯め込んでいた。ロイは異常な潔癖症で、不潔なものが病的に嫌いで発作を起こしそうになるため、医者に薬を処方してもらっていた。新しくかかった精神科医 (ブルース・オルトマン) は、ロイは心の病いを治すため、昔別れた妻との間にできた娘アンジェラ (アリソン・ローマン) と会うことを勧める。奔放なアンジェラに最初はペースを狂わされるロイだったが、いつの間にか二人の間には別れがたい絆が結ばれつつあった。そして一方、ロイはアンジェラが類い稀な詐欺師のセンスを持つことを発見する‥‥


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原作は、恐竜の私立探偵という人を食ったハードボイルド「鉤爪 (Rex)」シリーズで知られているエリック・ガルシアで、私はこのシリーズは読んだことはないが、映画のノリは、なんとなくエルモア・レナードに近いものがあるかなという感じだ。しかし、本当のことを言うと、私はなんでリドリー・スコットがこういう映画を撮るのか、よくわからなかった。これまでの作品で言うと、最も傾向が似ているのは、普通の家庭の主婦が道を外れていく「セルマ&ルイーズ」かなと思うが、あれだってかなり強烈な癖のある作品だった。それに較べると、一応最後にどんでん返しが用意されているとはいえ、「グラディエイター」「ハンニバル」「ブラック・ホーク・ダウン」と続いてきた最近のスコット作品と較べると、「マッチスティック・メン」はいかにも小粒だ。


とはいえ、スコットと「マッチスティック・メン」は、デイヴィッド・リンチと「ストレート・ストーリー」ほど意外性があるわけではない。いずれにしても、このような、映像、内容、共に強烈な作品を撮ってきた両監督が、ここに来てこういう小粒、あるいは一種の道徳譚のような話を撮るということが、一種不思議である。多分、映画監督にもバランスというのが必要で、いつもいつも一線を超えたような衝撃的な作品ばかりを撮ってはいられないんだろう。


主演のケイジは、これまで彼が演じてきた役柄の延長線上にある、エキセントリックな性格の男を演じている。詐欺師という犯罪者の役柄ではあるけれども、心の中まで黒く染まっているわけではなく、実際は「あなたに降る夢 (It Could Happen to You)」や「天使のくれた時間 (The Family Man)」等の、彼が得意とする心優しいアウトサイダー系に近い。その中でも、今回、私が最も似たような印象を受けたのが、コーエン兄弟の「赤ちゃん泥棒」である。私の意見では、「マッチスティック・メン」は、スコット版の「赤ちゃん泥棒 (Raising Arizona)」なのだ。もちろん両作品では設定はかなり異なるけれども、両方とも犯罪映画でありながら、暗っぽさや湿っぽさにはほとんど関係なく、それなのに道徳的な人情譚として仕上がっている。一方がアリゾナ、こちらはLAという、共にほとんど雨が降らず、いつも明るい画面という風景の湿り気のなさも似ているが、なんといっても完全なハッピー・エンドではないにもかかわらず前向きに終わる、最後の余韻がそっくりだ。


ケイジ (ロイ) の娘アンジェラを演じるのがアリソン・ローマンで、FOXで短命に終わったプライムタイム・ソープの「パサディナ」に主演していた。現在わりと主流の普通系の女の子で、「パサディナ」の時は、なんでこんな普通の子がよりにもよってソープ・オペラの主役を張っているのか不思議でならなかったのだが、ここでは無理なく役にはまっている。しかし、既に24歳で、撮影当時は23歳としても、14歳 (だったと思う。いずれにしてもロウ・ティーンだ) の役の子を演じて違和感ないというのは、恐るべし童顔だ。とはいえ最後の方で化粧バリバリにすると、確かに年相応には見えたが。フランクを演じるのがサム・ロックウェルで、こないだもジョージ・クルーニー初監督の「コンフェッション (Confessions of a Dangerous Mind)」でえらく誉められていた。若い時のゲイリー・オールドマンそっくり。


実は、最近、こういうコン・ゲームものに慣れているせいもあって、クライマックスになる前にオチが読めてしまい、騙されて最後にあっと驚く快感に浸れないことが多くなってきた。「マッチスティック・メン」もその一つで、伏線とかそういうものをうまく読んだとかそういうことではなく、なんとくなくぴーんと展開が読めてしまった。物語に浸ることができず、損した気分になるのであまり読み巧者にはなりたくないと思っているんだが、こうなるんじゃないかなと思った通りに物語が展開していく。


それはそれで面白かったんだが、本当に面白い作品だと、そういう、観客に予想させる、ということすらさせないでぐいぐい物語に引き込んで行ったりする。要するに、やはり、「マッチスティック・メン」は、これまでのスコット作品のような、少しくらい辻褄など合わなくとも強引に力づくで納得させる、みたいな作品ではなく、なんとなく次の作品を撮る前の肩慣らし的な印象が強い。しかし、その前に撮った作品群を眺めてみると、確かにこの辺でちょっと息抜きしてこういう作品も撮りたくなるだろうなとは思う。次の作品は、またラッセル・クロウと組む歴史大作の「トリポリ (Tripoli)」だそうで、やはりそちらの方が見てみたいかな、などと贅沢な感想を持ったのであったが、実は「トリポリ」公開は2005年なのだそうだ。まだ先は長い。







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