Look at Me (Comme une Image)   みんな誰かの愛しい人  (2005年4月)

著名な文筆家の父エチエンヌ (ジャン-ピエール・バクリ) を持つロリータ (マリルー・ベリ) は、しかし、ちょっとオーヴァーウェイトで美人とも言えず、父はあまり彼女のことをかまってくれなかった。一方、売れない文筆家のピエール (ロラン・グレヴィル) と結婚しているシルヴィア (アニエス・ジャウィ) は音楽教師として生計を支えていたが、彼女が教えている目立たない生徒の一人がロリータだった。シルヴィアとピエールはロリータを介してエチエンヌと知り合いになり、別荘に招かれるまでになるが‥‥


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「ムッシュ・カステラの恋」以来の監督第2作となるアニエス・ジャウィの新作。ジャウィは既にセザールやカンヌやヨーロッパ映画賞等の常連となった感があり、あまり派手さはないが現在のフランス映画の一角を担う中堅という気がする。ジャン-ピエール・ジュネやリュック・ベッソンのように派手に注目されたりすることこそないが、むしろ彼女こそ現在のフランス映画を背負って立つ大黒柱の一人と言ってしまってもいいんではないか。


前作でもそうだったが、ジャウィはいかにもありそうな生活の断片を切り取ってくるのが抜群にうまい。「カステラ」が演劇界、今回が文筆界と、市井の人々の生活から見れば少し一般的ではない職業の世界が舞台として選ばれていることが、本当にごく当たり前の人々とは一線を画すかもしれないが、ジャウィがよく知っている世界を書くことが必須と思えるため、それは致し方あるまい。その点さえ抜きにすれば、登場人物のそれぞれがいかにも本当にいそうな人物として造型されており、この中の何人かは観客のそれぞれの身近に必ずいるはずだ。


そうした日常生活の中でのエスプリを利かすことや、スパイスを利かせた恋愛の機微こそがフランス映画の真骨頂であり、端的に観客、というか私がフランス映画に期待しているものでもある。ちゃんとエリック・ロメールの衣鉢を継ぐ者が現れるところが伝統という気がする。


しかしジャウィ作品はよく見るとロメール作品とはかなり違っており、いくつになっても結局どうしても恋愛絡みで世界を見渡すことこそが人生の本質であると信じて疑わないロメールに対し、ジャウィの場合は恋愛だけでなく、もうちょっといろいろな要素を取り込んだ集合体として扱われているように見える。とはいえ、それでも恋愛がその重要な一部を占めるものであるのは変わりなく、主人公がちょっと体重過多であろうがどうしてもボーイ・フレンドは気になるし、愛情がなくなれば本人の年齢にかかわらず人は去ったりもする。


実際、オーヴァーウェイトの女の子、それもティーンエイジャーではなく、二十歳という成人した、一見どう見ても冴えない女の子が主人公で、恋愛を絡めるというと、そういう内容をもしアメリカで撮るとしたら、どうしても癖のある、いかにもインディ的な作品になるのは避けられない。頭に浮かぶのはトッド・ソロンズならこういう題材でも撮るかなということくらいだが、同様にブスいオタクという設定の「ゴースト・ワールド」のソーラ・バーチなんか、逆に可愛いと思う者の方が多いんじゃないか。つまりそういう設定だからといって、登場する子が本当にブスだとは限らない。


それなのに「みんな誰かの愛しい人」の主人公ロリータは、いかにも名前負けした (というふうにしかほとんどの日本人は感じないだろう) 女の子で、ボーイ・フレンドにとってはたぶん押さえの一人に過ぎず、父からも愛されておらず、こういう子にありがちだが、思い込みが激しい。そういう一見、どう見ても取り柄がなさそうな子を主人公にして、いつの間にやら感情移入させるという難業に挑み、ほとんど成功しているのを偉業と言わずして何を偉業と言えばいいのか。


こういう作品が普通に撮れるところがフランス映画の醍醐味である。同じように歴史があろうとも、イギリスや日本で同様の題材を同じように撮ることは叶うまい。どう見ても可愛いとは言い難いロリータであるが、いつの間にやら彼女にも一応ボーイ・フレンドがあり、彼女に懸想する男の子も現れるのがなんの違和感もなくスクリーンに収まる。どうやったらそういう子をうまく主人公として提出できるかを考えたのではなく、たぶん、その点についてはあまりにも当たり前のことなので最初からまるで考えてなぞいなかったというのが本当のところなのではないか。ロリータはロリータなりの世界でボーイ・フレンドや父親や継母との関係を絶えず再構築しているのであり、それを無理なく観客に受け入れさせる。うーん、フランス映画だなあ。


「カステラ」でもそうだったが、結局、世界はすべて事がうまく運ぶとは限らない。うまくいった関係もあれば壊れた関係もある。それなのに見た後に前向きのハッピーな気持ちにさせてくれるのは、結局、登場人物が前向きで、うまくいった者だけでなく、いかなかった者も壊れた関係の後にさらに前進しようとする姿勢が感じられるからだろう。そうそう、恋愛に対して前向きであるというのは、人生に対して前向きであるというのと同義なのだ。






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