Leatherheads

かけひきは、恋のはじまり (レザーヘッズ)  (2008年4月)

1925年。人気沸騰のカレッジ・フットボールに較べ、プロ・フットボールは閑古鳥の鳴くスタジアムでのプレイで、当然プレイヤーは満足に賃金ももらえず、プロ・リーグは存亡の危機に瀕していた。ブルドッグスのドッジ (ジョージ・クルーニー) は、当時圧倒的人気のあったカレッジ・プレイヤーのカーター (ジョン・クラシンスキ) をチームに引き入れることで人気上昇を画策する。一方、戦争の英雄でもあったカーターの話にうさん臭いものを嗅ぎとった女性記者のレクシー (ルネ・ゼルウェガー) も、社命を帯びてチームに接近してきた‥‥


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「コンフェッション (Confessions of a Dangerous Mind)」、「グッドナイト、グッドラック (Good Night, Good Luck)」と、モノクロ映像の野心的な試みが続いたジョージ・クルーニーが監督として三たび挑戦するのは、 1920年代、黎明期のプロ・フットボール・リーグのてんやわんやを描くスポーツ・コメディの「かけひきは、恋のはじまり (レザーヘッズ)」だ。カラー作品であり、野心的作品というよりも、ごく正攻法のいかにも正統派ハリウッド的コメディだ。前2作との共通点は今回も時代ものになったくらいで、それ以外はまったく異なったものに挑戦している。その意味ではやはり野心的と言えなくもない。


アメリカには4大プロ・スポーツがある。フットボールのNFL、ベイスボールのMLB、バスケットボールのNBA、そしてアイス・ホッケーのNHLだ。この中では、やはり人気という点ではNFLが断トツに高い。そのことはNFLの優勝決定戦「スーパーボウル」のTV中継が毎年年間最高の視聴率を稼ぐことからもわかる。たとえ「アメリカン・アイドル」や「CSI」がリアリティ・ショウやドラマとしてアメリカで最も人気のある番組といえども、「スーパーボウル」は軽々とその3倍以上の視聴者を獲得しているのだ。


しかしそのプロ・フットボール、そもそもの黎明期は当時圧倒的人気のあったカレッジ・フットボールに、人気という点ではその足下にも及ばなかった。「レザーヘッズ」はその時代のフットボール・リーグ、およびそのプレイヤーたちの悪戦苦闘を描く。なんせプロのチームだというのに準備してあるフットボールは1個しかなく、途中でボールが使えなくなると、その試合は没収試合となってしまう。そのルールを逆手にとって、ボールをちょろまかして負け試合から逃れるなんてことを本気で画策する。むろんそんなゲームを見に観衆が集まるわけはなく、人気はジリ貧であった。


しかしそれでもプレイヤーたちは、このスポーツが好きでほとんど賃金無視で集まっている者たちばかりだった。その中の中心人物と言えるブルドッグスのドッジは、当時のカレッジ・フットボールの花形プレイヤーだったカーター人気に目をつける。もし彼がカレッジ・フットボール卒業後にプロ入りすれば、その人気をプロ・リーグに移行できると考えたドッジはカーターに接近、口八丁手八丁でプロ入りを約束させる。


一方、第一次大戦時の戦争の英雄でもあったカーターの経歴にうさん臭いものを感じていた者がいた。突撃型の女性雑誌記者レクシーで、社命を受けたレクシーもカーターに接近する。そしてドッジもカーターもレクシーに惹かれたものだから、問題はプロ・フットボールの将来というだけに留まらず、さらに三角関係も絡み、その上プロモーターのフレイジャーの思惑も巻き込んで事態は二転三転する‥‥


クルーニーが演じるのがもちろん主人公のドッジだ。昨年の「フィクサー (Michael Clayton)」なんてシリアスな役の後はこういう肩の力を抜いたコメディで、近年はだいたいシリアスものとコメディものと交互に出るという感じが定着しつつあるようだ。演出の点でもシリアスや野心作一辺倒では続かない、というか、やはりこの辺でこういう作品に手を出してみたかったんだろう。


そして実際、クルーニーってこういう作品によく合う。今時髪を七三に分けて決まるオーソドックスなハンサムというのはめったにいないと思うが、それができるのがクルーニーだ。今回は時代が時代ということもあり、クルーニーが往年のクラーク・ゲーブルとイメージがかなり被る。スクリュウボール・コメディとしてもジャンル分けできないこともない「レザーヘッズ」が想起させるのは、ずばりゲーブルが主演した「或る夜の出来事 (It Happened One Night)」だ。ドッジとルネ・ゼルウェガー演じるレクシーが列車の個室に同室して、寝台のカーテンごしにかますギャグというのは、これはもう明らかに「或る夜の出来事」を意識しているのは間違いない。


そして、そういうライト・タッチのコメディをクルーニーがちゃんと演出することに感心する。元々芽の出ない下積みの時期が長かったというクルーニーは、同様に下積みから経験を積みながら徐々に俳優としてだけでなく演出の道に進んできたクリント・イーストウッドとも実は経歴が似ている。現在では大御所のイーストウッドも、一番最初に演出した作品は、「恐怖のメロディ (Play Misty for Me)」という異色サスペンス・ドラマだった。まず野心的な試みから演出の道に入るという点もそっくりだ。


こういう、過去の大ヴェテラン俳優、現在の最も尊敬されている映画監督と比較称揚されるクルーニーは、もしかしたら今後のハリウッドを背負って立つ演出家の筆頭と言えるかもしれない。下積みの経験に加え、クルーニーはスティーヴン・ソダーバーグ、コーエン兄弟という当代一流の演出家との交流も深く、彼らから学んだものも多いだろう。その点、やはりイーストウッドがドン・シーゲル、セルジオ・レオーネといったその道の先達から多くを学んだであろうこととこれまた軌を一にしている。


スクリュウボール・コメディとしても機能している「レザーヘッズ」では、そのクルーニーはルネ・ゼルウェガー演じるレクシーと恋仲になる。実はゼルウェガーは特に最近、美人というよりも癖のある主演、つまり昔で言えばベティ・デイヴィスやジョーン・クロウフォード系を彷彿とさせる。デイヴィスといえばその大きな瞳を誰しも覚えているものだが、ゼルウェガーも、特に大きい瞳というわけではないが黒目が大きくて、やはり瞳が印象的な女優だ。さらに、実はかなり根性がありそうな印象を私は彼女に対して持っていたのだが、そういう印象と、スッポンみたいに獲物に食いついたら離れないスクープ専門の女性雑誌記者という役柄が合っている。その上不思議と前近代的なゴージャスな赤いドレスが似合う。うーん、ゼルウェガー、なかなかいいと思わせてくれるのだ。


その主演の二人にカリスマ的カレッジ・フットボール・プレイヤーとして絡んでくるカーターを演じているのが、現在NBCのコメディ「ジ・オフィス (The Office)」にレギュラー出演中のジョン・クラシンスキだ。実は英BBCの同名人気コメディのリメイクである「オフィス」は、私は番組が始まった当時、アメリカでもBBCアメリカでオリジナルが見れるのにわざわざリメイクを作るという根性が不満で、これまでずっと無視してきたのだが、しかしそんな私の思惑なぞまったく気にせず、番組は今では「30ロック (30 Rock)」と共にNBCコメディの中核を担うまでになった。


特に主演のスティーヴ・キャレルは今ではアメリカを代表するコメディアンの一人で、彼なしにハリウッド・コメディは考えられないまでになっている。共演のレイン・ウィルソンもこないだインディペンデント映画の表彰セレモニーであるスピリット・アウォーズでホストをしていたし、今年これまでで最大のインディ・ヒットの「ジュノ」にも出ている。もう一人の主要レギュラーであるジェナ・フィッシャーがなにか大きな作品でブレイクするのも時間の問題だろう。


色々と見所のある「レザーヘッズ」は、フットボールがプロ・リーグとして定着するまでの経過を描く男のスポーツ・コメディでもあると同時に、スクリュウボール・コメディでもあるという一粒で二度おいしい映画だ。スポーツ・コメディであるからには最後は当然ゲームを描いて終わるわけだが、前日土砂降りの雨が降ったフィールドで泥だらけになり、ほとんど誰が誰だかよくわからない中、試合が展開する。ボールの上に折り重なったプレイヤーが上から順にどいていくと、最後、誰もいなくなったと思った地面からほとんど泥に同化した一番下にいたプレイヤーが顔をもたげる。


映画の中で最も笑える視覚ギャグの一つなのだが、実はこのシーン、予告編の中でそのまま使われており、それを見ている者にとってはギャグとしての衝撃は既に弱まっている。しかしまあおかしいはおかしいわけだが、にやりと笑う私の横で、TVで予告編を見る機会のなかったうちの女房は、爆笑して受けていた。予告編の中で見て笑うよりも、作品の中で一連の流れとして最初に見せられた時の方がもっと面白く感じるのは、これはもう火を見るより明らかだ。予告編でもある程度印象的なシーンを出しといて人に面白そうだと思わせるのが重要というのはわからないではないが、しかし、損したという気持ちはいかんともし難いのだった。本当にファンを大事にしたいと思うのなら、もうちょっと考えて予告編も作ってくれ。







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