放送日: 12/1/2005 (Thu) 23:35-0:35

プレミア放送日: 8/30/1993

製作: ワールドワイド・パンツ

ホスト: デイヴィッド・レターマン

音楽監督: ポール・シェイファー


内容: オプラ・ウィンフリーをゲストに迎えた「レイト・ショウ」。


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アメリカの深夜トーク界に燦然と君臨する二つの番組、ジェイ・レノがホストのNBCの「トゥナイト」とデイヴィッド・レターマンがホストのCBSの「レイト・ショウ」については、何もわざわざ私が説明するまでのこともあるまい。


他にもCBSの「レイト・レイト・ショウ」、NBCの「レイト・ナイト」「ラスト・コール」、ABCの「ジミー・キメル・ライヴ」等、深夜トーク・ショウはネットワークだけでもいくつかあるが、深夜トークを代表する番組というと、「トゥナイト」と「レイト・ショウ」が双璧ということに異論のある者はないだろう。


これらの番組を見たことがない者でも、様々な映画や他の番組でことある毎に言及されていたりするから、少なくともレノとレターマンの顔の世界的な浸透度に関する限り、なまじのハリウッド・スターでは足元にも及ばない。いつもどこかで必ず誰かが話題とし、芸人にとって「トゥナイト」か「レイト・ショウ」にゲスト出演するのは、自分が認められたことを意味する非常に意義ある出来事だ。


元々レターマンは82年から93年まで、NBCで、今年鬼籍入りしたアメリカTV界きっての名ホスト、ジョニー・カーソンがホストの「トゥナイト (Tonight Show Starring Johnny Carson)」直後の放送枠で、「レイト・ナイト (Late Night with David Letterman)」のホストを担当していた。カーソンが引退した後、晴れて「トゥナイト」ホストの座に収まると信じて疑わなかったレターマンは、しかしレノにその座を奪われ、無念の形でCBSに移籍し、「レイト・ショウ」を始めて、裏番組の「トゥナイト」としのぎを削ることになる。


現在ではだいたいにおいて視聴率という点では、「トゥナイト」が「レイト・ショウ」を抑えている。こういう深夜の時間帯にTVを見ている一般的視聴者は、だいたい自分のリズムというものがあり、いったん視聴癖のついたTVのチャンネルを換えることはめったにない。既に半世紀もの間「トゥナイト」を見続けてきた視聴者の視聴リズムを換えることは、なまじっかなことではできない相談なのだ。


この、常に「トゥナイト」の後塵を拝している「レイト・ショウ」が、視聴率争いで「トゥナイト」に勝ったのは、過去、数えるほどしかない。そのうちの一つが、CBSが中継した1994年の冬季五輪中継で、ナンシー・ケリガンとトニヤ・ハーディングという二人の渦中のアイス・スケーターが滑った直後に放送があった時で、最近では2000年に心臓の手術をして一と月ほど番組を休んだ後の復帰第一回の時に高い視聴率を獲得している。とはいえ、やはり「レイト・ショウ」は、深夜トークとしては「トゥナイト」に及ばない2番手でしかなかった。


レターマンは、レノに較べて一般的に言ってジョークがきつい。今でこそ昔に較べるとかなり丸くなったという感じがするが、私も特に「レイト・ナイト」時代のレターマンのギャグは、時に笑えなくて不愉快な気分になることすらあった。かつてゲストとして招いたシルヴェスタ・スタローンをバカにしまくった挙げ句、本気で怒らせて帰らせた話はあまりにも有名だ。もちろん、こういう癖のある番組だからこそ面白いとも言える。


そのNBC時代のレターマンの「レイト・ナイト」に、現在、圧倒的人気を誇る日中のトーク・ショウ「オプラ・ウィンフリー・ショウ」のホストとして知られるオプラ・ウィンフリーがゲストとして出演したことがあった。当時、既に日中トークの女王の名を欲しいままにしていたウィンフリーであるが、その時の二人のおしゃべりはあまり噛み合わず、特に面白くもなく、両者にとって快適とも言えなかったらしく、昼のトークの女王と、やがてカーソンの跡を継ぐと思われた次期夜のトークの王の初顔合わせは、なんということはない尻すぼみのような形に終わったようだ。これが1989年のことである。


以来、レターマンは、しばしばウィンフリーにもう一度番組に出ないかとラヴ・コールを呼びかけていた。最近ではこれはルーティンのギャグにすらなっていた感があって、「レイト・ショウ」においては、かなりウィンフリー・ネタでギャグが飛ばされる機会が多かった。むろん、そういう展開になると逆にウィンフリーとしては、ではそうですかと気軽に番組にお邪魔なんかできなくなることは百も承知だ。


こういうレターマンのウィンフリー・ギャグの頂点が、1995年、レターマンがホストを担当したアカデミー賞授賞式における「オプラ、ウマ、オプラ、ウマ」の、ウィンフリーとウマ・サーマンに交互に呼びかけた意味のないシュール・ギャグだった。この年のかなり高かった視聴率にもかかわらず、このオプラ・ウマ・ギャグは全世界的にかなり不評で (アメリカ国外で特に不評だったのは想像に難くない)、以来レターマンはアカデミーから声がかかっていない。要するに、やはりレターマンのギャグには癖がある。とにかく、そういうわけで、近年、レターマンは番組内でことある毎にウィンフリーに番組出演を呼びかけ、ウィンフリーはウィンフリーでそれを無視し続けてきた。たった今までは。


今回、ウィンフリーが「レイト・ショウ」出演をOKし、16年ぶりにレターマンのゲストとなることを承知したのは、かなりの部分、彼女自身がプロデュースしたブロードウェイ・ミュージカル、「ザ・カラー・パープル」のプロモーションの意味合いが大きい。「カラー・パープル」は、「レイト・ショウ」が収録されているエド・サリヴァン・シアターからたった2ブロック離れているだけのブロードウェイ・シアターで公演されており、しかもウィンフリーが「レイト・ショウ」のゲストとして出演したその日が、公演初日だった。


「レイト・ショウ」では通常、2人から3人のゲストが呼ばれるが、この日は念願かなってウィンフリーが登場する特別な日であるから、当然ゲストは彼女一人、この日のすべてのギャグがウィンフリー絡みとなった。「レイト・ショウ」と言えば誰でもすぐに思い出す定番コーナーの「トップ・テン・リスト」のこの日のお題は、「オプラの留守電に残されたメッセージ」のカウント・ダウンになっており、例えば第10位のメッセージは、こちらは何度も「レイト・ショウ」にゲスト出演したことがあるマーサ・スチュワートからで、その内容は、「(彼女がゲストとして番組に出た時に) カウチにカッター・ナイフを仕込んでおいたから、いざとなればそれを使いなさい」というものだった。


さらにレターマンは、この日はどんな突発事件が起こるかわからないから、自分になにかしら不慮の事故が起こった時のために、バック・ルームに緊急ホストとしてトニー・ダンザを控えさせておくという用意万端怠りないところを示した。結局この回の進行は、こういうウィンフリー自身とは関係ないところが最もおかしく、特にこのダンザは非常に笑えた。ただ何をするでもなく、控え室でスーツ姿で待っているだけなのだが、いつも照れ笑いなのか苦笑いなのかよくわからない表情を浮かべているダンザが、一人ぽつねんと待っている姿は無性におかしかった。ダンザ自身自分のショウを持ち、かなりの著名人であるのにもかかわらず、一言もせりふはしゃべらせてもらえず、ただ後ろで突っ立っているだけなのだ。


その後大々的に鳴り物入りの音楽と共にスタジオ入りしたウィンフリーは、レターマンにプレゼントを持参、それはウィンフリーとサーマンの2人のサイン入りの写真立てだった。いやあ、こういうシャレはいいねえ。しかし、番組としては結局面白かったのはそこまでで、その後のレターマンは、ウィンフリーを立ててなにやら腫れ物にでも触るみたいな会話に終始し、正直言ってまったくつまらなかった。まあそんなもんでしょう。実際私も、ウィンフリー・ギャグを飛ばしてはいても、でも、実際ウィンフリーがゲストとして現れても、だからといって会話が弾んで面白くなるだろうとはまったく思っていなかった。要するに今回は、アメリカの昼と夜のトーク・ショウを代表する人物同士が顔をあいまみえるという、ただそれだけのことに価値があっただけで、そのことが中身の面白さを倍加させるというわけではまったくなかった。


番組の収録が終わった後、ウィンフリーはその足で今度は舞台のプロデューサーとしてブロードウェイ・シアター入りしたわけだが、レターマンは、エド・サリヴァン・シアターからブロードウェイ・シアターまで赤い絨緞が敷きつめられた2ブロックを、ウィンフリーの手をとってエスコートして送り届けるという演出になっていた。いつも通りに笑えたかどうかはともかく、この日の「レイト・ショウ」は話題性としては抜群で、番組平均の3倍以上の1,300万人以上の視聴者がチャンネルを合わせた。これは番組としてはこの10年で最高の数字だそうで、さもありなんと思う。


実は実際にウィンフリーが番組に出てしまうと、レターマンはその後ウィンフリー・ギャグが使えなくなってしまうため、本気でウィンフリーにラヴ・コールは送らず、現状維持で行った方がよかったのではないかと私は思っていた。しかし、ここまでウィンフリー・ギャグをかましてきた手前、実際になんらかの行動をとらなければならなかったというレターマン側の事情もあったかもしれない。たった一つ言えることは、今後、もしレターマンがまたアカデミー賞のホストを任せられることがあったとしても、二度と我々がウマ・オプラ・ギャグを聞くことはないだろうということだ。






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Late Show with David Letterman

レイト・ショウ・ウィズ・デイヴィッド・レターマン   ★★1/2

 
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