悪の限りを尽くして世界を牛耳る斧頭会の触手は、辺境の金もない豚砦にまで伸びてくる。しかし何を隠そうその豚砦にこそ、マーシャル・アーツの達人たちが住んでいたのだ。斧頭会のギャングたちは退散を余儀なくされる。一方、幼い頃から強くなりたいと思っていたがそれを果たせず、中途半端なワルとして相棒と一緒に小賢しい真似で生計を立てていたシンが斧頭会の目に留まる。斧頭会の若ボスは、シンに捕らわれの身となっているマーシャル・アーツ界最強の男を連れてくれば会に入れてやると約束する‥‥


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滅茶苦茶な人を食ったカンフー演出の予告編でなかなか面白そうに見えた「カンフーハッスル」、字幕上映のチャイニーズ映画にしては推されているようで、劇場だろうがTVだろうがばんばん予告編がかかる。きっと昨年の「Hero」のヒットの轍を踏ませてもらおうと考えているのだろう。とはいえこの映画、配給は当然「Hero」と同じミラマックスだろうと思っていたら、ソニーだった。もしかしたら「カンフーハッスル」のプレステ・ヴァージョンができるかもしれない。


この映画、一昨年だか、面白そうだとは思いながらも見逃していた「少林サッカー」みたいだなと思っていたら、そのスティーヴン・チャウ (=チャウ・シンチー) の作品だった。この手のカンフー・アクションを用いたコメディ路線は、たぶん地元では一つのジャンルを形作るくらいの数が製作されているのだろうとは思うが、少なくともジャッキー・チェン以来、これだけ西洋にも紹介されて推されているのはチャウくらいだろう。ただし私がこの作品を見ている時、客席の後ろの方でやたらと盛り上がって受けていたのは、明らかにフランス人であった。東洋文化はフランス人に受けるというのは最近何かと感じるのだが、それはニューヨークにおいても同様のようである。


「カンフーハッスル」はカンフー・アクションのギャグが基本とはいえ、当然のように最近流行りのCGが使われている。真面目なカンフー・アクションですらもはや生身のアクションだけでは機能せず、ギャグもそうなっている、というか、誇張の必要なギャグの方でCGが多用されるのは、考えたら当然のことだ。派手にCGを使い、失敗したらしたでそれすらギャグとしてごまかせばいい。要するに「カンフーハッスル」はマンガだ。どんなにやられてもやられても主人公は立ち直り、復活してくる。私は最近ほとんどマンガは読まないのだが、「カンフーハッスル」は、実際一昔前のマンガを彷彿とさせる。超人的なアクションはまるで「北斗の拳」だし、ギャグの乗りで言えば、藤沢とおるのマンガってほとんどこんな感じだったような記憶がある。あるいは「ワン・ピース」と言えるかもしれない。


とまあ、乗り自体で言えば、「カンフーハッスル」は、マンガに親しんだ身としてはかなり親近感を感じさせる。とはいえ、どんなに相手がぼこぼこにやられようともほとんど血が流れないのは、なかなかうまい方便だ。一応それでたぶんこのキャラクターは死んだんだろうと思われる状況でも、ほとんど血は流れない。これで血を流したりなんかしたらほとんどギャグにならなくなってしまうので、これは当然だ。マンガだと血を流してもギャグになれるが、映画だと赤い血を見せてしまうとシャレにならなくなる。投げたナイフが跳ね返って自分に刺さってしまうという状況で爆笑できるのは、そこで血が流れないからに他ならない。


要するにチャウはその辺をちゃんとわきまえているからこそギャグを作れるのであるが、明らかに東西の常識に照らして難しいと思えるシーンもある。特に生理の点でこれをギャグ映画に入れるのは難しいと思えたのが、痰壷 (があるというのが何よりもまずすごいが) 痰を吐き捨てるのと、子供時代とはいえ、やっつけた相手に小便をかけるというシーンで、アメリカにおいては、まずなにがなんであろうとも人前で痰を吐かないというのは当然のルールなので、このシーンは当然アメリカの劇場内ではげーっという不満の声が上がった。喧嘩で負かした相手に小便をかけるというのも、シリアスな作品ならともかく、アメリカ産のギャグ映画では金輪際登場しない演出だろう。


もちろん、その辺の社会、というか文化の差は微妙であり、あることが今日タブーであるからといって明日もそうであるとは限らない。特にアメリカでは人前で痰なんか吐いたら、男なら一発でどの女からも相手にされなくなることは必定だが、しかし、痰でなく単なる唾ならそれはたぶんある程度許される。さもなければMLBのプレイヤーは誰からも相手にされなくなってしまうだろう。私の印象では、痰を吐く時の、あの、かーっという耳障りな音を伴うかどうかというところが、アメリカではそれが許されるかどうかの境界となっているようだ。要するに、ただ、ぺっ、ならいいが、かーっ、ぺっはダメなのだ。しかし、微妙なところだが、これはわからないではない。


ところが中国では痰壷が至る所にあるということからもわかるように、人前で痰を吐くことはどうもあまり失礼には当たらないようだ。いつだか私が里帰りした時、飛行機の中で私たち夫婦の前にチャイニーズの若いねーちゃんが座っていて、機が着陸して降りる時に、いきなり機内でかーっ、ぺっとやられた時には、思わず声を失った。かなり可愛いねーちゃんが、人前で機内に直接痰を吐き捨てたのである。私たち夫婦が唖然としたことは言うまでもない。要するにこういう生理現象に対する文化の感度の差は厳然としてある。


つまり、私が「カンフーハッスル」で感じたことは、こういう微妙な文化の差、特に生理現象の扱いに対する気配りこそが、将来のチャウの映画、引いては中国、日本を含めてのアジア圏の映画、特にギャグ映画が、アメリカ、西洋において受け入れられるかどうか大きなポイントとなるんじゃないかということだった。考えたらジャッキー・チェンの映画は、そういう生理現象を扱わないという意味では実にうまく考えられていた。しかし、もっと肉体に直接的に結びついているように見えるチャウ作品は、今後もこういった生理現象がストーリーに登場してくるように思える。その扱いがどう変化して西洋でどう受け入れられるかこそが、今後のチャウ作品のポイントになるという気が大いにする。






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Kung Fu Hustle   カンフーハッスル  (2005年5月)

 
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