Kingsman: The Secret Service


キングスマン: ザ・シークレット・サーヴィス  (2015年2月)

とかく英国というのはスパイとか秘密エージェントとかが暗躍する土地柄だ。というか、暗躍というのとも違って、英国人は表向きはジェントルマンで、身だしなみには人並み以上に気を使い、礼儀正しく女性には優しく、むしろそのためにある意味目立ってしまい、実は秘密エージェントには不向きではないかとすら思える。007然り、キングズマン然りだ。


これが日本だと、忍者という完全に裏の社会に生き、人目には触れない存在になる。ほとんどマゾヒスティックな存在理由に快感を持てないと、到底やっていけそうもない。しかし英国では、シィークに徹することで、完璧なジェントルマンは目立たないことと格好よさを両立させるという稀有の美技を身につける。忍者の場合は滅私奉公で忍ぶことに専念した結果、自分を殺し過ぎてとにかく闇で目立たない方向に行ってしまった。人目に触れる機会がないから、忍者の洒落者なんて存在は出現する機会を持たなかった。返す返すも残念。


また、これがアメリカだと、ジェイソン・ボーンイーサン・ハントみたいなマッチョなヒーローになってしまう。あるいはどちらかというとデスク・ワーク型のジャック・ライアンというのもいるが、やはり洒落者という点では英国産におよばない。そういうわけで秘密エージェントは、やはりメイド・イン・イングランドに止めを刺す。


キングズマンはいわゆる秘密エージェント機関なのだが、どうやら政府にコネはあっても政府直轄というわけではなく、プライヴェイトな機関らしい。こういう組織を持つからには当然金は必須だ。X-メンにおけるゼイヴィアの財団やバットマンことブルース・ウエインは、金を唸るほど持っていた。キングズマンには、ロンドンの地下を縦横無尽に走る地下網があるなど、これまた無尽蔵の財源を持っているようだ。


007もキングズマンも基本ジェントルマンであるから、慌てたり度を失って礼を失するということを最も嫌う。できればどんなアクションでも汗一つかかず、髪を乱すことなくこなし、気の利いたセリフを相手に投げかけることができればベストなのだが、最近は敵だって武術に長けてたりするから、いつもいつも余裕をかましてばかりもいられない。


実はうちの女房が、かつての007シリーズが大っ嫌いだった理由がここにある。命を賭けたアクションの後にふざけたことぬかしてんじゃないよ、バカか、と思えてしょうがなかったそうだ。こう思っていたのは女房だけじゃなかったようで、近年の007はそういうキザっぽさは最小限に抑え、代わりにリアリティを重視することで、また人気を取り戻した。


それなのに今また「キングズマン」だ。スーツを着こなして雨も降ってないのに傘を携帯し、その傘を開く時は雨を凌ぐためではなく、防弾のためだ。だいたい、どう考えてもスーツは格闘には不向きだろう。女房がバカみたいと言ったのもわからないではない。一方、だからこそ英国ジェントルマン・アクションは面白いとも言える。ある意味型なのだ。歌舞伎やカンフー・アクションとも通じるものがある。007がアクションの後に一言気の効いたセリフを言わないではいられないのは、観客がそれを欲しているからであり、歌舞伎役者が要所で睨んでみせるのとほとんど変わらない。つまりそういうもんだと認識していれば結構楽しめる。


だいたい、日本や英国等、歴史が古く伝統を重んじる国に型を楽しむ余興が生まれるのはほとんど当然だ。型は歴史の積み重ねであるからだ。うちの女房は、入れ込んでいるとまでは言わなくてもそこそこ歌舞伎好きだったので、007だって楽しめないはずはないと思うのだが、歌舞伎ならよくてかつての007はダメだというそのラインはいったいどこにあるのかは、本人ではないのでちとわからない。けれどダニエル・クレイグになってからの007はそこそこ楽しんでいるようだから、やはり007が全面的に嫌いなのではなく、以前の007の英国的ななにかが楽しむのを邪魔したんじゃないかと思う。わかるような気もするしわからないような気もする。ちょっとした微妙なところで針が逆に振れる。


「キングズマン」も、特にオープニング近くのランスロットが演じるアクションが、いかにも型を踏まえたという感じで楽しませてくれる。とはいえ、これは2015年公開作品なのだ。当然それだけでは終わらない。その本骨頂とも言えるアクションが、半ばにある教会での大殺戮アクションで、これはちょっとすごい。見てる時はあまりのことにぎょっとして気づかなかったが、思い返すと、あれ、ほとんど1シーン1ショットで撮っていなかったか。「バードマン (Birdman)」もそうだったが、最近の作品は非常にうまくCGを使うので、いったいどうやって撮ったのかよくわからなかったりする。


最初ただの不良でしかなかったエグシーは、徐々にジェントルマンへの道を歩み始めるのだが、実際ちゃんとスーツ着て髪を撫でつけると、そこそこジェントルマンに見える。これが伝統というものか。実は私が通勤に使うサブウェイの駅前で、最近、ジェントルマン化する前のエグシーみたいな、彼よりも少し背の高い、しかしやはりいかにも定職のなさそうな崩れた白人の、20代半ばくらいに見える坊やが、ああいう鍔がまっすぐで幅広のベイスボール・キャップを被って、午後の帰宅時にヴァイオリンを弾いている。一見くずれた、スケートボードとヴィデオ・ゲーム以外のアクティヴィティなんか何もしていそうもないにーちゃんが、結構朗々とヴァイオリンを奏でている。あまりに外見と印象が異なるために最初思わずじっと立ち止まって聴いたりしたが、私と同じように感じる者も多かったのだろう、わりとよくスマート・フォンで撮影されてたりした。この男も、スーツを着させて髪を整えればきっとそこそこジェントルマンに見えるのだろう。見かけはやっぱり重要か。型ってのはやはり基本だよな、格闘技だろうが芸能だろうがそれは変わらない。











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ハリー (コリン・ファース) は英国政府の秘密エージェント機関キングズマンの一人だが、かつて中東での活動の折り、ミッションに失敗して同僚エージェントを死なせてしまったという過 去があった。十数年後、そのエージェントの妻は今では町のごろつきと付き合っており、成長した息子のエグシー (タロン・イーガートン) はそれが気に入らないけれどもしかし打開策はなく、町の不良連中といざこざを起こして警察の厄介になる。窮余の一策でハリーに連絡をとってみたところすぐ に釈放されたエグシーは、ハリーの勧めに従い、エージェントなるための命を賭けた試験に挑む。一方IT界の巨人ヴァレンタイン (サミュエル・L・ジャクソン) は、新テクノロジーを使って人類の支配を画策していた。それはキングズマンたちの知るところとなり、ハリーはヴァレンタインに接触を試みる‥‥


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