12世紀フランス。鍛治屋バリアン (オーランド・ブルーム) の元に、十字軍遠征途中の武将ゴッドフリー (リーアム・ニーソン) が現れ、実はバリアンはゴッドフリーの息子であることを告白し、十字軍同道を求める。妻子を失ったばかりで自分の道を見失っていたバリアンはその求めに答え、元々の血筋もあり、めきめきと頭角を現していく。バリアンはエルサレムで王の信頼を得るが、しかし、その息子の次期の王ギーと対立し、よりにもよってギーの妃シビラ (エヴァ・グリーン) と恋仲になってしまう‥‥


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「キングダム・オブ・ヘブン」は、十字軍時代のフランスとエルサレムを舞台とする 歴史大作である。演出が「グラディエイター」のリドリー・スコット、主演を務めるのは「ロード・オブ・ザ・リングス」のオーランド・ブルームだ。


とはいえスコットはともかく、ブルームがこういう骨太の作品に収まるかについては、一抹の不安が伴うのは確かだ。「リングス」はいいとしても、「パイレーツ・オブ・カリビアン」「トロイ」ではブルームはどちらかというとまだまだ青二才的な性格づけがされており、それはとりもなおさず、ブルームがそういう印象を見る者に与えるからにほかならない。そういう外見を持つ者に、こういう硬派な男役がうまくフィットするだろうか。


とはいえ「ヘブン」は、田舎者の鍛治屋が運命の導くまま歴史が生成される真っ只中に取り込まれていくという物語であるため、話の最初で主人公を演じるブルームがまだまだ若造的な雰囲気を持っていても問題はない。そういう男が成長していくところに物語の面白さがあるからだ。それに、優男然としているブルームが、服を脱ぐとかなり筋肉が盛り上がっていることにびっくりした。


だいたい、アメリカの男優は優男風に見られることを好まない俳優が多く、その点こそがアピールしても、ブラッド・ピットのようにマッチョの印象に様変わりしようと努力したりする。ピットはうまくそういったイメージ・チェンジに成功したように見えるし、ブルームだってその路線を狙っているように見える。ただし、ブルームはもうちょっと上背があればなあとはどうしても思ってしまうし、着痩せして軟弱に見えても服を脱ぐと隆々とした筋肉におおっというのは、意外性という点では効果的だが、一見して大人の男を印象づけるというふうにはやはり行かないだろう。一方でブルームはよく見るとピットよりも濃い顔を持っており、今後の出演作次第では、かなり男々した印象を与えることも可能だとは思う。


とまあ、こういうことをつらつらと書いているのも、作品がそういうブルームの与える印象に多くを負っているからだ。スコットの骨太の演出は相変わらずだが、「グラディエイター」以降、「トロイ」や「キング・アーサー」等、この手の歴史大作の合戦の描写によって、血みどろのリアリティ溢れるアクションというのはスコットの専売特許ではなくなっており、そういう描写だけでは観客は納得しまい。合戦シーンはともかく、主人公がミスキャストの印象を与えたために失敗してしまった「アレキサンダー」から、まだ半年しか経っていないのだ。それに、普通の男が段々成長していくのを描くといっても、いくら勇将ゴッドフリーの息子だとはいえ、正眼しか知らなかった男が上段に構えることを教えられたからといって、それだけでいきなり無敵のように強くなれるか。ちょっと端折り過ぎだ。


さらに「ヘブン」が作品としてイマイチ曖昧なのは、十字軍という、現代から見るとその存在理由が今一つよくわからない舞台背景のせいが大きいんじゃないかという気がする。だいたい十字軍というのは、特にキリスト教に限らず宗教一般に対してまず胡散臭いものを嗅ぎ取ってしまう私のようなものから見ると、わけがわからない集団ヒステリーにしか見えない。もちろん十字軍だけじゃなく、ほとんどの戦争というものは多かれ少なかれそういうものだから、特に十字軍だけが理解に苦しむというわけじゃないのだが、しかし、あれは基本的に志願制だろ? 殉教覚悟で自ら家を何年もあけて十字軍に志願するというのは、うーん、それだけ生活が苦しければやはり何かきっかけや救いを求める時にそこに十字軍があれば、それに身を投じることもありえるか。


で、十字軍、十字軍、キリスト教、神の教え、なんて行軍してエルサレムに着くと、そこではなぜだか共存共栄とは言えないまでも、キリスト教とイスラム教が微妙なバランスの上に共存しており、勢い込んでエルサレルムまで来たわりには、なにか煮え切らない。そして最後は決死の覚悟で戦っていたはずのバリアン率いるキリスト教軍の劣勢が明らかになり、敗色が濃厚になると、バリアンは降伏を決意する。


もちろん降伏がいけないのではなく、自分のためではなく自軍の残された者を守るために降伏を決意するのは人の上に立つ者として時には必要な判断だろうが、一大歴史絵巻の幕切れで、それまでは命を賭けて戦っていたはずの戦士がいきなり意を翻して負けを認め、さらに殺されるのでも自決するのでもなくただ追放され、浮気相手とその後幸せに暮らしましためでたしめでたしというのは、どこか腑に落ちない。もちろん「トロイ」だってその本質は規模のでかい不倫譚でしかなかったわけだが、しかし、なにか間違ってないかと言いたくなってしまう。それまでの戦い、それまでの死者がそれでは報われないのではないか。


結局、一見めでたしめでたしのように見えて、実はなんにも進歩も解決もしていないんじゃないかという疑惑が、「キングダム・オブ・ヘブン」をなにか煮え切らないものにしている。だいたい、この作品では多くの者が志半ばにして死んでいくし、実は、多かれ少なかれほとんどの者は十字軍の空虚さに気づいていたように見える。少なくとも明らかにデイヴィッド・シューリス演じるホスピタラーは、そういう自分の使命の空虚さに気づきつつもいたずらに命を落とす。自分の信じるものによってというよりも、時代の流れには逆らえないからという、ほとんど諦観によって死にに行く。そうやって主要な者はほとんど死んでしまうのに、その中で生き残る主人公の強運というよりも、優柔不断な点に歯がみしてしまうのは私だけか。「トロイ」でも色恋にとち狂った男を演じ、ここでも結局、人様の奥方に手を出して問題を大きくしてしまう。下半身のだらしない男ブルームが戦士として独り立ちするまでには、まだもう少し時間がかかりそうだと思ってしまうのだった。



追記:

上で「バリアン率いるキリスト教軍の劣勢が明らかになり、敗色が濃厚になると、バリアンは降伏を決意する」と書いたが、それはちょっと違うのではという意見を頂戴した。読んでみるとそちらの方が正しいと思えるのでちょっと長くなるが引用すると:


『と言うのも、元々、バリアン達がエルサレム城に立てこもる前に、ボードワン4世の死後エルサレム王となったギーが闘って捉えられてしまって、負けははっきりしているので、バリアンの闘いは、すでに敗戦処理的な闘いだと思いました。

だから重要なのは、いかにして出来るだけ大勢の命を救うか、いかにして全滅せずに城を明け渡すか、と言う問題だと思います。

バリアン自身が言っているように、「必死で抵抗すれば、サラディンが講和を申し出てくるはず」(だったかな?)と言う見込みが、闘いの結果実現したわけで、それだからこそ、それ以上の命を奪われずに城を明け渡すことになった決定を、城のみんなが喜んだのだと思います。

つまり、いかに条件をよくして降伏するか、ということをバリアンは始めから考えていたと解釈しました。

さらに、サラディンの側でも、これ以上自軍の死者を出すのも避けたいし、20万という大軍を抱えたままでの闘いが長引くのは面白くないと現実的に考えても不思議ではありません。無駄な殺人をこれ以上しないという選択は両方にとってありがたいものだったと思います。

サラディンの表情でバリアンを認めたのがわかったし、その上で講和をするという流れは、私には納得のいくものでした。』


思わずなるほど、と思ってしまったが、たぶんこの解釈の方が正しいだろう。どうしても私は、まだまだ甘ちゃんのブルーム、という先入観が抜けきらず、彼に厳しい見方をしてしまうようだ。しかし、ブルームだって一応命張って戦闘しているわけだし、その辺は認めなければなるまい。甘ちゃんの顔して、考えるところは考えているんだな。少しは見直したぜ。






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Kingdom of Heaven   キングダム・オブ・ヘブン  (2005年5月)

 
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