John Q.

ジョンQ  (2002年3月)

今週からヴェトナム戦争をテーマにした「ワンス・アンド・フォーエバー (We Were Soldiers)」が始まっている。同時多発テロ事件の直後は、世間の心証を考慮して、この種の戦争やら暴力をテーマとした作品は映画にせよTVにせよ延期される傾向が強かったが、いったん国民に報復ムードが高まると、逆に昨年末の「ブラックホーク・ダウン」を筆頭に、「エネミー・ライン (Behind Enemy Lines)」、延期されていた「コラテラル・ダメージ」、そして今回の「ワンス・アンド・フォーエバー」と、いきなりこの種の作品が立て続けに公開されるようになった。まあ、映画製作には数年かかるのが常だから、これらの作品はテロ事件以前から製作は始まっていたのだが、さりとてこの種の映画を毎週毎週見ようという気にもなれない。特に私はまだ「ブラックホーク・ダウン」の後遺症が残っていて、ちょっと戦争映画は当分パス、という気分になっていたので、今回はデンゼル・ワシントンが主演のヒューマン・ドラマ、「ジョンQ」にする。


ジョン・Q・アーチボルド (ワシントン) には、妻のデニース (キンバリー・エリス)、ボディビルダーに憧れる10歳の息子のマイク (ダニエル・スミス) がいた。リストラの嵐が吹き荒れる折り、工場でのジョンの仕事も実入りが少なくなっており、フルタイムからパートタイムに仕事を減らされ、車も借金の形にとられてしまう。そういう時、マイクが野球の試合の途中に倒れてしまう。病院に担ぎ込まれたマイクを助けるには心臓移植しかないが、ジョンの保険会社はカヴァーを拒否、慈善事業でない病院側は、そのためマイクの手術を手がけることを断り続ける。必死の金策もむなしくマイクが病院のベッドから追い出されそうなのを知ったジョンは、銃を片手に病院にたてこもり、マイクを手術の待機リストに載せることを要求する‥‥


映画は冒頭、はっきり言って本筋とはあまり関係のない交通事故のシーンを見せる。最近、ハリウッド映画における車の事故のシーンは実にうまくなった。結構つい最近まで、事故シーンというのはどうしても演出くさいものが多かったような記憶があるが、最近の事故シーンは、本当にこういうのってありそうだと思えるようなシーンを、しかも迫力たっぷりでうまく演出する。わざわざ対象に近寄らないで、クロース・アップや編集に頼らず、いかにも、という感じの事故シーンを見せてくれたのは、スティーヴン・ソダーバーグの「エリン・ブロコビッチ」における冒頭の事故シーンが最初だったような気がするが、それ以来、そういううまく事故を演出する作品には枚挙に暇がなくなった。


「ジョンQ」では、どこぞの山道で大型トラックに追い越しをかけたBMWが、対向のトラックが通過する前に追い越しを終えられず、お尻の方がトラックに接触してしまい半回転して停止、そこへ追い越したはずのトラックが突っ込むという事故を演出して見せるのだが、非常に巧い。それなりにカットも利用して事故を演出しているわけだが、こういう事故って本当にありそうに思える。昔のハリウッド映画だと、意味もなく車が空を飛んで空中で半回転して谷底転落というのが相場だったが、そういうカー・クラッシュは遠い過去の遺物になってしまった。不思議なもので、そういうのってもう見られないかと思うと、誰かまた、そういうシーンを撮ってくれないかと思う。


とにかく、何の理由も説明されないが、それだけに気になるその最初の事故シーンから言って、なかなか期待させてくれる。しかし、いったん本題に入ると、実はストーリーそのものに目新しい点はほとんどない。銃を片手に主人公がある場所にたちこもり、TVに中継されることでヒーロー扱いになる、というのは、かれこれウン十年も前に「狼たちの午後」が既にやっている。昨年の「バンディッツ」でも似たような展開があった。今回はそれに主人公がそういうことをする理由付けや、周りの人間たちの反応やら色々と新しいひねりが加えられているが、病院の救急室に閉じ込められた患者たちの人間模様や、事件発生と聞いて対応する警官たちの上下の確執、特ダネに飛びつくTVアナウンサー等、どれも皆どこかで見たような、似たような話が展開する。特に急患室に閉じ込められる急患たちの反応ややりとりは、まったく予定調和というか、予想した通りに進み、ほとんど何の意外性もない。しかしこういうのって、わかっていても乗せられてしまい、気づいた時にはワシントンを応援している。


やはりワシントンを筆頭とする演技陣のうまさと、ニック・カサヴェテスのツボを押さえた手堅い演出は誉められて然るべきだろう。特にクライマックスでの病床にある息子に語りかけるワシントンの演技なんて、「トレーニング・デイ」で見せた悪徳警官とは対極に位置する役柄なんだが、ううん、うまい。こういうシーンがあるだろうというのはわかりきっていて、あまりお涙頂戴になりすぎるのは嫌だなあと思いながら見ていて、やはり目頭が熱くなってしまった。最近歳とってきて涙腺が弱くなってきたのか、わかっていても乗せられて泣いてしまうというのをよくやってしまい、その後で結構恥ずかしい気分を味わうのが何度もある。ちょっと赤い目をして劇場の外に出るのって恥ずかしいから、できるだけお涙頂戴映画は鑑賞予定リストから外しているのだが、またやってしまった。


しかし、映画が終わってエンド・クレジットが流れてきた時、スクリーンに向かって拍手していた観客が結構いたというアメリカでは滅多に見ない現象が起きていたところを見ると、やはりこの映画、観客のツボにはまったようだ。しかし、上でも言ったように展開自体はほとんど先が読めてしまう「ジョンQ」は、これまでに見たことがない「新しい何か -- Something New」があるかどうかが評価する時の最大のポイントとなる批評家からは、あまり誉められていない。


この「Something New」というのは大いに曲者であって、だったらすべてのシェイクスピアや古典はすべて一顧だにされないかというとそうではなく、定期的に何度でも再製作されたりリメイクされたりする。ストーリーなんて誰でも知っているから、ちょっとした伏線やプロットを違えて目新しさを出すわけだが、それとて大筋に手を入れるわけには行かないし、そんなことしたら古典を再製作する意味はない。それでもそういう作品が時にえらく誉められたりもする。


結局私は演出と演技が最大のポイントであると思っているわけだが、「ジョンQ」のようにそれらを押さえていても、誰からも誉められるわけではない。私は「ジョンQ」に泣かされたわけだが、映画自体の完成度がどれだけ高いかと訊かれれば、先の読める展開が少しマイナスかなとはやはり思う。それはつまり、見る立場として、最初からストーリーがわかりきっている作品を見に行っているのではないため、意外な展開で驚かされてみたいというのがあるからだろう。一応最後の最後にどう転ぶかわからないシーンが待ってはいるのだが、しかし基本的に古典のリメイクをうたっていない作品で先の読める展開というので貶されるのは、だからわからないではない。


しかし、ニック・カサヴェテスの演出はタイトにまとまっていると思う。ハリウッドの監督というよりは、どちらかというと自分の色の方を強く出す、親父譲りのインディ色の強い硬派の印象を受ける。元々は俳優だが、やはり彼も今後演出業の方が中心となると見た。それに今現在、デンゼル・ワシントンが黒人俳優を代表する男優であるというのは疑問の余地はないだろう。「トレーニング・デイ」でオスカーにもノミネートされているが、そこでの悪徳警官役、そして今回の善良な一般市民役と、まったく役柄の違う役を演じていながら、双方でまったく文句のない演技を見せる。もしかしたらまた来年これでノミネートされるかも知れない。


妻のデニースに扮するエリスは昨年、ABCのTV映画「ロレッタ・クレイボーン・ストーリー」で身障者の陸上競技者という役で主演していた。病院のディレクターに扮するアン・ヘイシュは、嫌な女役で登場しておきながら最後に見せ場もあって、儲け役。その他、叩き上げ的な刑事役のロバート・デュヴォール、いかにも、といった感じの医者に扮するジェイムズ・ウッズなど、適材適所といった印象を受ける。その中では、デュヴォールの上司役を演じるレイ・リオッタが一番損な役か。「ハンニバル」でもそうだったが、彼はそういう嫌われ役が板につきつつある。


この映画、実は今のアメリカの医療システムの欠陥を突く、というのが主題になっているらしいのだが、私はそういう社会派としてよりも、よくできた人間ドラマとしてこの映画を見た。私はアメリカに住んで10年経つのだが、実はいまだにPPOとかHMOとか、アメリカの医療システムがよくわかってない。だから映画の中でそういうシステムの欠陥を病院のインターンのような奴が指摘するのだが、そういうものかと思うだけで、やっぱりよくわからなかった。一応健康体であるので、定期検診と歯医者以外あまり医者にかかったことがないし、そういうことをよく考えたことがないのだ。


これがもっと歳とって病気がちになってきたりすると、他人事ではなくなり、この映画が訴えようとしていることがもっと身近に思えるようになるのかも知れない。というのも、先日うちの近くのスーパーマーケットで買い物をしていてレジに並んでいたら、前に並んでいた二人の60代くらいだと思える男女が、この映画について立ち話していて、やはりHMOがどうの、PPOがどうのと議論していたからだ。彼らにはちゃんとこの映画のメッセージが伝わっていたんだろう。私は彼らの会話を小耳に挟みながら、なんか、少しばかり申し訳ないような気分になった。







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