Jersey Boys


ジャージー・ボーイズ  (2014年7月)

「ジャージー・ボーイズ」は、同名ヒット・ミュージカルの映像化だ。とはいえ特にブロードウェイにもザ・フォー・シーズンズにも親しんでいるわけではない私にとって、格別惹かれる題材というわけではなかった。


それがいきなり気になったのは、もちろんこれがクリント・イーストウッド演出ということを知ったからに他ならない。6月のトニー賞にイーストウッドが顔を見せてプレゼンターを務めているのを見た時は、最初なんでまたイーストウッドがこんなところにと思ったが、要するに「ジャージー・ボーイズ」はブロードウェイがオリジナルであることから、出馬を要請されたんだろう。


イーストウッドが「ジャージー・ボーイズ」の演出と聞くと、一瞬えっと思うが、考えてみるとイーストウッドと音楽は、切っても切れない関係にある。「バード (Bird)」や「センチメンタル・アドベンチャー (Honkytonk Man)」なんて音楽そのものを扱った作品もある。ジャズに造詣が深く自身もピアノを弾き、息子はピアニストだ。別にイーストウッドがミュージカルを演出するからといって、特に驚くには当たらない。ではあるが、それでもこのフットワークの軽さは余人に真似のできる芸当ではない。


「ジャージー・ボーイズ」以前の監督作品を遡ってみると、FBI創設者を描いた「J.・エドガー (J. Edgar)」、死後の世界を垣間見た者とスピリチュアルな力を持つ男を描く「ヒアアフター (Hereafter)」、南アフリカのラグビー・チームを描く「インビクタス/負けざる者たち (Invictus)」、偏屈な頑迷老人「グラン・トリノ (Gran Torino)」、娘を攫われた母親「チェンジリング (Changeling)」、第二次大戦二部作「硫黄島からの手紙 (Letters from Iwo Jima)」「父親たちの星条旗 (Flags of Our Fathers)」、女性プロボクサー「ミリオンダラー・ベイビー (Million Dollar Baby)」と、間口が広いとか懐が深いとか抽斗が多いとか節操がないとかいうのでは、もうほとんど説明できない境地に達している。


無論それ以前には西部劇もあればサスペンス・アクションもある。ついでに言うと次回作の「アメリカン・スナイパー」は、除隊するまでに150人以上を射殺したネイヴィSEALの狙撃者の話だそうだ。どう考えても普通、一人の人間が演出できる範囲を超えている。これ全部同じ人間が演出したんだと最初から知っていなければ、到底信じられるものではない。


そして「ジャージー・ボーイズ」は、やはりというかなんというか、いかにもイーストウッドらしい作品になっている。主人公はリード・ヴォーカルを務めるフランキーなのだが、映画が始まってしばらくして、トミーがカメラ目線になってこちらを向いて喋り出す。これにはびっくりした。その驚きも去った頃、今度はフランキーやボブが、やはりカメラ目線になって喋り出した時には、さらにびっくりした。フランキーが主人公とはいえ、狂言回しはトミーが受け持っていて、彼の視点から話が語られるというものではなかったのか。


これは、オリジナルのミュージカルがこういう進行になっているものと考えてまず間違いなかろう。要所要所で登場人物がステージの前面に進み出て、そこにスポット・ライトが当たり、モノローグで展開を述べたりソロで歌ったりして交互に見せ場を作るものと思われる。要するにその演出をそのまま映画にも採用しているのだ。


しかしこういう演出は、舞台だからこそ映える、あるいは意味があるのは、これまた自明だ。舞台で出演者が観客に向かって語りかける、歌いかけるのは舞台演出の基本であり、そこにいかにも生の舞台らしい出演者と観客の交感が生まれる。その時スポット・ライトの後ろでは、舞台装置の移動が行われているかもしれない。


しかし、普通、映画ではこの演出法はあまり用いられない。語りかけるのではなく歌いかけるというのでは、同様にブロードウェイ・ミュージカルを映画化した「レ・ミゼラブル (Les Miserables)」があったが、やはり登場人物が物事を説明するわけではない。映画版「ジャージー・ボーイズ」においては、登場人物が観客に向かって語りかけるのは、話の流れを断ち切ることにしか貢献していない。


とはいえ、そんなこと百も承知でいながら、それでもイーストウッドがやってみるかと決断したというのなら、それはもう我々は受け入れるしかないんじゃないかとしか言いようがない。イーストウッドが考えていたのはブロードウェイ・ミュージカルをたぶんそのまま映画に移植できないか、あるいは映画とミュージカルを合体できないかという試みであって、それはおそらく一般的な映画化という範疇でとらえられるものではない。


私が「ジャージー・ボーイズ」を見て思い出したのは、ジョン・アップダイクがメイジャー・リーガーのテッド・ウィリアムズのフェンウェイ・パークでの最後の試合を見に行って書いたエッセイだ。最後の打席でホームランを打って、いくらなんでもこんなの本当に起こるのかと信じられないものを見て、スタジアムの全観客がせめてもう一度ウィリアムズを見せてくれと泣きながら懇願して足を踏み鳴らしているのに、ダグアウトに引っ込んだウィリアムズは、もう二度と出てこようとはしなかった。アップダイクはこう書いている。神様は手紙に返事なんか書かない。


結局イーストウッドも、映画のために、映画に奉仕するためによい映画を撮ろうとしていても、それは必ずしも観客を喜ばせるためではない。たぶんそれはイーストウッドにとっては自明のことなので、できたものがいつも観客受け、批評家受けするわけではなくても、それはそれで構わないのだ。だいたい、実のところこれまでイーストウッドが観客に媚びる作品を撮ったことがあったか? などということを、家に帰ってきてからつらつらと考えたりしているのだった。










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1951年ニュージャージー。不良で通っていたがバンド活動もしていたトミー (ヴィンセント・ピアッツァ) は、声のいいことで地元には知られていたフランキー (ジョン・ロイド・ヤング) を仲間に加え、ザ・フォー・ラヴァーズを結成する。バンドはさらにソングライターのボブ・ゴーディオ (エリック・バーガン) を加え、バンド名を「ザ・フォー・シーズンズ」と改名、積極的に売り込みを始める。他のシンガーのバックアップ・コーラスとして活動した後、ボブは「シェリー」を作曲、プロデューサーのボブ・クリュー (マイク・ドイル) はレコード化に同意する。「シェリー」は爆発的にヒット、ザ・フォー・シーズンズはスターダムへの道を上り始める‥‥


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