Iron Man 2


アイアンマン2  (2010年5月)

カミング・アウトしたアイアンマンことトニー・スタークに全米の目が集まる。兵器として未知数の力を持つアイアンマンは、もはや個人が所有すべきものではなく国が管理すべきものだとして、トニーを招集して公聴会が開かれる。それをも得意のおふざけで煙に巻いたトニーは、次の社の発表会の準備を開始する。むろん目玉はアイアンマンだが、しかし実はトニーが装着するリアクターは、トニーの身体を蝕み始めていた。一方、ロシアの不遇の天才科学者で、かつてトニーの父の片腕として働き、今では不遇の晩年をおくるの息子として生まれたアイヴァンは、トニーを目の敵として復讐を果たすべく、自家製のリアクターを装着して,トニーが参加するモナコのカー・レースに単身乗り組んでくる‥‥


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一昨年のスリーパー大ヒット、「アイアンマン (Iron Man)」の続編。主演のトニー・スタークにロバート・ダウニーJr.、秘書ペッパーにグウィネス・パルトロウ、親友ジェイムズ・ローディにドン・チードル,そして演出はジョン・ファヴローという主要な布陣はまったく同じ、さらに今回はスカーレット・ヨハンソン、ミッキー・ローク,おまけにサミュエル・L・ジャクソンが新しく顔を見せる。


「アイアンマン」は、スーパーヒーローものとしては、スーパーヒーローの主人公が自意識過剰のナルシストであることが最大の特徴だった。近年のスーパーヒーローは、善と悪の境界が曖昧になった時代の洗礼を受け、自分がなぜ、なんのために戦っているのかを見つめ直すことから新たに復活してきた。「バットマン (Batman)」然り、「スーパーマン (Superman)」然りだ。


「アイアンマン」の場合、それが正義のためではなく、正義を守るために戦うことで称賛を受けるために戦うという、捻った功利主義、ナルシシズムがその理由であることが最大のポイントだ。要は結局世界平和のためではなく、自分自身の利己的な満足感のために戦っている。堂々とそう開き直れると、彼を利己的と責めるわけにも行かない。なぜなら、実際彼がしていることは現実に世界平和の役に立っているからだ。


それでも、そういう技術を彼一人のものだけに限定して使用されることは危険を伴う。その気になればアイアンマンが世界征服を目論むことも可能だからだ。それでアメリア政府はアイアンマンことトニー・スタークを召喚し、彼がアイアンマンの技術を一人占めしていることに対しての是非を問う。というのが「アイアンマン2」のオープニングになっている。


言うまでもなく、軍事産業は一大ビジネスだ。この産業で他社に先んじることができれば、大きな利益を手にすることができる。つまり、アイアンマン・スーツという次世代の兵器を手にしたトニー・スタークとスターク・インダストリーズは、巨万の富を手にしたに等しい。一方でその富と名声を羨む者も出てくる。それが同様に兵器開発に従事しているジャスティン・ハマー (サム・ロックウェル) だ。


一方、やはりトニーに恨みを持っている者がロシアにいた。父がトニーの父と共に研究開発に取り組みながら、社から捨てられ、スターク・インダストリーズを恨みながら死んでいった,アイヴァン・ヴァンコ (ミッキー・ローク) だ。アイヴァンはモナコのレース中にトニーに復讐を企むが結局捕らえられる。しかし同様にトニーに含むところのあるハマーによって助け出され、トニーのアイアンマン・スーツを凌ぐスーツの開発を命ぜられる。


さらにトニーのリアクターは、トニーにどんどん毒素を蓄積させていた。このままでは正義のスーパーヒーローどころか、自分の命も危うい。トニーは一存で社をペッパーに譲り渡し、自分はリタイアしようとする。その一方で、新しい秘書として入ってきたナタリー (スカーレット・ヨハンソン) に対し、むくむくと興味も湧いてくるのだった‥‥


一昨年の「アイアンマン」が、流行りの悩むスーパーヒーローに対する強烈なアンチテーゼとして、痛快な印象を与え、大きくヒットしたことはまだ記憶に新しい。ほとんどのスーパーヒーローがその存在理由に悩んでいる時、その悩みをつまらないものと断じ、徹底して独善的に世界平和のために戦っているとうそぶくアイアンマン=トニー・スタークの登場は、むしろ爽快とすら言えた。我々が待ち望んでいるのは悩めるスーパーヒーローなんかではない、一点の曇りもない自信で悪者どもをばったばったとなぎ倒す正義の化身なのだ。スーパーヒーローはそうではなくては。


「アイアンマン」のヒットは、そういう我々の希望、理想を具現化したヒーロー、そして何よりも、その主人公の印象にマッチし、見事に体現したロバート・ダウニーJr. の魅力に多くを負っていた。ハリウッドに演技派やマッチョ、スーパーヒーローを演じるのことのできる役者は数多いれど、独善的ヒーローを演じてなおかつ感情移入させることのできる者はそれほどいまい。演技力というより本人の持ち味だ。どうしてもドラッグを絶てず、度々警察の厄介になったダウニーJr.のトリック・スター的な印象は、見事にトニー・スタークとシンクロした。ダウニーJr.一世一代の当たり役と言っても過言ではあるまい。チャップリンは一度演じればそれで終わりだが、アイアンマンを演じる機会はまだまだある。


ということで巷から期待され、私も期待していた「アイアンマン2」だが、意外なスーパーヒーローというインパクトが前回ほどではないのは致し方あるまい。今回は「1」で確立したスーパーヒーローをさらに発展させなければならないのだが、ヒーロー像がオリジナルで意外であればあるだけ、それは難しい。それで色んなことをやろうとあれこれ詰め込んで様々なストーリーを同時に展開させたわけだが、それが効果があったかというと、焦点が絞り切れていないという印象の方が強くなってしまったのは、いくらか残念だ。


今回はトニーは、自分のリアクターが機能しなくなってきて、それだけで命の危機にさらされているのに、その上ロシアから刺客は来るしライヴァルはトニーを蹴落とそうとあの手この手を使ってくるし、ペッパーとの関係も暗礁に乗り上げ気味だし、新しい秘書のナタリーはなにか裏がありそうだし、唯一の友人とも言える国防省のジェイムズとも仲違いするし、国はアイアンマン・スーツの技術をとり上げようとする。四面楚歌なのだ。本筋には絡んでこないが、マーヴェルの別のスーパーヒーロであるニック・フューリー (サミュエル・L・ジャクソン) まで登場してくる。


おかげで「2」は、一応起承転結はついており、一本の作品としてまとまりはつけているが、それでも全体としての印象は、さらにヴァージョン・アップした「3」への伏線というものだ。だいたい、今回の予告編では,チードル演じる国防省のジェイムズと一緒にアイアンマン・スーツを着て、その他のアイアンマンもどきらとこれから一戦を交えるというシーンと、トニーがたぶんカウンセラーみたいな人物と対しているのか (実際に相対しているのはニック・フューリーだ)、自分の性格を「典型的なナルシスト」と評され、「同意」と答えるシーンがある。


印象としてはこれらは作品の前半部分にありそうだ。まあ、他のアイアンマンたちとの戦いのシーンはたぶんクライマックスかもしれないが、しかしトニーの鑑定が作品の最後に来るとは誰も思うまい。普通なら、それから物語が始まりそうだからだ。ところがこのシーンは、最後も最後、物語が終わる寸前に登場する。これは、「1」の最後で、トニーが私はアイアンマンだと宣言したのと呼応している。


要するに「1」ではトニーは自分がアイアンマンであることを明らかにし、「2」では最後でアイアンマンの性格を明らかにしていると言える。わかり切っていることだが、それを主人公自らが高らかに認め宣言することで、そのことを土台にした次への指標が明らかにされるのだ。「1」の最後ではトニーが自分がアイアンマンであることを認め、「2」はそれでアイアンマンのテクノロジーを個人一人だけに帰してもいいものかと審議するというところから話が始まった。当然「3」は自分はナルシストだと認めたアイアンマンことトニーの私生活、たぶんにナタリーとペッパーとを絡めた三角関係から入ることは、もはやほぼ確実と言っていいんではなかろうか。


ところで、アイアンマン・スーツはフェイスを降ろす時、カン、となにやら最新素材っぽくない重いブリキみたいな音を出す。なんかロウ・テクな印象を与える音なのだが、それがまた得も言えない味があって、私は気に入っている。あそこは普通ならどうしてもケプラーとかその手の音のしない軽く強い新航空宇宙素材になるものだと思うのだが、よりにもよって、カン、だ。あの脱力音を聞いただけで、これじゃ重くて飛べないよと思ってしまう。むろん、それで飛んでいくからこそいいのはもちろんだ。トニー・スタークの魅力が欠点を含めてこその魅力であるのと同じように、アイアンマンも、決して全能ではないところに魅力がある。その端的な現れが、カン、だ。








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