Interstellar


インターステラー  (2014年11月)

近年は読書はミステリ一辺倒で、書籍としてのSFは読まなくなって久しいが、先頃、立て続けに2冊SFを読んだ。ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの (Inherit the Stars)」と、法月綸太郎の「ノックス・マシン」だ。


前者はSFというよりも、奇想天外なクラシック本格ミステリという評価の方が高いために読んだ。というか、実はこれ、私がまだ早川SFを漁っていたかれこれ30年ほど前に読んでいるはずなのだが、まったく記憶にない。もしかして読んだと思い込んでいるだけかと再読してみたのだが、やはり読んだという感触はどこにもなかった。その時は今のように本格ミステリにはまっていなかったため、特に印象に残らなかったのかもしれない。だとすると2度目も真っさらから楽しめて得したことに‥‥なるのだろうか。


しかし今読むと、これは明らかにバカミスに分類されると思うのだが、このくらいの規模でこれをやると、スケールの大きさに圧倒されて揶揄する気もなくなる。どうせ法螺を吹くなら大きければ大きいほどいいというのは、色んなところで言われている。というか、書いている本人は大マジか。


後者の方はSFとして読んだのではなく、本格ミステリ作家の法月の本だから、当然ミステリだろうと何も考えずに買って読んだ。これが本格ミステリかというと、そうじゃなくて分類するとSFになるのだろうが、これが滅法面白い。事前にこういう内容だと知っていたらたとえ法月であろうと読まなかったと思うのだが、それでもこれだけ興奮しながら本を読んだのは久し振りだ。オレもまだSF読めるんだなあと思った。


とまあ、本としては久し振りにSFを読んでちょっと感じ入るところがあったわけだが、それでも、だからといって今後またSFを読み始めるかというと、そういうことにはならないだろう。それが映画なら、SFは今でも見に行く主要なジャンルの一つだ。映画でもむろんミステリは好きなジャンルではあるが、映画だとさらにアクションが加わる。視覚媒体の映画とSFアクションの親和性は言わずもがなだ。


その中でもクリストファー・ノーラン作品は、なぜ、どうして、という謎が提出されることが多いという点で、ミステリ・マインドもくすぐる場合が多い。「メメント (Memento)」、「インソムニア (Insomnia)」、「プレステージ (The Prestige)」、「インセプション (Inception)」、そして今回の「インターステラー」と、バットマン関係以外のオリジナル作品は、見事にミステリ色が強い。というか、「バットマン」だってノーランが作るとかなり謎解きの印象が強くなる。


「インターステラー」では、マーフとクーパーが隠されていたNASAの研究所を突き止めることができたのは、何者かが重力波の信号をマーフに送っていたためだ。それは何者なのか、なぜクーパーたちにNASAの場所を教える必要があったのか。その謎の理由がいかにもSF的に明らかになるのがノーランSFの真骨頂で、そんなんありかよと思いながら、ほとんど感動してしまったりする。というか、理屈なんか実は100%理解しているわけではないが、乗せられてしまう。


「インターステラー」における地球は、滅亡を目前に控えた瀕死の惑星だ。人類が生き延びるためには宇宙に出るしかない。元パイロットのクーパーは、NASAから宇宙船のパイロットの仕事を頼まれる。とはいっても、生きて帰れる保証はどこにもない。それどころかほとんど人類のために死んでくれと言われているに等しいが、クーパーはそのオファーを受ける。一方、娘のマーフは自分が見捨てられたような気がして、父を許せない。結局父と娘は仲直りすることなく、その時が来てクーパーは宇宙へと旅立つ。娘は父を許さなかったことを悔いながら成長する。


私は最初マーフがスクリーンに現れた時、アン・ハサウェイにこんなにそっくりで、その上演技までできる子をよく見つけてきたなと思った。ハサウェイが出ているのは予告編で知っていたので、子供のマーフを見た瞬間に、これはハサウェイの子供時代に違いないと確信したのだ。そしたらそうではなく、幼いマーフを演じたマッケンジー・フォイはハサウェイの若い頃を演じていたのではなく、成長したマーフを演じているのはジェシカ・チャステインだ。私はてっきりフォイ−ハサウェイになるものだとばかり思っていたので、こいつは意外だった。


フォイとチャステインも似てなくもないが、しかしやはりフォイ−ハサウェイほどではない。最初の30分でフォイ−ハサウェイを確信していた私は、フォイとチャステインが同一人物ということに馴染めず、そのためストーリーが頭のなかでこんぐらがって、ただでさえ理解しにくいノーランSFをわざわざ自分から理解不能にしてしまった。その上映画ではさらに歳とったマーフとしてエレン・バースティンまで出てくる。5次元世界になって時間が逆行したり今と未来と過去が繋がったり閉じたりする世界だとすると、フォイもハサウェイもチャステインもバーステインも実は皆同じ、人類皆兄弟どころか人類皆同一人物みたいな感じになってしまって、頭の中は何がなんだか訳がわからなくなってパンクしそうだ。それなのにノーラン作品ってのは理解できてもいないのにやたらと感情に訴えかけてくるところがあってたじろいでしまう。


今、ちょうど英国の天才物理学者スティーヴン・ホウキングの半生を描いたドキュドラマ「博士と彼女のセオリー (The Theory of Everything)」が公開中なのだが、彼もああいう麻痺した身体になっても、人類は将来的には宇宙に出るしかないみたいなことを確かどこかで言っていた。楽観的とは違う視点で、人類がいつかは宇宙に出て行くことを確信している。やはりいつかは人類は宇宙に進出するのだろうか、それは実現するのだろうか、果たして可能なのだろうか。可能かもしれない。何万年後か何百万年後かは知らないが、地球にいつかは人が住めなくなってしまうのは確実なわけだし。などと最近ちょっとSFじみた頭でなんとなく浮かれた考えに耽ってみたりしているのだった。












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近未来、地球の資源は枯渇し、畑には作物が実らず、地球が滅亡するのも時間の問題だった。人々はより頑なに保守的になり、学校では進化論を教えなくなっていた。農夫のクーパー (マシュウ・マコノヒー) は元パイロットで、今は義父ドナルド (ジョン・リスゴー)、息子トム (ティモシー・シャラメ)、娘マーフ (マッケンジー・フォイ) と暮らしていた。マーフは自分の部屋に幽霊がいると常々主張しており、ある日クーパーとマーフは、それが重力波を使用した暗号で、ある経緯度を示していることを突き止める。そこを目指したクーパーたちは、その場所が今では過去の機関として誰もが存在を忘れていたが、しかし密かに研究を続けていたNASAの施設ということを知る。地球に将来はないと見たNASAのブランド (マイケル・ケイン) たちは宇宙に希望を繋いでおり、既に人類が移住可能な三つの惑星を選定していた。しかし最終的には実際に誰かがその場所を訪れる必要があり、そのために有能なパイロットを求めていた。クーパーはパイロット職をオファーされるが、もちろん生きて帰れる見込みはほとんどないと言ってよかった。マーフは頑強に父に反対し、そして二人は仲直りする機会を持たないまま、クーパーは宇宙に向かって飛び立つ‥‥


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