高給取りの弁護士ローズ (トニ・コレット) と定職のないマギー (キャメロン・ディアズ) の姉妹はまるで共通点がない。マギーはいつもローズに迷惑ばかりかけているが、ある日ローズの上司兼ボーイフレンドと寝ているところを見つかり、部屋を追い出される。マギーは会ったこともない祖母エラ (シャーリー・マクレーン) を訪ねてフロリダに向かう‥‥


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カーティス・ハンソンの新作「イン・ハー・シューズ」を見に行こうとしてヤフーで上映時間をチェックしていて、ふと上映時間を見て嫌な予感に襲われてしまった。実は最近、90分程度の上質作品がかなりあり、長ければいいというわけじゃないことを証明している。ちなみに最近見たやつの上映時間を調べてみると、「セパレート・ライズ」1時間27分、「ア・ヒストリー・オブ・ヴァイオレンス」1時間35分、「フライトプラン」1時間33分で、今公開中で誉められている「グッド・ナイト・アンド・グッド・ラック」1時間30分、「ザ・スクイッド・アンド・ザ・ホエール」1時間21分で、ティム・バートンの「コープス・ブライド」に至っては、たったの1時間14分しかない。


むろん、「ザ・コンスタント・ガーデナー」の2時間9分、「ロード・オブ・ウォー」の2時間2分という2時間を超える面白い作品もあったわけだが、それでも今公開中のキャメロン・クロウの「エリザベスタウン」の受けがよくないのは、まず2時間18分という上映時間にあるのではないかと思いたくなる。それなのに「イン・ハー・シューズ」の上映時間は2時間10分なのだ。実は「イン・ハー・シューズ」を見ることにしたのも、ベン・キングズリーの怪演が話題となっているロマン・ポランスキーの「オリヴァー・ツイスト」(こいつも2時間10分!) が今週から劇場から消えてしまっていたためなのだが、おかげでなんとなく不安であったのは否めない。これまでの経験から言うと、こういう傾向というのは続いたりする。


そういう一抹の危惧を抱いて見に行った「イン・ハー・シューズ」だったが、いやあ面白かった。不安なんて杞憂に過ぎなかった。さすがハンソン、こういう人情ものの機微はまずはずさない。ここがツボという勘どころをきちんと押さえるために、こちらも笑ったりついうるうるしたりと、話を堪能しながらの2時間10分、あっという間だった。どんなジャンルの作品を撮らせてもきちんと仕事をするハンソンって、職人という感じがする。特にこういう原作つきをコンスタントにまとめる手腕は抜群だ。


「イン・ハー・シューズ」は、共にいい歳でありながら独り身の、時に反目しながらも本当はお互いが気になって仕方がない姉妹を描くドラマなのだが、この作品がそれだけで収まらないのは、この二人の祖母エラの存在にある。元々ローズとマギーの母は二人が幼い時に交通事故で他界し、二人は養父母の元で育てられた。エラはそんな二人に毎年、季節のカードを送っているのだが、この孫たちと祖母は、実はもう長い間顔を会わせたことがない。エラは悲劇的に死んだ娘の子供たちを手放したのだ。


この、祖母-孫の人間関係がいかにもアメリカ的だと思うのだが、エラは常夏のフロリダで、リタイアした人たちのコミュニティで一人で生活している (当然マギーとローズの住むフィリーの季節を、雪の積もる寒い冬に持ってきて対比することを忘れない。) エラが孫のことが気にかかってないわけではない証拠に、マギーが来ると面倒を見て世話をしてやり、職まで見つけてやる。つまり、孫が可愛くないわけではないのだ。たとえそれが躾けがまるでなってないような孫でも。とはいえ、だからといって毎年、カードを送る以外には自分から孫たちに会いに行こうとは思わない。自分の人生をエンジョイするのが人生の第一義であり、会えば悲しい記憶を呼び起こすに違いない孫たちに特に会いたいとは思わない。


一方、養父母の方は、彼女たちは会わないでいる方がいいだろうとの独断により、エラからのカードはローズとマギーには渡さず、隠していた。この辺、20年間も毎年季節毎に送られてくるカードに、その家に住んでいたローズとマギーが気づかないというのはかなり無理があるとは思う。そのカードをマギーが発見するのは、ちょっとお小遣いをくすねようと思った手癖の悪いマギーが母親の引き出しをあさっていて偶然見つけたものなのだが、マギーが最初からそういう性格だったら、少なくとも10年も前にそれらのカードはマギーが既に発見していたはずだ。あるいは、マギーとローズがその家に住んでいた幼少時に、彼女らが郵便配達から直接手紙をもらい、エラからのカードを発見しなかった可能性というのは、さらに小さいような気がする。


しかし、そういう、 エラのように、子供たちや孫より引退後の自分の人生を楽しもうと考えている年長者 (明らかに老年という語感とは違う) がアメリカには実に多く、そのため、エラのような人間の存在自体については別に違和感はない。また、それを昔から一人で生きてきましたみたいな印象を与えるシャーリー・マクレーンが演じているため、なおさらだ。マクレーンは昔からわりと年齢不詳のような印象があるが、その印象は今も変わらない。さすがに動かせると歳とったなと感じさせるが、たぶん、本人の気持ちの持ちようも若いんだろう。


このエラの存在のため、作品はローズとマギーの姉妹愛のみならず、さらに一世代飛び越えた家族ドラマ、しかも女性ドラマとなった。ここでは男性は、ローズとマギーとも関係を持った挙げ句、ローズに愛想を尽かされる会社の同僚か、結局最後にはエラからのカードを隠していたことをローズとマギーに謝らざるを得ない養父といった存在ばかりで、エラに横恋慕している男やマギーに詩を教える元教授あたりがいい味を出しているが、本当に重要な役を与えられている男性は、後半、ローズと恋愛関係に陥るサイモン (マーク・フォイアスタイン) くらいだ。彼だけが、ローズとつき合いだした後に彼の趣味や私生活がそれほど多くはないが描かれる。結局は緻密に紡がれた女性家族でも、いい男を見つけるというのはかなり重要なポイントであるのだな。


マクレーンもコレットも予想通りのいいできだが、特にディアスが、実は彼女はかなり表情の作り方はうまいことを証明していた。元教授からAプラスをもらった時の嬉しさを噛み締める表情なんてとてもいい。一方、彼女は思ったよりも速く歳をとりそうだ。私の女房は、ディアスの目は怖いと言っていたが、アップになると既に目の回りに小皺が寄り始めているのがわかる。おかげで役柄とマッチしているのだが、ややもするとちょっとケバいおねーちゃんにならないか心配だ。まだスタイルはいいんだが、ちょっと筋張っていてあまりおいしくなさそうだ。が、その方がただ可愛い子というだけで起用されることがなくなり、今後、実力が発揮しやすくなるかもしれない。


たぶんアメリカは世界で最も女性の力が強い国だと思うんだが、それでも歳をとったり、30代になって男がいなかったりすると、やはりなかなか生きて行きにくいのだなと思わせる。しかしもちろんそれは、最後には別にそれでもいいじゃないかと思わせたり、あるいはちゃんと男をつかまえたりすることを納得させるための伏線に過ぎない。エラの過去の秘密を知りたがって、どうせ私は明日死ぬかもしれないんだから教えてよと迫る、電動車椅子に乗ったご老体や、疲れて休んでいるその女性に向かって、あんた死んでんのと声をかけるマギーを見ていると、別に男がいようがいまいが亭主に先立たれていようが、開き直って人生楽しめばいいんだという気にさせてくれる。


アメリカの劇場では、わりとどんな作品を見に行っても一人や友人同士で映画を見にきている高齢者がかなり目についたりするが、「イン・ハー・シューズ」の場合、特に歳のいった観客が集団で見に来ていた。おかげでマクレーンやご老体たちの絡むジョークが挟まると、場内が沸く沸く。映画が終わると、これまでに経験したことのない盛大な拍手が起こった。別に老人のための作品ってわけではないんだが、やはり作品の中で老人が活躍すると、感情移入もしやすいんだろう。ま、こういう経験も悪くない。


ところで作品中、サイモンがローズをデートに連れて行く和食の店で、食通のサイモンが注文する寿司は軍艦ものばかり。それはまあいいし、いきなりうにを食うというのもまだよしとしよう。常連ぶってメニューに載ってないたら (だったかな) の煮物だか焼いたのだかを注文するのも、たぶん寿司職人ははっきり言って気に入らないと思うが、それだって職人さえいいならば、こちらが文句を言う筋合いではない。しかし、わさびが味をよくするんだと言って、しょうゆに溶くな! わさびはネタの上に乗せるもんであって、溶かすもんではない。せっかくの匂いも味も飛んでしまうだろうが。実はニューヨークにもかなり和食通ぶるアメリカ人はかなりいるんだが、そういう人間に限ってしょうゆ皿にたっぷりしょうゆを注ぎ、溢れるぐらいひたひたににぎり寿司を浸して食ったりする。それで寿司は大好きだが、食った後にのどが渇いてしょうがないなんて言ったりするのだ。アメリカ人の箸の使い方は、数年前に較べると段違いによくなってきたと思うが、まだ、あと、もう少し。







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In Her Shoes   イン・ハー・シューズ  (2005年10月)

 
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