放送局: HBO

プレミア放送日: 3/5/2000 (Sun) 21:00-23:00

製作: HBOピクチャーズ/HBO Pictures

製作総指揮: エレン・デジェネレス、スザンヌ・トッド、ジェニファー・トッド

製作: メアリ・ケイン

監督: ジェイン・アンダーソン (第1話)、マーサ・クーリッジ (第2話)、アン・ヘッチ (第3話)

脚本: ジェイン・アンダーソン (第1話)、シルヴィア・シケル (第2話)、アン・ヘッチ (第3話)

撮影: ポール・エリオット (第1話)、ロビー・グリーンバーガー (第2話)、ピーター・デミング (第3話)

編集: プリシラ・ネッド-フレンドリー (第1話)、マーギー・グッドスピード (第2話)、アン・ヘッチ (第3話)

音楽: ベイジル・ポールドウリス

出演: 第1話: ヴァネッサ・レッドグレイヴ (イーディス)、マリアン・セルデス (アビー)、ポール・ジアマッティ (テッド)、エリザベス・パーキンス (アリス)

第2話: ミシェル・ウィリアムス (リンダ)、クロイ・セヴィニー (エイミー)、ニア・ロング (カレン)、クナターシャ・リオン (ジーン)

第3話: シャロン・ストーン (フラン)、エレン・デジェネレス (カル)、レジーナ・キング (アリー)、キャシー・ナムジー (医者)


物語: 1961年。まだレズビアニズムという言葉も市民に定着していない頃。しかし年老いたイーディスとアビーはひっそりとだが幸せに二人の世界を構築していた。ある日、小鳥の様子を見ようと庭の巣箱に梯子を立て掛けて覗いていたアビーは、小鳥が飛び立った拍子に梯子から転落する。アビーは病院に運ばれるが、待合室で一晩中待っているイーディスに誰もアビーの様態を教えてくれない。しびれを切らしたイーディスが看護婦に掛けあった挙げ句、アビーは昨夜のうちに亡くなったことを知る。イーディスはアビーの甥テッドに連絡をつけ葬儀を済ませ、テッドの妻アリスはイーディスとアビーが共同で購入した家で、二人の記念の品をあれこれ物色し始める。そしてテッドはイーディスに家から出ていってもらうよう頼む‥‥


1972年。ウーマン・リヴ運動がたけなわの時代、リンダたち4人は一軒家で共同生活をしながら活動に精を出していた。しかし大学側はウーマン・リヴ運動に譲歩の姿勢を示していたが、レズビアンには難色を示す。そのためリンダのグループはこれまで共闘していたグループから締め出されてしまう。バーで憂さを晴らしていたリンダはそこで、男装しオートバイを乗り回すエイミーに出会う。二人は一目でお互いに惹かれるものを感じつきあいだすが、他の仲間は男装のレズビアンは男に対しコンプレックスを持っている証拠としてエイミーに反発する。リンダは仲間とエイミーの間で自分の気持ちを推し量った結果、少なくとも自分に正直に生きるエイミーの元へと駆けつけるのだった。


2000年。30代後半を迎えようとするカップルのフランとカルはどうしても子供が欲しく、ゲイのカップルに精子を提供してくれるよう相談を持ちかけるが、なかなか話がまとまらない。しびれを切らしたフランとカルはついに精子バンクに登録。それから無事精子を受胎させようとする二人のてんやわんやが始まる‥‥


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HBOは96年末、女性問題を扱った3話から成るオムニバス、「If These Walls Could Talk (スリーウイメン/この壁が話せたら)」を放送した。この番組は当時のハリウッド女優の稼ぎ頭デミ・ムーアが製作総指揮を担当、出演までした上、シェール、シシー・スペイセク、人気が出る前のアン・ヘッチといった有名どころが出演、妊娠中絶というセンセーショナルな題材を扱ったこともあり、実に話題になった。今でもHBOの映画放送の視聴率記録はこの番組が持っている(因みに全番組を通しての視聴率記録を持っているのは、なんとバーブラ・ストライサンドのコンサート中継である。)


「イフ・ディーズ・ウォールス・クッド・トーク2」は、その続編であり、またもや女性問題に焦点を当てているわけだが、今回は中絶問題ではなく、レズビアニズムがテーマとなっている。シャロン・ストーン、エレン・デジェネレス、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、クロイ・セヴィニー、ミシェル・ウィリアムスといった新旧取り混ぜた女優を揃え、たとえ題材自体に興味を惹かれなくとも充分アピールする布陣。前回では第3話に主演したアン・ヘッチが、ハリウッド女優として名を成した今回は監督に回って演出を担当しているというのも気になるところ。レズビアンを演じるストーンの久し振りのヌードとなったベッド・シーン、そのお相手のデジェネレスは実は私生活ではヘッチがパートナーであること、「ボーイズ・ドント・クライ」のセヴィニーと「ドーソンズ・クリーク」のウィリアムスの顔合わせなど、話題は尽きない。


その中でもやはりネーム・ヴァリューという点で頭一つ抜き出ているストーンが、久し振りに脱いでデジェネレスとレズ・シーンを演じるという第3話「2000年」が最も注目を集めたのは致し方ないところ。しかもそれを監督するのがデジェネレスの実生活のパートナー、ヘッチとなるとなおさらである。デジェネレスは日本ではせいぜい「EdTV」に出てきた女優というくらいでしか知名度はないかも知れないが、ABCでわりと続いた人気シットコム「エレン (Ellen)」という自分の番組を持っていたくらいで、昔はヘッチなんかよりもデジェネレスの方が断然格が上だった。今でもそう思っているアメリカ人は大勢いるだろう。「エレン」で自分がレズビアンであるとカミングアウトした回など、今でも印象に残っている。


しかし実際のこのエピソードの出来はというと、やっぱりというか、話題先行で大したことない。このエピソードは3話のうちこれだけがコミカル仕立てになっているのだが、ほとんど笑えない。内輪だけで満足しているという感じ。ストーンは最近「Muse」等、コメディに痛くご執心だが、私はどうしても彼女がコメディに向いているとは思えない。まあ、確かにハリウッド得意のスクリュー・ボール・コメディに出演する女優は、グラマー系と昔から相場が決まっているわけだが、しかしストーンがコメディを演じると、大仰で嘘臭さが鼻に付く。でももしかしたら後何年かしたらこれがぴたりとはまるようになるのかも知れない。今は何とも言えない。彼女の直感が正しいのかどうか、あと数年待ってみよう。


デジェネレスも演出のヘッチに遠慮したのか(脚本もヘッチ)、彼女の持ち味である皮肉の利いた毒のある笑いがほとんどなく、期待外れ。ただし、中性臭く別にセックス・アピールをほとんど感じないデジェネレスとストーンのベッド・シーンは、やり過ぎの嫌いはあったが、なんか見て得したと思ってしまった。要するにデジェネレスの、女と意識していなかった人の裸を見てぎょっとしてしまったというような意外な驚きは確かにあった。それに較べ、映画で既に昔見ているストーンの裸は別に新鮮な驚きがあるわけでもなく、私にはどうでもよかった。第一、昔に較べれば体型が崩れてきてるのが歴然で、ああいうゴージャス・タイプは崩れてきたからといってヨーロッパの女優が醸し出すような頽廃のエロチシズムとは無縁だから、ああ、おっぱいと尻が垂れてきましたねで終わってしまう。でもきっとそういうのが好きな人もいるだろうから、私は私の趣味ではありませんでしたとだけ言っておこう。


第2話「1972年」では、「ボーイズ・ドント・クライ」でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、逃しはしたものの主演女優賞を射止めたヒラリー・スワンクと共に一躍時の人となったクロイ・セヴィニーと、「ドーソンズ・クリーク」によって人気上昇中のミシェル・ウィリアムスの、これまたベッド・シーンが話題となった。まず、セヴィニー。彼女の高貴とも頽廃とも知れぬか弱そうな印象は、「キッズ」以来相変わらず。「キッズ」はまったく下らない映画だったが、彼女一人で何とか持っていた。あのとき何歳だったかは知らないが、ドラッグで潰れているところを犯されるシーンなんて異様にリアルだったのを覚えている。


その後、「ボーイズ・ドント・クライ」では性差倒錯で自分が男性だと思い込んでいる女性に惚れる女性という、これまた普通でない役柄、その後にはブレット・イーストン・エリス原作の「アメリカン・サイコ」が控えているわけだから、一筋縄では行かない役ばっかり。でも、わかるなあ。美形でありながら近づくものをすべて拒否するようなあのオーラは、どう見ても普通のドラマとは相容れない。今回も髪をオール・バックにした男装の麗人だし、普通じゃないよな。まあ、これが結構似合ってるんだが。しかしチョッパーのオートバイを乗り回すというのはまったく様になっていなかった。いずれにしてもこれからもこの路線で頑張ってもらいたい。


一方「ドーソンズ・クリーク」で一躍名前の売れたミシェル・ウィリアムスであるが、この「ドーソンズ・クリーク」、流石ロウ・ティーンが主要視聴者の番組だけあって視聴者は皆冷めやすく、一時のような人気は既にもうない。視聴率なんて1年前の半分くらいにまで落ちている。ウィリアムスもそれを知っているから早く大人の女優に脱皮しないといけないと感じているのだろう。今回の裸になったベッド・シーンも、大人の女優をアピールするための手段だと見た。胸のでかい外人によくある、ぽっくんが大っきな胸の中に落ち窪んでほとんど突起がわからないタイプのおっぱいの持ち主。しかしこの、童顔だが胸はDカップというのは、これはきっとロリータ好みには受けるぞ。この童顔Dカップウィリアムスと眉目秀麗セヴィニーのベッド・シーンは、私にはストーンとデジェネレスのベッド・シーンより印象的だった。監督は「ランブリング・ローズ」のマーサ・クーリッジ。


そして最後となったが、第1話「1961年」。実はこのエピソードが3作中ベストの出来である。ほとんどヴァネッサ・レッドグレイヴの一人芝居に近い話であり、もう老齢のレッドグレイヴのベッド・シーンなんてもちろんないが、話題作り用のベッド・シーンなんてまるで問題としないほど話がよく練れている。監督がショウタイムの話題となったオリジナル映画「ベイビー・ダンス」のジェイン・アンダーソンと聞いて納得。あれも見応えのある静かなドラマだった。


こういう一人芝居に近い類いのドラマって、2時間の映画だとどんなに演技がうまくても結構退屈してしまうものだが、オムニバスで1エピソードが約30分程度の話だと、まだレッドグレイヴの演技を見てみたい、というくらいで終わってくれてすごく好感が持てる。アビーのベッドで泣くシーンはちょっと大袈裟と思ったが、それ以外はほとんど完璧。長年連れ添ってきたパートナーの死をちょっとした身振りや言葉の端々で見事に体現。巧いとしか言い様がない。


また、冒頭、映画館でのシーンでイーディスとアビーが、オードリー・ヘップバーンが主演したレズビアンがテーマとなっているため公開当時はほとんど無視されたという「噂の二人」を見て感動しているが、後ろでは笑っている若い世代がおり、彼らの微かな好奇の目を後にしながら自宅に帰るシーンとか、イーディスが病院で隣り合わせた主婦が、「あなたも夫が?」と聞くシーンなど、レズビアニズムがまだ認知されていなかった当時の様子をうまく描き出している。


また、夫が心臓発作で倒れた主婦の話でも、実は夫は彼女の目の前で発作を起こしたのに彼女はまったくそれに気がついていなかったとかいう、本筋にはまったく関係のない話にも眼が行き届いていて感心させられる。その他、最初の部分しか出番はないが、勝ち気だが何事にも前向きなアビーを演じるマリアン・セルデス、イーディスを気遣いながらも相続税やら何やらのためイーディスが家を出ていってくれることを願っているテッドに扮するポール・ジアマッティ、その妻で、既にこの家の新しい主になった気でいるアリスに扮するエリザベス・パーキンスらもそれぞれ適役。このエピソードだけで劇場公開したらアカデミー賞の短編賞も充分狙えるのにと思える出来である。


私は今回、番組を見てから各雑誌/新聞の批評を読んだのだが、ストーン/デジェネレス、セヴィニー/ウィリアムスのベッド・シーンばかりが事前に注目されていたこともあり、実はまさか皆このレッドグレイヴの名演を無視するなんてことはないよなとちょっと心配だった。ところが、いざ目を通してみると、全紙 (誌)、一つも洩れなくレッドグレイヴを絶賛しており、何だ、一応皆見るべきところは見てるじゃんと、ほっとした。TV映画も捨てたもんじゃない。






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If These Walls Could Talk 2

ウーマン・ラブ・ウーマン (イフ・ディーズ・ウォールス・クッド・トーク2) (スリーウイメン2)   ★★1/2

 
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