2035年、進化したロボットは人々の生活の一部としてなくてはならないものになっていたが、過去のとある事件でロボットを信じられなくなっていた刑事のデル (ウィル・スミス) は、ことあるごとにロボットに不審の目を向ける。ある時、世界最大のロボット製造企業USロボティクスの研究者レニング博士 (ジェイムズ・クロムウェル) がUSロボティクスの高層階から墜落して死亡する。状況は自殺を示唆していたが、デルは新型ロボットのサニーに疑惑の目を向ける。しかしアシモフの三原則により、ロボットは人間に危害を加えることはあり得ないはずだった‥‥


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最近、ハリウッド大作とインディ映画を交互に見るというスケジューリングがわりとうまい具合にかち合っていたんだが、夏も本番になり、こうもあとからあとから一応は面白そうなハリウッド大作が矢継ぎ早に公開されるようになると、もうダメだ。どうしてもインディ映画は公開作品数自体が減ってくるし、これまではなんとかこなしてきた面白そうなハリウッド大作ですら見落としが出てくる。もう既にスピルバーグの「ターミナル」は諦めたし、たぶんこの分だと「キング・アーサー」も諦めざるを得ないだろう。


今月末からさらにこの傾向は加速し、来週は「ボーン・シュープレマシー」、「キャットウーマン」、再来週は「マンチュリアン・キャンディデイト」、「ヴィレッジ」、「サンダーバーズ」、その翌週は「コラテラル」だ。実は「座頭市」や「ガーデン・ステイト」辺りにも興味を惹かれているのだが、どう考えてもこんだけ全部見る時間は作れそうもない。


で、とにかくまずは「アイ、ロボット」を見に行ってきた。ベイシックなアイディアはアシモフの有名な同名の原作からいただいているようだが、基本的にその骨格だけ借用して、話そのものはほとんど別物であるらしい。演出は、「クロウ 飛翔伝説」のアレックス・プロヤス。


SFの古典である「アイ、ロボット」がこれまで映像化されていないのは、当然、ほとんど人間のように動くことのできるロボットというのをスクリーンに定着させることが難しかったからに他ならない。さもなければ、これだけ有名な原作だ、今までに誰かが映像化していてもおかしくない。しかし、ロボットだ。本当にそのようなロボットが作れなければ、中に人間が入った着ぐるみで撮影するしかないが、それじゃきっと「地球の静止する日」になってしまい、今時の作品でそれじゃギャグにしかなるまい。そうするとロボットは全編CGで撮影するしかないが、それも嘘くさいと視聴には堪えまい。たぶんこの作品の映像化のアイディア自体はだいぶ前からあったに違いないが、最新のCG技術によって嘘くさくないロボットが描けるまで待っていたんだろう。


実際、この作品の醍醐味は、主演のスミスと彼を助けるスーザン・カルヴァン博士 (ブリジット・モイナハン) を食う活躍を見せる、新型ロボットのサニーの言動にあると言える。私は、どんなにCG技術が進化しようとも、アクションの要諦は生身の人間のアクションにあり、CGは、それがCGとはわからないような使われ方こそが最も作品に奉仕すると思っているのだが、サニーの場合、誰がどう見てもこれはCGだ。


それが面白いと思えるのは、そのサニーの人間離れした (ロボットだから当然だ) 怪力スピード・アクションよりも、ロボットだからこその多少の表情のなさや作り物めいたところが、逆に話にうまく合致しているからだ。その、あまり表情のない、つまりそこまで完全には人間にはなり切れないサニーこそが裏の主人公であり、実は、どれだけスミス演じる主人公のデルが過去を背負っていようと、ウィンクすることの意味を模索するサニーの方が、怖さと同時に逆に人間味を感じさせもする。サニーは成長過程の子供なのだ。それなのに、たぶん知識という点だけから見れば世界中のどの人間よりも豊富な情報量を持っていると思われるサニーが、初めて持ち始めた「感情」というなんとも不思議なプログラミングのおかげで悩むことになる。人間って、やっぱりまともなことをしない。


実は私は原作は読んでいないのだが、その「アイ、ロボット」で宣言されたロボット三原則、つまり、(1) ロボットは人間を傷つけてはいけない、(2) ロボットは (1) に反しない範囲で自分の身を守らなければならない云々はよく知っている。確か石森章太郎の「人造人間キカイダー」か、「サイボーグ009」辺りで読んだことがあるからだ。そして「キカイダー」も、なぜ自分は人間でないのかと悩むという設定だった。元々石森章太郎の描くSFは、「キカイダー」だろうと「009」だろうと「ロボット刑事」だろうとわりとよく主人公が悩むのが特徴で、特に自分がなぜ人間でないのかと悩むのは、それこそ石森SFの十八番のようなものだった。その点、石森SFは「アイ、ロボット」を含むアシモフSFの影響を強く受けていたんだろう。


主人公を演じるスミスは着痩せするタイプで、服を着ているところを見ると別にそんなにも見えないんだが、上半身裸になると、かなり筋肉がついていい身体をしている。スミスを助けるUSロボティクスの女性科学者カルヴァン博士がブリジット・モイナハンで、「リクルート」に続き、アクション系の女優としてかなりはまっている。本来ならこの二人の間に愛情が芽生えるというのが話作りの常道だろうが、「アイ、ロボット」ではそこまでの関係にはならない。黒人男性と白人女性で恋愛させてしまうとやはりまだ現代では話が生々しくなりすぎて、アクション作品としては焦点をぼかすだけの結果にしかならないからかなと思ったりもしたのだが。


スミスは今でこそ押しも押されぬスターで、ガタイもいいし、歌も歌えるしダンスもできるし、元々シットコム出身であるために、当然のことながらコメディもこなせる。どちらかと言うと彼が出演した中ではシリアスな部類に入る「アイ、ロボット」でも、やっぱりギャグをかませずにはいられない。実は「アイ、ロボット」上映前の予告編でも、やはりTVのコメディ出身のジェイミー・フォックスが「コラテラル」でトム・クルーズと共演していたが、黒人俳優はごく一部の例外を除き、大方がTV出身だ。しかもドラマよりも、チャンスをつかみやすいシットコムやコメディ、スタンダップ出身が圧倒的に多い。だからこそ出演作も多少のギャグが挟まる系統が多くなる。しかしフォックスの「コラテラル」はどう見てもシリアス一辺倒で、しかもその次の主演作がレイ・チャールズの半生を描く「レイ」であるだけでなく、今春TVでもTV映画の「レデンプション」で、囚人役でシリアス演技を見せていた。それに較べると、やっぱりスミスってギャグっ気がどうしても抜けない。


作品中、スミスがコーヒーを飲むシーンで、コーヒーに砂糖を何杯も運んで思わず顰蹙を買うという場面がある。実は、黒人でコーヒーに砂糖をとにかく大量に入れる奴は、かなりいる。私もデリや路上のヴェンダーで毎朝コーヒーを買うのだが、ある時、前に並んでいた黒人が、コーヒーにスプーン山盛り5杯分も砂糖を入れさせているのを見た時には驚いた (だいたいNYのデリでは、店の者に頼んで砂糖やミルクを入れてもらうシステムだ。) コリアンのデリの人間も驚いていたが、その男いわく、なんでも溶けきれなくなった砂糖にスプーンが立つくらいがおいしいんだと、平然とのたまっていた。こいつほどじゃなくとも、日本人の感覚から見れば絶対甘すぎて飲めないくらい砂糖を入れさせるアメリカ人の確率は、黒人白人を問わずかなり高い。デリでコーヒーを「レギュラー」と言って注文すると、自動的にミルクと砂糖2杯分入れられてしまうのだ。これで充分日本人には甘すぎて飲めないだろう。私は、同じように砂糖を大量に入れるスミスを見て、これだからアメリカ人にはシュガー・ハイになってハイパーになる人間が多いんだとひとりごちたのであった。 






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I, Robot   アイ、ロボット  (2004年7月)

 
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