イランから妻ナディ (ショーレー・アグダスルー) とティーンエイジャーの息子エスマイルと共にアメリカに移住してきたマッスード・ベラーニ (ベン・キングズリー) は、市によって押収された一軒家を競売によって格安で手に入れる。しかしその物件は、IRS (税務署) の手違いによって押収対象となったものであり、にもかかわらず、それまでそこに住んでいたキャシー (ジェニファー・コネリー) は強制的に立ち退きを余儀なくされる。IRSの間違いが明らかにされるが、既に引っ越してきていたマッスードは、自分が支払った額ではなく、その何倍もの市場価格を払わない限りそこを動かないと宣言する。一方、キャシーに好感を持つシェリフのレスター (ロン・エルダード) は、キャシーに協力を約束する‥‥


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「イン・ザ・ベッドルーム」も書いたアンドレ・デビュースの同名原作の映像化。考えたら「イン・ザ・ベッドルーム」も、普通の生活を営んでいる普通の一家が、ある事件を契機に、これまでは予想もしなかった世界に足を踏み入れるという話だったが、ここでも同様に、傍目からはごくごく一般的な中流階級にしか見えない二つの世帯 (一方は女性の一人暮らしであり、一方も一家の長が仕事をかけ持ちして稼いでいるが、現在のアメリカの一般的世帯とは多かれ少なかれそんなもんだろう) が、雪山を雪崩となって転がり落ちるように取り返しのつかない事態に陥って行く様を描く。この作家、そういう市井の人々の生活が段々破綻していくという局面を書かせると抜群にうまい。


演出はこれが初監督作となるヴァディム・ペレルマンで、因みに「イン・ザ・ベッドルーム」を演出したトッド・フィールドも、初監督作であった。要するに、設定がごく一般的な世界であるため、製作にそれほど金がかからないで済むというのもあろう。デビュースの書く世界というのは、元々ハリウッド大作というよりも、インディ映画向きの題材なのだ。


作品は冒頭、IRSからの督促を無視したキャシーが、立ち退きを食らうところから始まる。元々間違いで、払う必要のない税金ということで無視していたら、お役者仕事がめぐりめぐって強制退去というところまで事態がこじれてしまっていたのだ。慌てたキャシーが弁護士を雇い、家を取り返そうとしたところ、既に家は競売によって市場価格の3分の1程度の値段で買い手が付き、次の人が引っ越してきていた。


それがベン・キングズリー扮するマッスード・ベラーニ一家で、元々はイランの軍人としてかなりの要職についていたマッスードは、この競売が間違いによって起こったことを理解しながらも、自分がこの家を手に入れたのは正当な手段によるとして、もし家を買い戻したいのなら、マッスードが買った価格ではなく、その3倍もの市場価格でないと家は手放さないと、家を売り渡すのを拒む。


一方、キャシーに同情する警官のレスターは、同情以上の感情をキャシーに対して持つようになり、妻子を捨ててまでキャシーの力になろうとする。レスターの行動は徐々に法の執行者としての立場を逸脱し始め、ベラーニ一家に対し、ほとんど脅迫とも言える行為をとり始める。マッスードは警察に対して苦情を申し立てるが、もちろんそれは事態をもっと悪くするだけにしかならなかった‥‥


とまあ、3組の世帯が蜘蛛の糸に巻かれるように、事態は悪い方に、悪い方にと転がっていくのだが、基本的にここには本当の悪人は存在しない。少しずつ皆欠点は持っているのだが、だからといってそのくらいの欠点のせいでここまで事態が悪くなったりするのはあんまりだ。キャシーはお役所からの手紙を無視したかもしれないし、マッスードは少し欲張りすぎたかもしれないし、レスターも少し権限を逸脱してしまったかもしれない。しかし、誰もそれがここまで事態を悪くするとは露ほども思ってなかったのだ。


それにしても、段々事態がこじれていく中盤からクライマックスまではまるで怒濤のような勢いで、息もつかせない。そしてよりにもよってああいう結末を迎えるとはいったい誰が予想できたか。せめて誰か一人でも明るい未来を見せてくれたならと思うが、こういう、ハリウッド的でない結末を見せてくれるところがインディ映画のインディ映画たるところでもあり、ここでヘンに中途半端にハッピーエンドっぽく結末つけちゃうよりは、いっそこの方が潔いのかもしれない。


キングズリーは相も変わらず芸達者なところを見せる。最近でも「アンネ・フランク」でのヒューマンな父親役、「セクシー・ビースト」での冷血人間、そしてここでの自己を厳しく律する元軍人役と、すべてで説得力たっぷりに演じることのできるのは、もう、さすがとしか言い様がない。一方のコネリーも、「ビューティフル・マインド」でのアカデミー賞受賞はフロックではなかったところを見せる。そしてキングズリーの妻を演じるアグダスルーが、こういう、世間に疎そうな女性って、いなさそうでいながらいるんだよなという感じをうまく出しており、それぞれ好演。


監督のペレルマンはロシアのキエフ生まれで、幼い時に父が他界したせいで、辛酸を舐めたらしい。イタリアに一時住んだ後、カナダに移住したということだが、一時はストリートで生活をしたこともあるとニューヨーク・タイムズのインタヴュウで答えていた。それからTVコマーシャルで身を立てるまでになったらしいが、異国の地で自分一人の手で道を拓き、一軒の家に異常すぎるほどこだわる「砂と霧の家」のマッスードの姿は、他人のようには見えなかったようで、原作を読み終えるや否やエージェントやデビュースに電話をかけまくって、その熱意でデビュース本人から映画化の承諾を得たという。


しかし、「ミスティック・リバー」といい、「砂と霧の家」といい、最近の評価が高い作品に、いかにもアンハッピーエンドの作品が挙げられるのは、時代というものか。これだってハッピーエンドだったとは到底言い難い「21グラム」が、心安まる映画だったように思えてしまう。「ミスティック・リバー」を見た後、うちの女房は思い出したくないと言っていたが、「砂と霧の家」も見ていたら、きっとたぶん同じことを言ったに違いない、一人で見に来てよかったと思ったのであった。しかし、重いエンディングだからといってこの作品を見逃すのは、人生の大きな損失という気もするが。



追記:

上で「イン・ザ・ベッドルーム」のアンドレ・デビュースと書いたが、「砂と霧の家」のデビュースは、アンドレの息子であるそうだ。道理で今回に限って、紹介される時にいつもアンドレ・デビュース3世と書かれていると思った。前は3世なんて書かれているのは全然見なかったんだけどなあ、本人から正しく綴るよう注文でもあったのかなと思っていた。まったく、欧米での名前で時々思うのだが、別に大した家系でもないのに父親の名前をそのまま息子につけないでもらいたい。さもなければ、アンドレ・デビュースを紹介する時に、アンドレ・デビュース2世 (息子が3世であるなら当然そうだろう)、あるいはアンドレ・デビュースJr.としてもらいたかった。だったらこんぐらがることもなかったのに。しかも二人して似たような印象の作品を書くからなあ。でも、親子だから当然か。






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House of Sand and Fog   砂と霧の家  (2004年1月)

 
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