Hollywood Homicide


ハリウッド的殺人事件  (2003年6月)

「ハリウッド的殺人事件」は、実は先週から公開されている。しかも興行成績はよくない。これまでほとんどヒーロー的な役をやることでスターダムに登ったハリソン・フォードが、今回はわりとコミカルな演技に挑戦しているのだが、それは人々が見たいフォードではなかったのだ。これまでにもコメディ系の映画に出演していないことはなかったが、アクションもので、しかも刑事として出演する映画でまでコミカルで冴えないフォードが見たいとは、人々は思っていなかったのだ。とはいえ、それでも新しい分野に挑戦するフォードに敬意を表して、劇場まで足を運んだ。


LAPDの刑事、ジョー・ギャヴァラン (ハリソン・フォード) とK. C. コールデン (ジョシュ・ハートネット) は、一方は不動産のブローカー、一方はヨガの先生として内職をしながら生計を立てていた。不動産の方が金になるギャヴァランの携帯には、捜査中でも構わず電話がかかってくるし、本当は俳優になりたいと思っているK. C. は、つきあう女の子の名前さえ数が多くて覚えきれない。そういう二人があるクラブでの発砲殺人事件を捜査することになり‥‥


公開2週目で、既に劇場ががらがらの状態が如実に示している通り、「ハリウッド的殺人事件」は失敗作であると断言してしまって差し支えなかろう。実際、どう考えても人が誉めるとは思えないし、私も人に推薦しようとも思わない。ストーリーは、アラを探せばいくつでも見つかるし、フォードとハートネットは新しい役作りに挑戦しているとはいえ、それが成功したかどうかは疑わしい。つまらない不動産の内職をするフォードは、イメージ失墜でこれまでのファンをがっかりさせるだけのように見えるし、ゲイっぽく見せるハートネットの髪形も、好き嫌いは分かれそうだ。しかし、そういう部分をさておいて、この映画が受けない最大の理由が、ほとんど機能していないアクション・シーンにあるのは間違いあるまい。


とはいえ、その、まったくスピード感のないアクション・シーンが、ある意味で新鮮な魅力となっている部分もあると、言えないこともない。一生懸命やっているのに乗れない、という、無駄なあがきをしているような感覚が、ヘンに面白いと言えば、言えないこともないのだ。クリント・イーストウッドやアーノルド・シュワルツネッカー主演のアクション映画で垣間見ることのできる、まったくスピード感がないのに高揚させる、あの魅力に近いものを時として見せないこともないのだ。


その隔靴掻痒的な感触が最も端的に現れているのが、小運河の迷路のような場所を事件の関係者を追うシークエンスだろう。何を思ったかその男は、追われて運河に止めてあった、ペダルで漕ぐ一人用のアヒルのボートに飛び乗ってしまう。遊覧用のそのボートは元々スピードが出るものではなく、全力で漕いでも漕いでも前に進んでいるようには見えない。これじゃよほど泳いだ方が速いだろう。こんなのすぐ簡単に捕まえられそうなのに、彼を追うハートネットは水の中に飛び込みもせず、向こう岸に早回りする。


それを見た男は元の岸に戻ろうとするも、やはりスピードは出ない。ハートネットはまた橋を戻ってきて、結局男はボートから落ちて水の中を歩いて進むのだが、その方がやはり断然速く前に進む。そして何よりも不思議なのは、その男の裏をかこうと、遠くの方で車に乗って男の進路を塞ごうとしているフォードで、あんたもわざわざそんな狭い入り組んだところで車を走らせるより、どう見ても車から降りて、ハートネットの対岸にいさえすれば、簡単に男は捕まえられるだろうに。このシークエンス、アクションの経済性を無視し、わざわざ入り組んだ構造にしているのに、それがまったく機能していないのだ。あのアヒル・ボートは、それでオフ・ビートのユーモアを出そうとしたというよりも、漕いでも漕いでも前に進まないという感覚が、この映画を象徴することになってしまった。


その他にも、予言が当たって、駆けつけた場所に求める男が現れる偶然のあまりものいい加減さは、やはりジョークというよりは手抜きにしか見えないし、その後のLAのチェイス・シーンなんて、チャイニーズ・シアター前でのセレモニーなんてシチュエイションを今さら持ってくる時代感覚の錯誤ぶりもかなりのものだ。サブウェイを絡めたシークエンスでも、先週見た「ミニミニ大作戦」が、最上とは言えないまでもなかなか面白いシーンを演出していたのに、「ハリウッド的殺人事件」では、同じサブウェイを舞台としていても、なぜこうも冗長になると、不思議な感じすらした。フォードは汗みずくで走っているのにである。その他に私が哀しかったのは、「13デイズ」でジョン・F・ケネディに扮し、惚れ惚れするような渋い演技を見せたブルース・グリーンウッドが、ここでは単なる捨てキャラとして、おかしくすらない使えない刑事を演じていることで、あれはただただ哀しかった。


監督のロン・シェルトンは、「さよならゲーム」や「ティン・カップ」等のスポーツ映画の佳作を撮っている人だが、今年はやはり刑事アクションの、こちらはがちがちのシリアスなドラマ「ダーク・スティール (Dark Blue)」が既に公開されている。スポーツものからは足を洗ったのだろうか。スポーツというのは実はアクションばかりではなく、わりと何もしていない時や、スロウな部分も多い。「さよならゲーム」や「ティン・カップ」の成功は、そういう部分をうまく撮っているからという気がしたが、「ハリウッド的殺人事件」では、そういうスロウな部分の演出の勝手が違ってしまったという印象を受けた。


なぜだか多分狙ったことが的を得ず、あるいは思った通りにオフ・ビートになりすぎたために、とにかく脱力アクションとして完成してしまった「ハリウッド的殺人事件」であるが、この脱力感は、もしかしたら結構ある種の人々には受けるのではないか。なんとなく、この映画、カルト映画として定着するような気もしないではないが‥‥やっぱり無理かなあ‥‥







< previous                                      HOME

 
inserted by FC2 system