Hitchcock/Truffaut

放送局: HBO

プレミア放送日: 8/8/2016 (Mon) 21:00-22:30

製作: アルテ・フランス、コーエン・メディア・グループ

製作: チャールズ・コーエン、オリヴィエ・ミリ

監督: ケント・ジョーンズ


内容: 映画本クラシック「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」のできるまで。

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Hitchcock/Truffaut


ヒッチコック/トリュフォー  ★★★

1966年に、フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーが、英/アメリカの映画監督アルフレッド・ヒッチコックに映画製作の極意をインタヴュウしたのをまとめた「ヒッチコック/トリュフォー 映画術 (Hitchcock/Truffaut)」は、映画への愛と製作技術が詰まった映画本の古典だ。日本では、晶文社が厚手の表紙を用いたハードカヴァーとして1981年に翻訳出版している。


この本、とにかくやたらとでかくて重い。持ち運びにはまったく不向きで、携帯して空いた時間にちょこちょこ読むという読み方がまったくできない。さらに当時確か3,000円くらいした値段は、古本屋と図書館が読書体験の主体である窮乏している学生には、簡単に買える値段ではなかった。とはいえ、あれはどうしても手元に置いておきたくなる本なのだ。そのため、そのうち古本屋に出てきて、せめて半額くらいで買えるようになるのを待つしかなかった。


そしたらある日、大学のキャンパスに行くと、先輩がこの本の話をしている。持ってんだ、すげえ、と思って、読み終わったら是非貸してくださいと頼もうとしたら、実はとても面白かったので、これ読め読めと友人に貸したら、返してくれないんだよな、というので、頼み損ねてしまった。結局自分で手に入れたのはやはり古本屋で、それから数年後だった。


「ヒッチコック/トリュフォー」は、ヒッチコック映画の製作の技術本でもある。本文中に細かく編集、カット割りを示した図版が幾つも出てくる。だから造本も大判になる。一方でそのため、詳しい図版があればあるほど、それが実際に動く絵ではないこと、さらにそこに効果を最大限に高めるための効果音、音楽がないもどかしさを、一層感じさせることにもなった。


いくら幾つものカットを並べてその意図、効果を説明され、それを基に頭の中で再現しようとも、それはやはりでき上がった作品とは異なる。さらに頭の中でヒッチコック作品を再現してみると、いかに細心の注意を払って映像に効果音や音楽が付加されているかということに気づく。


「サイコ (Psycho)」のシャワー・シーンでジャネット・リーが襲われる時を思い出すと、同時に頭の中でシャキーンシャキーンとあの印象的な効果音が鳴る。「めまい (Vertigo)」でクルマに乗ったジェイムズ・スチュワートがサンフランシスコの坂道でキム・ノヴァクを追うシーンで、バーナード・ハーマンの音楽が頭の中に響かない者はいないと思う。


映像はもちろんだが、やはり音も欲しい。ヒッチコック作品は、視覚だけではない、聴覚も揃って最大限に効果を発揮する。それを確かめるためには、やはり本だけではなく、ヴィデオ/フィルム媒体を使えれば、それにこしたことはない。「ヒッチコック/トリュフォー」を読みながら、誰もが、今、二人が話しているシーンを実際のフィルムで見たいと思うのは必至だ。そのことを実践したのが、今回の「ヒッチコック/トリュフォー」なのだ。要するに、皆感じていることは同じだ。


ただし、むろん時間に制約のある映像媒体では、紙面で述べられている作品全部を紹介できるわけではない。また、どちらかというと今回の目的は、クラシックであるオリジナル本ができ上がった経緯を詳らかにすること、そしてヒッチコックとトリュフォーという、映画製作の資質としてはむしろまったく相容れない対極の位置にいるだろうと思われる二人、特に、だからこそヒッチコックを敬愛して止まないトリュフォー、そしてトリュフォーの要請に応え、その後も友人であり続けたという二人の関係をとらえるものになっている。


実際の話、現代ではヒッチコック作品を見よう、手に入れようと思えば、簡単に手に入る。わざわざ本で言及されているからといって、それらをいちいち参考用に逐一番組内に挿入することほど芸のないこともあるまい。そのため、実は番組内で実際のヒッチコック作品を見せるのは、特に多くはない。


一方、実に50年前にもなるインタヴュウの映像があったことは驚きだ。当時はまだヴィデオ撮影は一般化されていないはずだから、これはフィルム撮影だろう。むろん高価なフィルムを使って延々と二人のインタヴュウ・シーンを撮ったはずはなく、番組内で見られる二人の姿は、実際のインタヴュウを開始する直前とか、そんなもんだ。後はもっぱらテープ・レコーダーによる録音だけになる。


ヒッチコックを敬愛するトリュフォーの真摯な姿勢には感動を覚えるが、それよりも面白かったのが、「めまい」は興行的には失敗しましたよねと確認するトリュフォーに対し、最終的にはとんとんだったよと憮然と答えるヒッチコックで、やはり職人ヒッチコックとしては、興行的にも成功したい思いは強かったようだ。こういう間合い、微妙な発言のイントネーションは、活字を追っていてもわからない。


迂闊なことだが、私はこのインタヴュウは英語でなされたものだとばかり思っていた。ヒッチコックはまずフランス語はできないだろうが、トリュフォーがどこかで英語を喋っていたのは見たことがある。それでトリュフォーは英語でヒッチコックにインタヴュウしたものだと早合点していた。ところがそうではなく、現場ではちゃんと通訳がいて、フランス語で質問するトリュフォーと、英語で答えるヒッチコックの橋渡しをしている。その、ちょっとでっぷりとした通訳のヘレン・スコットの姿を見た途端、そうだった、彼女は通訳だった、彼女の写真も本でちゃんと見ている。それなのに、なぜだか私はインタヴュウは英語でされたもんだと記憶を捏造していた。思い込みってのは怖い。


番組では何人かの映画監督がインタヴュウされている。わざわざこういう番組に起用されるわけだから全員ヒッチコキアン、とまでは言わなくともヒッチコックのファンであることは間違いあるまい。映画という媒体そのものに詳しいマーティン・スコセッシがヒッチコックをよく知っているのはわかるが、デイヴィッド・フィンチャーがヒッチコック・ファンであるとは知らなかった。ウェス・アンダーソンもそうだ。


黒沢清とかオリヴィエ・アサヤスといったところは、映画ファン以外にはほとんど無名のはずで、それでもインタヴュウされているところを見ると、かなり筋金入りなんだろう。おしなべて言えることは、彼らがそれぞれヒッチコック・ファンだとしても、そのことから彼らが作る作品にヒッチコックの影響を感じる部分はまったくないということだ。これはトリュフォーにも言えることであり、はっきり言って頭の中で作品を完成させてから撮るヒッチコックと、即興や自発性を重んじるヌーヴェル・ヴァーグのトリュフォーは、真逆とすら言える。むろんだからこそトリュフォーが自分にないものを持っているヒッチコックに傾倒したのは、わからないではない。人は自分が持ってないものを持っている人が気になるのだ。










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