放送局: NBC
プレミア放送日: 1/7/2007 (Sun) 20:00-21:30
製作: BBCワールドワイド・プロダクションズ
製作総指揮: アル・エッジントン、ルー・ストローラー、ポール・テレグディ
ホスト: ビリー・ブッシュ、デニス・ヴァン・アウテン
ジャッジ: デイヴィッド・イアン、キャスリーン・マーシャル、ジム・ジェイコブス

内容: ブロードウェイ・ミュージカル「グリース」に主演する男女優を選ぶ勝ち抜きリアリティ。


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FOXの「アメリカン・アイドル」の近年例のない大成功は、「アイドル」にあやかれとばかりに他のネットワークによる同工異曲の番組を輩出させたが、どれも物真似、二番煎じの域を出ず、ことごとく失敗に終わった。だいたい人気番組というのはそういうものだが、あるブームをもたらした最初の番組こそが最上であり、あとに続く番組は所詮物真似に過ぎず、まずオリジナルを超えることはできない。そんなことは当然どのネットワークの幹部だってわかっている。とはいえ、やはりライヴァル・チャンネルの成功を指をくわえて見ているだけというのも業腹だから、ちょっと手を加えた同様の番組製作に手を出してはみるものの、やはり成功するわけがない、というのが飽くことなく繰り返されている番組製作の不変のサイクルである。


昨年もABCの「ザ・ワン: メイキング・ア・ミュージック・スター (The One: Making a Music Star)」、CBSの「ロック・スター: スーパーノヴァ (Rock Star: Supernova)」、FOXの「セレブリティ・デュエッツ (Celebrity Duets)」なんていうほとんど「アイドル」そのままの二番煎じ番組が続出したが、当然成功には至らなかった。「セレブリティ・デュエッツ」なんて、「アイドル」を放送しているFOXがさらに濡れ手に粟を夢見て製作しているのだが、視聴者からは完璧に無視された。


喉自慢に限らなくても、同様のタレント・ショウにはNBCの「アメリカズ・ガット・タレント (America's Got Talent)」(なんと「アイドル」のサイモン・コーウェルによるプロデュース番組) や、ABCの「マスター・オブ・チャンピオンズ (Master of Champions)」なんて番組があった。ここでは参加者は歌を歌うだけではなく様々な芸を見せるわけだが、それでもやはり「アイドル」の影響は一目瞭然だった。そしてもちろん、これらの番組もほとんど泣かず飛ばずで終わっている。


そんな中、もしかしたらこれは、というささやかな期待と不安を煽り立ててくれたのが、NBCが放送する、この「グリース: ユア・ザ・ワン・ザット・アイ・ウォント」である。なんとなればこの番組、ただの喉自慢勝ち抜きリアリティとは異なり、優勝者はブロードウェイ・ミュージカルとして今夏上演が予定されている「グリース」の主演、サンディとダニーの二人をこの番組で決めてしまおうというのだ。当然優勝者に要求されるのは歌唱力だけでなく、見場もよくなくてはダメで、さらにダンス、演技力まで要求される。歌って踊れて格好よくなければダメなのだ。競争はかなり高いレヴェルで行われると見てよい。これならば同格とは言えなくともかなり「アイドル」に迫れる面白い番組ができるのではないか。


実際、最初の数回を見る限り、もちろん「アイドル」同様のカン違いおにーちゃんおねーちゃんたちもいることはいるが、全般的にレヴェルは高い。また、ジャッジとして参加している3人は、それぞれ英国ミュージカル・シーンの重鎮デイヴィッド・イアン、昨年「パジャマ・ゲーム」でトニー賞を受賞し、今夏の「グリース」監督振り付けが決まっているキャスリーン・マーシャル、そしてオリジナルの「グリース」製作者ジム・ジェイコブスと、3人ともこの夏のブロードウェイ「グリース」にも関係しており、もしこの番組がぽしゃって舞台の「グリース」にも影響が出れば、彼ら自身の生活にも直接響いてくる。だからマジである。参加者のレヴェルも高く、ジャッジも大マジな勝ち抜きタレント・リアリティとなると、ついに「アイドル」とタメを張れる番組が現れたかと期待してしまう。


番組進行としては、もうこれは、たぶんこれ以外にやりようもないかと思われるが、まったく「アイドル」そのままである。要するに、本選前に全米各地でのオーディションの模様をとらえた珍プレイ好プレイ集的なエピソードを何本か入れる。その中で番組としては特にうまい子や下手な子、可愛いおねえちゃん、かっこいいお兄ちゃんとかがフィーチャーされるのも、これまた「アイドル」の轍を踏んでいる。そしてその中から選ばれた上位50人が、「グリース・アカデミー」と称する最終選抜のための施設に集められる。彼らはそこで歌、踊り、演技の特訓を受け、それから選ばれた男性7人女性7人計14人が、晴れて最後の視聴者投票によって毎週男女一人ずつ落とされていく最後の足切り段階に入る。


さて、ここからがいよいよ大詰め、「アイドル」ならばこれからこそがますます盛り上がるこの最後の視聴者投票による勝ち抜き段階に入って、実は「グリース」は失速し始めるのだ。これは意外といえば意外、当然といえばあまりにも当然のことだった。つまり、ただ単純に最も歌のうまい参加者を選ぶ「アイドル」の場合、そこにいる参加者は、外見の上ではそれこそピンきりだ。一見どこからもアイドルのアの字も頭に浮かばない冴えないにーちゃんねーちゃんが、マイクを持たせたとたん、ポップ・スターも顔負けの別人に変身したりもすれば、逆に見かけは抜群なのにいまいち実力が伴わなかったり等の意外性には事欠かない。それが番組としての「アイドル」を面白くしているのはもちろんだ。


ところが「グリース」の場合、最初から容姿も考慮の対象となっている。ま、それなりに普通っぽい子や癖のある子もいることはいるが、それでもだいたい平均以上の見かけの男女が集まっているといっていい。その点で、いろんな性格や見かけの子がごった煮状態の「アイドル」に較べ、「グリース」はどうしても画一的に見える。全員が全員とも平均以上の見かけや実力を持っていると、それが平均になってしまい、みな同じように見えてしまうのだ。かなりの確率で、えーと、あの時あの歌を歌ったのは誰だったっけと混同してしまう。要するに、誰かが特に抜きん出ているわけではないのだ。これでは逆に、視聴者としても誰を応援するか絞りにくい。

例えば、私は予選段階で登場した薬剤師の女の子がわりといいと思っていた。ところが彼女、歌はともかく踊りがまったくダメで、踊れない。歌って踊れる人材発掘が旨のミュージカル・オーディションでは、これではどうしようもない。ジャッジももったいないとは思いつつも、彼女を落とさざるを得なかった。そうした落とされる子に魅力的な子の方が多いのだ。これは当然のことながら、全員同じようないかにもブロードウェイブロードウェイしたミュージカル・ソングを歌わざるを得ないこととも関係している。


今回ジャッジのコメントを聞いて認識を新たにしたが、ブロードウェイの歌い方は、普通のポップ・シンガーの歌い方とは違う。「アイドル」では、歌がうまいというのはもちろんだが、それ以上にオリジナリティがポイントとなる場合が多い。しかし舞台の上で歌うことが前提のミュージカル・シンガーの場合、声が通ることがまず第一にあり、そのような歌い方が求められる。当たり前のことだが、これは「アイドル」に出てきて最後まで残るようなシンガーとはまったく異質だ。なにも必ず曲の最後に声張り上げればいいってもんじゃない。おかげで、私がこれはいいと思った子がジャッジから結構けちょんけちょんに貶されていたりした。しかもかなり納得できない理由で。「アイドル」でジャッジのサイモンがどんなに参加者を貶そうと、それはたぶんに納得できるものであったのだが、「グリース」ではかなり承認しがたい。


また、「グリース」の場合、まだ発見されていない新しい才能を発掘するのではなく、サンディとダニーという、既にれっきとしたイメージが存在するキャラクターに見合った者を選ぶということが眼目だ。そのため、どんなに歌がうまかろうと、容姿がそれに見合わず、踊れなければ落とされる。「グリース」と聞いて、映画版「グリース」に主演したオリヴィア・ニュートン・ジョンのサンディとジョン・トラヴォルタのダニーをイメージしない者はまずいないと思うが、要するに、そういう確固たるイメージが既にでき上がっている。これはジャッジにとっても例外ではないだろう。


つまり、参加者は、自分の才能を開花させるのではなく、サンディもしくはダニーというある一つのイメージに押し込めるよう努力しなければならない。かなり窮屈なのだ。全員それなりにみな歌がうまく歌って踊れて見てくれもいい白人のにーちゃんねーちゃんが、似たような服を着て似たような歌を歌う。結果として、参加者の印象がみな似てくるのは当然だ。そしてそのため、最後の本選まで残った参加者はみな白人の結構見場のいいにーちゃんねーちゃんに限られた。当然黒人もスパニッシュもエイジアンもいない。これでは応援のし甲斐がなくて、今では全米総人口の半数近くに達すると思われるエスニックは番組を見ないだろう。


要するに、歌も踊りも容姿も考慮されるために、すごい才能が集まることが予想された「グリース」において、そのことが才能の幅を狭めることになった。歌も踊りも容姿も、ではなく、歌か踊りか、容姿か、そのどれか一つにでも秀でている者を、たった一つしか秀でているものを持っていないかもしれないが、他に欠点はあってもその一つは超ド級に圧倒的にすばらしいものを持っている者を選ぶ番組の方が面白いというのは、既にこれまでに他の番組が証明していたのではなかったか。つまり、歌なら「アイドル」、ダンスならFOXの「ソー・ユー・シンク・ユー・キャン・ダンス」、容姿ならCWの「アメリカズ・ネクスト・トップ・モデル」という番組が既にあり、そちらの方が断然面白いのだ。


そして結果として、「グリース」は失速し始めた。番組としてはゲストにオリジナルのサンディであるオリヴィア・ニュートン・ジョンを呼び (トラヴォルタは誘いを断ったものと思われる)、ゲスト・ジャッジに大御所アンドリュウ・ロイド・ウェーバーを招くなど色々考えていることはわかるが、コンテスト自体が面白くないと感じさせる以上、そこに梃入れできなければどうしようもなく、また、番組の性格上それをするわけにはいかないとなれば、手の打ちようがあるまい。視聴者が番組をどう思っているかは、新エピソードが放送されるたびに落ちていく視聴率が雄弁に物語っている。


また、「グリース」は、編成としても非常に頭をひねらざるを得ないことをしている。日曜夜7時台に編成されている「グリース」は、2月最初のエピソード放送時に、今年はCBSが中継した、アメリカで年間を通して最も視聴者を稼ぐお化け番組であるNFLの優勝決定戦「スーパー・ボウル」と放送がかち合った。通常この日は、他ネットワークは競争を嫌ってレギュラー番組の再放送を編成してくる。どうあがいても勝ち目はないのだから、まあ当然だろう。「グリース」もそうした。しかし、これはドラマ番組ではない。勝ち抜きリアリティ・ショウなのだ。たとえどんなに面白い番組であろうとも、一度見てしまったリアリティ・ショウは普通、視聴者は二度と見ない。結果を知っているからだ。これはたとえ「アイドル」だろうが同じである。だからこそ通常リアリティ・ショウは再放送をしないのだ。


それなのに、いくら「スーパー・ボウル」の裏番組の捨て時間とはいえ、勝ち抜きリアリティ・ショウの再放送を編成するというのは解せない。世の中にはアメフトなんかにまったく興味がないという者もいるのであり、真っ当なTV人なら、そういった視聴者を見越してのカウンター・プログラミングを考えてくるのが当然だろう。つまり、この時こそ、それまで「グリース」を見ていない視聴者にその機会を与える絶好のチャンスだったと言える。それがただでさえ人気の落ち始めた勝ち抜きリアリティの、しかも再放送というのは、ほとんど編成の無能を表しているようなものだ。もっとも、一応NBCの事情を考えると、この回の「グリース」は後半の勝ち抜き段階に入って最初のエピソードであり、結果発表ではなかったため、パフォーマンス集としてもう一度楽しめたはずという意見は通るかもしれない。


とはいえ、その翌週、今度はまたまたCBSが中継した年に一度の音楽界の祭典、グラミー賞の中継を裏番組に回し、NBCは「グリース」の新エピソードを投入してきたというのは、今度こそ言い逃れは利くまい。ちょっと考えたら誰にでもすぐわかりそうなものだが、音楽好きなら、それこそ「グリース」ではなくてグラミー賞中継を見るだろう。もし再放送をせざるを得なかったのならば、こういう時こそするべきだ。なぜそのくらい簡単なことがわからない。まったく当然のことにこの時の「グリース」の視聴率は、それまでの最低記録をさらに更新した。もしかしたらNBCは既に番組を諦めているのか。


ところで「グリース」は、正式番組名を「グリース: ユア・ザ・ワン・ザット・アイ・ウォント」という、かなり長ったらしいものである。実は私はこの副題が、あの、「グリース」の主題歌とも言える、映画でトラヴォルタとニュートン・ジョンが歌うあの曲のタイトルだとはまったく知らなかった。要するに二人で歌っている歌詞がまったく耳に入ってきていないからなのだが、しかし、早口で歌うこのサビの部分が、「ユア・ザ・ワン・ザット・アイ・ウォント、ユア・ザ・ワン・アイ・ウォント、ウー・ウー・ウー・ハニー」とちゃんと聞こえているノン・ネイティヴ・スピーカーがどのくらいいるかは、正直言ってかなり疑問である。このくらい早口だと、ネイティヴだっていったいどれだけの者がちゃんと聞き取っていたやら。私の耳には、「ユナカナカ、タカナカナカ、ウー、ウー、ウー、ハニー」としか聞こえていなかった。よりにもよって「ユア・ザ・ワン・ザット・アイ・ウォント」だったか。


この真実はあまりにも強烈だったので、私は番組でコマーシャルに入る直前とか、この一瞬のサビが流れる時にできるだけ合わせて歌おうとしてみたのだが、その度に舌が絡まりそうになる。意地になってやってたので、さすがに何度か番組を見た後に、女房から一応できてるんじゃないと、まあすれすれで合格というくらいにはしてもらったが、しかし、よくこのメロディでこんな歌詞を考えたもんだ。もうちょっと歌う者の身にもなってくれ。そういえばこの曲、実は「アイドル」のオーディションでも歌っていた奴が何人もいたが、口が回らないのはいて、そういうのを何人もまとめて笑い飛ばしていた。やはりネイティヴにとっても難しいのだ。


話は変わるが、この、原曲の歌詞が聞こえない、もしくはまったく違う歌詞、それもまったく異なる日本語の歌詞として聞こえるというクラシックの例として、かのエルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」の一節、「湯煙夏原 (ゆえんなつばら) ハウンドッグ」というものがある。正しくは「ユー・エイント・ナッシング・バット・ア・ハウンド・ドッグ (You ain't nothing but a hound dog)」なのだが、「湯煙夏原」というのがなんとなく寂れた夏の温泉場に佇む一匹の野良犬みたいな情景を強くイメージさせ、忘れがたい傑作として記憶に残る。私の高校時代には、クイーンの「キラー・クイーン」の一節、「ガンパウダー、ゼラチン (Gunpowder, gelatine)」が、「がんばれ田淵」と聞こえるというのが流行った。もちろん阪神タイガース田淵の全盛時代である。このように、「ユア・ザ・ワン」も、絶対別の意味で解釈している者がいるに違いないのだ。ぜひ埋もれていた傑作を聞いてみたい。


最後に、私としては「グリース」における優勝は、女の子はアシュリーS、男子はチャドかなあと思っている。少なくともアシュリーは、外見では非の打ちようがない。人々が持っているサンディというイメージに最も近い位置にいるのが彼女だと思う。歌に関してはどの子も五十歩百歩ということになれば、あとは人気勝負だから、男性票が集まりやすいと思えるアシュリーが勝つ確率はかなり高いだろう。ジュリアナも悪くないと思うが、ニュートン・ジョンのイメージで固まっているサンディ役を、ブロンドでない彼女が射止めることができるとは到底思えない。男子のチャドは‥‥単にカンというか、実は女房がチャドがいいと言っているからなのだが、正直言ってもう誰でもいい。


いずれにしても、例えば女の子の名前を見ても、アシュリーといういかにもの流行りの名前を持つ子が二人おり、他の子はケイト、ジュリアナ、キャスリーン、アリー、ローラと来ると、それだけで、あ、若い白人の子、って感じで、顔までイメージできてしまう。このように番組としての限界を感じてしまう「グリース」は、TV番組としてはやはり今イチだ。ここまで見てはきたが、最後まで見るかはわからない。もしくはNBCも匙を投げて途中キャンセルの可能性もある。その場合はウェブ・オーディションかなんかで優勝が決まるんだろう。この感じでは、私が今夏ブロードウェイに「グリース」を見に行く可能性は、たぶんほとんどなさそうだ。



追記 (2007年3月)

私が予想したアシュリーとチャドであるが、アシュリーは予想通りローラと共に最後の二人まで残ったが、チャドは落ちた。しかもいったんは視聴者投票で残ったのに、ジャッジの判断で落とされて代わりにオースティンが残るという言語道断の展開になった。なんだ、それ。ジャッジが彼らの判断で誰を落とすか残すか決められるなら、視聴者が投票する意味なんか最初からないじゃないか。視聴者をバカにするのもいい加減にしてもらいたい。結局、視聴者投票がジャッジの横槍なく結果を決定したのは、どうやら最終回に優勝者を決める時だけだったように見受けられた。


その最終回、優勝したのは結局、女子はローラ、男子はマックスという結果になった。マックスは声はともかく見場がまったく鈍臭く、最初の方ではこれは残るのは無理かと思っていたんだが、回を重ねるうちに段々よくなっていったという向上が見られたのも、ファン獲得に一役買ったに違いない。しかし、その番組の視聴率を見るに、夏のブロードウェイの舞台を見に行くファンが実際にどれだけいるかは、かなり疑問だと思う。幕を上げたはいいが一夏も持たずに閉幕ということにならなければいいがと、他人事ながら心配してしまう。






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グリース: ユア・ザ・ワン・ザット・アイ・ウォント   ★★

 
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