Gran Torino


グラン・トリノ  (2008年12月)

退役軍人で今は老境にさしかかり、妻を亡くして一人ぼっちとなったウォルト (クリント・イーストウッド) の住む家の隣りにチャイニーズの一家が越してくる。別に特に関係を持とうとも考えていなかったウォルトだったが、その家の一人息子のタオ (ビー・ヴァン) が親戚の不良たちと小競り合いをしているのをたまたま見かねて助けたことから、基本的に隣りからの一方的な押しつけがましい関係ながら、徐々に行き来するようになる。ウォルトには成人した二人の息子夫婦がいたが、今では彼らよりタオを一人前の男にすることを第一に考えるようになっていた‥‥


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「チェンジリング」の印象もまだ覚めやらないうちに、イーストウッドの次作が公開される。本当に近年のイーストウッドって、年末年初の恒例となった感がある。そのうち晦日や正月になると、さて今年を締めくくる、あるいは一年を始めるに当たって、家族揃ってイーストウッド作品を見に行くのが恒例の行事となるのではないか。そうなるためにも、イーストウッドには毎年欠かさず新作を撮り続けてもらいたい。


ところで最初「グラン・トリノ」という作品タイトルを耳にした時は、むろんイーストウッドだから何を撮っていようと見に行くが、しかしそれでも、イーストウッド、今度はカー・レースがテーマの映画かとぎょっとしたのは事実だ。タイトルから連想するのはどうしてもそうなる。


しかし年末あたりからTVでかかり始めたコマーシャルを見ると、特に車がテーマの映画ではなさそうなのが知れる。そうではなく、どうやらアメリカに住むエスニック、しかもアジア系を描いた作品のようで、しかも近年のイーストウッド作品としては、「ミリオン・ダラー・ベイビー」以来久しぶりに本人がスクリーンに登場、さらにどうやら主演のようだ。


映画は冒頭、イーストウッド演じる主人公ウォルトが長年連れ添った妻を亡くし、その葬儀のシーンから始まる。元軍人で、成長した二人の息子もいるウォルトは気難しの頑固親父で、息子とも、彼らの家族、孫とも特に気が合うわけではなく、教会にもほとんど顔を出さなかった。子供たちは歳とってきた親父をこのまま独り住まいさせるのもなにかと、ホーム入りを勧めたりもするが、それをますますウォルトの機嫌を損ねるだけだった。


そんな時に隣りに引っ越してきたのは中国人一家で、今さら近所付き合いする気もないウォルトだったが、ある時、ギャングの従妹から執拗に嫌がらせを受けるその家の一人息子タオを見るに見かねて助けたことから、タオの家族から感謝される。特に気さくなタオの姉スーは気楽にウォルトに話しかけ、いつの間にやらウォルトはスーのペースにはまっており、ウォルトはそのことを楽しんでいる自分を発見するのだった。


しかしギャングはまた執拗にタオを追い回し、それに屈したタオはウォルトが大事にしている従軍の報賞としてもらった1972年型のグラン・トリノを盗み出せと言いつかる。その試みは失敗に終わり、翌日素直に謝りにきたタオを最初はとりあわなかったウォルトだが、意地でも詫びの印に何かさせてくれと頼むタオの面倒をあれこれ見ているうちに、二人の間には相通じるものが生まれつつあった‥‥


繰り返し書いているが、近年のイーストウッド作品はどんどん視点が弱者寄りになってきている。「硫黄島からの手紙」でその弱者が消えてなくなってしまうまでになってしまった結果、これからイーストウッドの作る映画はいったいどうなってしまうのか、期待、というよりもほとんど不安だったりしたものだが、こちらの悶々とした気持ちなぞ関係なく、イーストウッドは今でも精力的に新作を撮り続けている。


こないだの「チェンジリング」では視点は昔、女性が社会に台頭してきた時のシングル・マザーであり、今回はそろそろ人生という旅に終止符を打とうとしている老いた頑固な男になる。そしてその対局にいるのはいじめられ、自分に自信の持てない若い男という、やはり社会から爪弾きにされがちの二人の男だ。


今回はそれに人種差別が絡む。といっても基本的に主人公のウォルトは、隣りによく知らない人間が越してきたことが多少気に入らないだけで、その家の長男タオにも特に含むところがあるわけではない。どちらかというと内向的な性格のタオは、覇気がないように見え、親戚一同からも軽く見られがちだ。そしてそのタオを実際にいじめるのは悪ぶった従兄であって、そのタオは後でウォルトをなんやかやと頼り、ウォルトもぶつくさ言いながらそのタオの面倒を見るようになる。


つまり最初は人種問題を扱った作品のように見えるが、実際はテーマはいじめ、ギャング問題の方にある。もちろん中国で現実に抑圧されている (と言われている。実際には私はこの民族のことはまったく知らなかった) 少数民族のモン族をわざわざ主要登場人物として持ってきたのは、その辺の問題意識の喚起という点もないわけではなく、二重のいじめ問題とすることでテーマを掘り下げるという効果も狙っているだろうが、少なくとも人種問題がメイン・テーマではない。第一、黒人音楽のジャズを愛し、「硫黄島からの手紙」も撮っているイーストウッド自身が、人種的な差別感なぞ持ちようがないだろう。


一方、今回のテーマであるいじめ同様、信仰がますますイーストウッドにとって大きな部分を占めてきている。「ミリオン・ダラー・ベイビー」に続き、イーストウッド自身が作品に顔を出す場合、必ず教会が舞台の一部となるし、懺悔、告悔や、許すこと許されないことに関しての考察は、近年のイーストウッド作品の通奏低音としてどの作品にも共通している。スクリーンの上ではますます頑固親父、いや頑固老人的なキャラクターになってきたイーストウッドであるが、信仰、贖罪はその内面の多くを占める。たぶん近年のイーストウッドの諸作の視点が弱者寄りなのは、そのこととも大きく関係あるだろう。


イーストウッド自身が登場するということ、その性格付けという点で、やはり「グラン・トリノ」と最も印象が似ているのは、「ミリオン・ダラー・ベイビー」だ。なによりも両者に共通しているのは、共に基本的に悲劇なのに、見終わって前向きな感動を残すその余韻にある。この手際、演出力は余人の追随を許さない。今さらイーストウッドの実力に異議を挟む者などいないわけだが、しかし、イーストウッドはまぎれもなく世界一の演出家だ。


上映が終わって劇場を後にしようとすると、出口のところでスキン・ヘッドでやたらとガタイのいい強持ての男が、目を真っ赤にして盛んに目尻を拭っていた。イーストウッドの映画だからというより、車が趣味の男が作品タイトルにカン違いしてたまたま見にきていたという雰囲気だったが、見始めたら目を離せなくなったというところだろうか。いずれにしてもその光景を見て、ああイーストウッドはまたいい映画を撮ったんだなと改めて思わせられた。


しかもこの映画、年末から単館上映的に始まり、公開一と月後に満を持してという感じで拡大公開になった。口コミ効果に自信があったものと見えるが、実際その読み通りになり、拡大公開初週に3,000万ドルを稼ぎ、興行成績で同じく公開初週のアン・ハサウェイとケイト・ハドソン主演のハリウッド・コメディ「ブライド・ウォーズ (Bride Wars)」に1,000万ドル近く差をつけて堂々第1位となった。さらに翌週も1位こそ新コメディの「モール・コップ (Mall Cop)」に譲ったとはいえ、2位はキープしている。


人種、いじめ問題を絡めた決して大きいとは言えない映画なのだ。基本的にイーストウッド以外は知られている俳優は一人も出ていない。わざわざ意識して名の知られていない俳優を集めているのは確かで、私がこれまでに見たことのあるのは、せいぜい脇役として長いキャリアを誇り、近年では「ゾディアック」がまだ印象に残っており、こないだ放送されてすぐにキャンセルが決定した、NBCの「マイ・オウン・ワースト・エネミー (My Own Worst Enemy)」にも出演していたジョン・キャロル・リンチと、CWの「ゴシップ・ガール (Gossip Girl)」出演中のドリーマ・ウォーカーくらいだ。


それなのに伝統的に強いコメディを抑え、特にマスコミがとり上げるわけでもないのに金も稼ぐ。あれだけ騒がれて、マスコミの注目度や話題性では楽勝で「グラン・トリノ」の3倍はあると思われる「スラムドッグ・ミリオネア」が、一館あたりの興行成績では「グラン・トリノ」の足元にも及ばない。たぶん実際に見た者の強い推薦があるからこその「グラン・トリノ」のこの成績だろうが、「スラムドッグ・ミリオネア」が圧倒的に誉められているのは誰でも知っている事実だ。一方で「グラン・トリノ」の評判は、基本的に実際に見た者以外からは聞いたことがない。それでも、その実際に見た者が強力に薦めるからこそこの観客動員に繋がる。そうでないとこの成績の説明がつかない。イーストウッドにはまだまだ頑張って新作を撮り続けてもらいたい。








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