Gosford Park

ゴスフォード・パーク  (2002年1月)

ついに念願の「ゴスフォード・パーク」を見た。久し振りのロバート・アルトマンの会心作ということで話題になっており、見ようと思って出かけた劇場で2週連続で満員で見れなかったものである。結構インディ系の作品がかかるこの劇場は、わりと高級目の住宅街にあることもあり、歳食ってリタイアした金と時間のあるじじばば、それも結構映画をよく見る、目の肥えたインテリ系のじじばばが多い。それでインディ系といえども話題になる作品には、なんでこんなに人が、と思うくらい人が入っていることがあって、じじばばの選択眼侮りがたしと思うことがよくある。


その上特に今回は英国上流階級が舞台のミステリ仕立てのドラマ、しかも結構老齢の俳優が幅を利かす作品ということで、もろツボにはまったようだ。最初の週、まったく切符を買う余地がなかったので、劇場側も慌てて翌週から5スクリーンあるうちの2スクリーンで上映しているのに、まったくさばけない。人間の心理の常として、見られなければ見られないほど見たくなる。それでとにかく見たくてしょうがなかったのを、念願かなってやっと見てきた。


ストーリーの方は英国上流階級を舞台としたマーダー・ミステリーで、人里離れた豪邸で事件が起きるところなんか、まるでいかにもといった設定の話であるわけだが、単に、いわゆる誰が殺人犯かというフーダニットものにはなっていない。なんてったって殺人事件が起こるのは映画が半ばも過ぎてからであって、それまでは上流階級の暮らしぶりと、その上流階級にかしずいて世話を焼く、召使いたちの暮らしぶりがずっと交互に描かれるのだ。しかし、それが滅法面白い。特にこれまで何度も見る機会のあった上辺をとりつくろった上流階級の人間たちの描写に較べ、あまり見る機会のなかった召使いたちの描写が圧倒的に面白い。彼らがどのようにして客人をもてなし、食事の仕度を整え、あまった時間には何をし、何をお喋りしているか、というような暮らしぶりが、これほど印象的に描写されている作品はこれまでに見たことがない。


だいたい、その召使いたちにこんなに役職の違いがあるなんて、これまでまったく知らなかった。キャスティングのクレジットを見てみると、召使いたちの役職には、バトラー、ハウスキーパー、クック、ヴァレット、ショーファーなんてよく知っているものの他に様々な種類のメイドがあって、その上、フットマン、ブートボーイ、オッドジョブ・マン、ゲームキーパーなんて、まったく聞いたこともない召使いたちがいる。フットマンなんて、名前から推測するに下足番みたいなもんだと思えるし、オッドジョブ・マンは、要するに、あれか、何でも屋みたいなものだと推するが、それだって日本で何というかというと、よくわからない。試しに手元にある研究社の辞典で「オッドジョブ・マン」を引いてみたら、「臨時仕事をする雇い人」、「フットマン」が「(制服を着た) 従者、下男」で、「ブートボーイ」は載ってなかった。やっぱり靴磨きみたいなものか。とにかく、そういう多種多様雑多な召使いたちが、ご主人様たちが狩猟やお喋りに余念がない時、裏でそれらがつつがなく運ぶように、慌ただしく働いているのだ。いやあ面白い。


キャスティングを見ても、上流階級 (クレジットでは「階上の人」としてまとめられていた) を演じるマイケル・ガンボンやマギー・スミス、クリスティン・スコット・トーマスあたりは、もちろん非常にいいのだが、それでも「階下の人」を演じるエミリー・ワトソン、ヘレン・ミレン、リチャード・グラント、アラン・ベイツ、クライヴ・オーウェンらの曲者役者の方が気になるところが揃っている。若手の有望株、ライアン・フィリップが、その階上と階下を自由に行き来する役を担っており、その辺の演出も面白い。


実は私はミステリが好きでよく読むのだが、そのせいもあってか、今回は事件の犯人から伏線、その理由に至るまで完璧に予測した通りになってしまって、自分でも驚いた。ミステリを読んでいて犯人を当てた試しなどまずないのだが、たまにはこういう風にぴたりと決まることもある。しかし、今回は伏線を読んで犯人を当てたというよりも、キャスティングで、こいつがここにいるからにはもっと重要な意味があるに違いない、こいつもこのままの出番では終わらないだろう、みたいなことを考えたらそれがものの見事にその通りになってしまっただけで、理由まで当たったのは単にまぐれでしかない。要するに、「ユージュアル・サスペクツ」でケヴィン・スペイシーが出てきた途端に、まだ犯罪の質自体もよくわかっていないのに、とにかく他の役者と較べて格が違う彼が犯人だとわかってしまうようなものだ。


それでも一応は謎解きものとしてもそれなりの水準はクリアしていると思うが、それがメインではないのは、謎解きも終わって誰が犯人かということが観客にわかっても、結局その犯人も含め、招待された皆々がさも何事もなかったようにそれぞれの世界へ帰っていってしまうことからも知れる。事件が起こった後、一応刑事とかも館にやって来て事件を調べるのだが、彼らはいったいいつの間にいなくなってしまったのか。結局犯人は何のお咎めもなしで元の世界へ戻り、なべて世は事もなし、人一人死んだくらいでは世界の歯車は微動だにしない。彼らはこれからも上流階級とその召使いという役割に依存し続けるのだろう。


キャストの中で最も印象に残ったのは‥‥この辺を正直に言ってしまうとネタバレになってしまうので、殺される被害者を演じたマイケル・ガンボンと、結果的に名探偵役を務めることになる、マギー・スミス演じる伯爵夫人の付き人を演じたケリー・マクドナルドだけに触れておこう。今、初老の男の嫌らしさを出すことに関しては、ガンボンと、「L.I.E.」に出ていたブライアン・コックスが双璧という感じがする。あの嫌らしい目つき、たまりません。あと数年経てば、この路線にベン・キングズリーも加わることになると思うが。マクドナルドは、はっきり言って主演と言ってもよい役なのだが、縁の下の力持ちに徹しすぎたか、映画が終わるとほとんど印象に残っていない。ケイト・ウィンスレットに感じが似ており、ウィンスレットが今のようにメイジャーな役者になっていなかったら、多分彼女がキャスティングされたんじゃないかという気がする。


アルトマンはこの作品でまた復活と誉めそやされているのだが、この人って、忘れた頃にいきなり話題作を持って現れて、その度ごとにアルトマン復活、と話題になる。いったいこれまで何度忘れられて復活していることやら。このように話題になるのも、もう高齢でそろそろ作品も撮れないだろうと思われているのを、その予想を裏切って再登場するからだが、そのヴァイタリティには感心する。先週もリドリー・スコットの「ブラックホーク・ダウン」を見て、それほど若いわけでもないのにあれだけのパワーを見せるスコットに感服したが、やはり、あれだね、映画監督って才能もそうだが、まず第一に体力という感じがする。才能を花開かせることのできる体力があって初めて、大向こうを唸らせることができるのだ。ま、これは別に映画監督だけに限らないか。







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