Gone in 60 Seconds

60セカンズ  (2000年6月)

「ミッション・インポッシブル2 (MI2)」は公開初週だけで9,700万ドルという興行成績を上げた。これは史上3位の記録だそうだ。どうだかと思っていたジャッキー・チェン主演の「シャンハイ・ヌーン」も1,800万ドルと健闘、ディズニー・アニメの「ダイナソア」に続いて堂々3位である。ジャッキー人気も無事アメリカで根付いたようで、まずはご同慶の至り。


さて、「ゴーン・イン・シックスティ・セカンズ」であるが、これは74年公開の同名タイトル(邦題「バニシング IN 60"」)のリメイクである。このオリジナルの作品、実は私は公開時に見ているはずなんだが、まるで内容を思い出せない。その時私は中1か中2で、田舎で2本立てで見たのは間違いないはずだが、記憶があるのはそれだけ、つまり見たということだけなのだ。最近富みに記憶力が落ちたとは思っていたが、昔の記憶までか。老人になると昔の記憶の方が鮮明になり、昨日食べたおかずが何だったか思い出せなくなるというのはよく聞くことだが、両方とも思い出せなくなるというのは、いったいどうしたらいいのだろう。


話は変わるが、ニューヨークでは路上に駐車していいので、私もそうしている。問題は清掃車による清掃があるので、だいたい1日おきに車を停める場所を移動しないといけないということだが、時々自分がどこに車を停めたかよく思い出せないことがあるのだ。とほほ、この歳で本当にアルツハイマーかよと情けなくなる。また、私はミステリが好きでよく読むのだが、以前読んだ本をまた買ってしまうというのが最近よくある。買わないまでも、やはり読んだということだけ覚えてて、内容はすっかり抜け落ちてしまっていたりする。1冊で何度でも楽しめて、お得といえばお得かも知れないが、なんだかなあという思いもやっぱりする。果たして損しているのか得しているのか。


だから「ゴーン・イン・シックスティ・セカンズ」も前作と今回と内容の違いを比較して見るということができない。もしストーリー・ラインがまったく同じだったとしたら、何も知らないでどきどきして見ることができてそれはそれでよかったのだが、やっぱりどこかで損している気もするよなあ。こういうのを貧乏性というのだろうか。


昔プロの車ドロとして鳴らし、今は引退して子供向けゴーカート場を経営している主人公ランドール・"メンフィス"・レインスがニコラス・ケイジ。昔の彼と同様、車ドロになっている弟のキップが組織に開けた穴を埋めるために、メンフィスはしょうがなくまた車ドロに復帰する。しかも今回はたった3日間で50台の車を調達しなければならない。果たして‥‥という内容。


メンフィスの元恋人、サラ・"スウェイ"・ウェイランドに扮するのがアカデミー賞をとって一躍人気沸騰のアンジェリーナ・ジョリー。ここではそんなに出番が多いわけではないが、紅一点ということで役の上では大分得をしている。この映画で女性でセリフのある役は彼女と主人公兄弟の母親ヘレンの二人くらいしかいないのだ。とりたてて美人とは思わないが、あの肉感的な唇はやはり魅力的。メンフィスの弟、キップに扮するのがジョヴァンニ・リビシ。私はクレア・デインズ見たさに彼がデインズと共演した「モッド・スクアッド」を見にいったのだが、よほど途中で出ようかと思ったくらい近来ない超面白くない映画だった。その記憶があるので彼には大して期待はしてなかったのだが、今回はそれほど悪くない。頭の悪そうな、あるいはできの悪そうな役なら結構はまって好演するみたいである。もちろんこれは誉め言葉である。


都会に帰ってきたメンフィスを追う刑事にデルロイ・リンドー。メンフィスをサポートするガレージの親父にロバート・デュヴァル。注文の車を調達しなければこの世から消えてもらうと脅すギャングのボス、レイモンド・カリトリにクリストファー・エックルストン。その他車ドロの仲間に、ハンサムだがおつむの弱そうな奴や、コンピュータなら任しとけという奴、黒人のコミック・リリーフ等、こういう映画には当然の様々なキャラクターを揃え、作品を面白くしている。特にアメリカ映画に出るヨーロッパ訛りの英語を喋るやさ男タイプの悪役って、頭も切れるけど冷たいという感じがよく出てて、タイプキャストだなとは思うけどやはり欠かせない。また、私としてはデュヴァルの妻役で本当にほんの少しだけ顔を出すフランシス・フィッシャーが、こんな知名度のある女優を使って(あの「タイタニック」でヒロイン、ケイト・ウィンスレットの母親役をしていたわけだから、少なくとも彼女を見た人は全世界で数十億人は下らないだろう)、たったの2カット、しかもセリフなしで出番は終わりなの、というもったいない使い方に驚きを覚えた。


しかしもちろん、これはニコラス・ケイジの映画である。以前ケイジと組んだ「ロック」や、「アルマゲドン」等、アクション専門のプロデューサー、ジェリー・ブラックハイマーの製作作品であり、監督のドミニク・セナ作品でもあるが、出ずっぱりのケイジのための作品といっても差し障りはなかろうと思う。あとは結局車だな、車。ポルシェ、フェラーリ、ランボルギーニ、メルセデス、BMWはさておき、特に私の眼ではとりたてて魅力があるようには見えない、エレノアこと67年型シェルビー・ムスタングGT500が今回の影の主役である。ムスタングGT500って、レア・アイテムなのかしらん。私は車のことには疎いのでよくわからない。あれが出てきただけでマニアは垂涎ものだったりするのかな。


なんでも「バニシング IN 60"」で (車の) 主役だった73年型マッハ1ムスタングが、タイプとしてはあまり格好よくないので今回の抜擢になったらしいから、それなりの値打ちのある車なんだろう。なんてったって車ドロが狙うくらいだし。それにあの、カー・アクションの傑作「ブリット」でスティーヴ・マックイーンが運転していたのがやはりムスタングGT500だった。名車とは言わないまでも、それなりの価値がある車というのは間違いないようだ。いずれにしてもクライマックスのエレノアとポリスのカー・チェイスは手に汗握った。因みに車を女性名で呼ぶのは、どの車を盗むか話をしている時、女性名だと不都合がないからだそうだ。「エレノアはどうしている?」「いつものとこにいるよ」なんてね。なあるほど。


アクションを堪能した「ゴーン・イン・シックスティ・セカンズ」だったが、これがそんなにマスコミ受けしていない理由はいったいどこにあるんだろう。アクションなんだし、それがよければいいんでないの?そのアクションに理由づけするドラマ部分だってそんなに悪いとは思わなかったけど、えてしてマスコミには不評である。「バニシング IN 60"」をほとんど一人で製作したH.B.ハリッキは、続編を製作中にスタントで失敗して事故死しているそうだから、その呪いがかかっているのかも。


マスコミ受けしないといえば、今回、ビートたけしの新作「菊次郎の夏 (Kikujiro)」が、アメリカではやたら貶されてる。本人のカラーが前面に出るたけしの作品は、作家主義のヨーロッパでは人気があるようだが、アメリカではイマイチである。ヴァイオレンス系のやつはともかく、静かな今回の作品はただスロウで退屈なだけととられたようだ。エンタテインメント・ウィークリーなんて、あれだけ貶されたトラヴォルタの「バトルフィールド・アース」にすらDをつけてたくせに、「菊次郎の夏」にはなんと落第、Fレイティングをつけていた。Fなんて普通見んぞ。1年に1本あるかないかくらいじゃないの。そんなに面白くないか。私は見てないからよくわからないけど。






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