Gone Girl


ゴーン・ガール  (2014年10月)

「ゴーン・ガール」は既に公開して2週目だ。評判もいいことも知っていた。しかしそれでも、チケットを買って場内に入り、ほぼ満席なのを見た時には、えっと驚いた。こちらは先週、「ザ・ドロップ (The Drop)」をたった3人しか見ていないという貸し切り状態で見ている。それが今回は両隣りに人が座っているという状態だと、窮屈なことこの上ない。デイヴィッド・フィンチャーが演出した話題作であることは承知だが、私の意見では見たい度は「ドロップ」も「ゴーン・ガール」も同じくらいだ。「ドロップ」は既に公開して一と月近く経ってたとはいえ、この差はなんだ?

それでも、この劇場は近年できた新し目のスタジアム・シートだから、両隣りが埋まっているとはいっても、それでもまだましな方だ。マンハッタンのアート系のかかる古めの劇場は、いまだにスタジアム・シートとは縁遠い、古い、座り心地のよくないぼろぼろのシートだったりする。それなのに前の座席にやたらと背が高くついでに姿勢もいい男に座られた日には、こちらも思い切り姿勢を正して頭を持ち上げないと、スクリーンがほとんど見えなかったりする。

誰だったか覚えてないのだが、昔の映画はスクリーンが、下の方が前に座っている人の頭の形に切り取られた形で記憶しているという作家がいた。私の場合は、確かにそういう風にスクリーンの下部が前の人の頭でいくらか遮られて映画を見たというのは、特にまだ小さいガキの頃はよくあった。しかし、そうやって見たはずの映画でも、記憶を再現すると特に部分的に欠けた映像とならない。どうやら頭の中で勝手に記憶を捏造しているようなのだ。これっていいことか悪いことか。あまりよいことではないような気がする。

いずれにしても、少なくともスタジアム・シートだと、どんなに混んでても前の座席の頭が邪魔になることはない。それなのにマンハッタンでは、辛い姿勢を強いられて、その上ニュージャージーでマチネーを使って見る時の2倍近い高いチケットを買わなければならない。これではマンハッタンで映画を観る気になんか到底ならない。

そういえば前回ほぼ満席の状態で映画を見たのっていつだったっけと記憶を探ると、あれは今春の「ノア 約束の舟 (Noah)」だった。その時は確か公開初週だったと思うが、こっちの方の評価は毀誉褒貶という感じで割れており、特に注目されているという気もしなかったのに、たぶん真面目なクリスチャンが子供を連れて家族総出で来たために満席になったという感じだった。まだティーンエイジャーにもならない子供向けの映画とは思えない作品だったのだが、こんなの子供に見せて、後で家族で話し合うんだろうかと不思議な気がした。

等々、余裕を持ち過ぎて映画館に着いたために、今回はやたらとどうでもいいことを考えるともなく考えていたのだった。もっとも、とはいってもそれでもそんなことにつらつら意識を巡らせたのはせいぜい数分程度のことだが、それをこうやって文章にまとめると、既に1時間以上は楽勝で使っている。

とまあ、そんなことを考えているうちに上映も始まる。評価が高いのは知っていたが、実際いかにもフィンチャーらしい緊密な演出に引き込まれ、すぐに窮屈な思いも忘れる。どう転んで行くかわからないストーリー自体もよくできているし、それを体現する役者陣が、主演の二人を含めて傍まで目が行き届いており、堪能させる。

ある時、若い夫婦の住む一軒家に昼酒を飲んだ夫が帰ってくると、妻がいなくなっていた。妻の母が著名な児童文学家だったためメディアが注目し、しばらくして最近二人は夫婦仲がうまくいっておらず、夫は浮気していたことが露呈する。夫が妻を殺して死体を遺棄した可能性が俄然高まり、事件に人々が熱狂する。果たして夫は本当に妻を殺して捨てたのか‥‥


という疑問は、途中でいともあっさりと氷解する。死んだのかもと思われていた妻が、生きていて再び何気に顔を出すからだ。夫に浮気されて離婚する惨めな妻という陳腐な話の主人公になることだけにはどうしても耐えられないプライドの高い妻は、念入りに計画を練り、周到に用意して、浮気がばれて追い詰められた夫が逆上して妻を発作的に殺害したという舞台を作り上げた。どこからどう見ても、すべての状況は夫が妻を殺して捨てたことを指し示していた。


要するにこの話は、悪女ものだったのだ。気に入らない夫を罠に嵌め、果たして逃げおおせることができるのかを描くサスペンス・ドラマだったのだ。


というのも、実は正解ではない。話はこの後、さらに二転三転する。こういう話だったのか。いやあ面白い。巷でやたらと誉められているわけがわかる。劇場が埋まっているのも納得だ。


悪女役の主人公エイミーに扮するのがロザムンド・パイクで、元々ニコール・キッドマンのようなオーヴァーリアクション気味の演技をする女優であることが、ここでは見事にはまっている。彼女は虐げられた妻という自分が設定した役を演じる女優でなければならない。多少オーヴァー気味の方が、人々の記憶に残る。これがキッドマンならちょっと綺麗過ぎるぎるかもしれないが、ちと普通寄りのパイクが演じたことで、話に真実味が加わった。こういう女、もしかしたら本当にいそうだと思わせる。一つだけネックを言うと、彼女は今後、この役を超えることができるかどうか疑問ということだろうか。


一方のニックを演じるベン・アフレックは、あれだけガタイがいいのにもかかわらず、「ザ・カンパニー・メン (The Company Men)」「ハリウッドランド (Hollywoodland)」のような、実はこういう本当は小心者なんだ、みたいな役をやらせるとすごくいい。特に「カンパニー・メン」の、職を失って悶々としていた役と被る。盟友のマット・デイモンが、こっちは一見普通なのに、世界を股にかけるスーパーエージェント、ジェイソン・ボーンが当たり役であるのとまったく逆だ。


一見したタイプキャストとはまったく別の、意図的なミスキャストにすら見える、スポイルされた大金持ちのぼんぼんを演じるニール・パトリック・ハリスが、これまた見事。私は今でも「ママと恋に落ちるまで (How I Met Your Mother)」のプレイボーイ役はミスキャストと思っているのだが、そういう印象を逆手にとっての、今回のダークなものを内側に抱えて成長したぼんぼんというキャラクターは、意外性と同時に説得力もある。近年は俳優というより歌って踊れるMCという印象の方が強かったハリスだが、演技力も充分。


もちろん彼らの能力を存分に引き出した演出のデイヴィッド・フィンチャーは、私に言わせてもらえれば「ソーシャル・ネットワーク (The Social Network)」「ベンジャミン・バトン 数奇な人生 (The Curious Case of Benjamin Button)」よりも、「ゾディアック (Zodiac)」や「ゴーン・ガール」のようなサスペンスの切れ味の方を断然買う。今回なんて、「セブン (Seven)」みたいに常に雨を降らせていたり色調を暗くしているわけでもないのに、明るい陽の下で不気味だ。小道具に頼らなくても充分意図するものが撮れるヴェテランになったということだろう。このぞくぞくする不気味さを意図的に演出できる監督って、ほとんど唯一無二のような気がする。










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ある日ニック (ベン・アフレック) が自宅に戻ると、妻のエイミー (ロザムンド・パイク) がいなくなっていた。リヴィングには争った痕跡があり、ニックは警察に通報する。エイミーの母メアリベス (リサ・ベインズ) は著名な児童文学家で、エイミーの失踪はメディアが注目する事件へと発展、町ぐるみで捜索が開始される。警察の捜査が進むうち、実はニックとエイミーの夫婦仲は最近うまく行っておらず、エイミーに多額の保険金がかけられていたり、ニックが浮気していたことが明らかになる。ニックには一転してエイミーを殺害して遺棄したのではという疑惑がかかる。今やメディアの狂乱は留まるところを知らなかった‥‥


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