Glass


ミスター・ガラス  (2019年1月)

M.・ナイト・シャマランの発想やアイディアは尋常じゃないと思ってはいるが、その、人の意表を突く作品群の中でも、「アンブレイカブル (Unbreakable)」は突出して普通じゃないと思っている。だいたい、自分が怪我しやすく、そのマイナスとは反対に世の中には絶対に怪我しない者がいるはずだと、それを確かめるために列車を転覆させて多くの無辜の者を殺すという発想は、かなりヤバい。設定としてはかなりバカミスだが、しかし見ている時は圧倒的に面白い。 

  

そして一昨年の「スプリット (Split)」で登場したのは24人格を持つ男で、最上位に位置する人格が前面に出てきた時は、性格だけでなく体格まで変わり変身する。これまたなんて無茶苦茶な話なんだと唖然とするが、それでも、やはり見ている時は完全に惹き込まれて見ている。要はこういうトンデモ設定を人に納得させる演出力の問題で、奇想天外過ぎてまったく受けつけないという人もいるようだが、私のようにハマる人間にとっては、シャマランは唯一無二の演出家だ。 

  

しかし「スプリット」のラストでブルース・ウィリスが出てきた時、さすがに一瞬、ウィリスと「アンブレイカブル」が結びつかなく、戸惑った。なんせ「アンブレイカブル」が公開されたのはその時ですら16年前の話で、ほとんどの者はウィリスが「アンブレイカブル」に出てきたキャラクターだとは即座には気がつかなかったろう。「アンブレイカブル」のウィリスというよりも、むしろまだ「シックス・センス (The Sixth Sense)」のウィリスだと思った者の方が多いのではないか。 

  

そんなわけで、ウィリスの登場がたぶん次作に繋がる伏線と気づいてからも、実はそれがよいアイディアだとは最初到底思えなかった。元ネタの「アンブレイカブル」が興行的にこけてたぶん知らない者の方が多いと思える時に、そのスピンオフを製作する意味はすこぶる疑問だ。正直言って、よく製作にこぎつけられたなという印象の方が強かった。「スプリット」の前の「ヴィジット (The Visit)」がわりと好評だったから、その恩恵もあったろう。 

  

一方で、果たして「アンブレイカブル」と「スプリット」が合体したらいったいどんな作品ができるのか、ほとんど怖いもの見たさ的な興味を喚起したこともまた事実だ。これまでこちらの予想を覆す作品を作り続けてきたシャマランが、今度はどんな作品をものしたのか。気になるのは確かだ。 

  

実は私が「ミスター・ガラス」を見たのは既に公開2週目で、公開初週はちゃんと興行成績のトップに着いていた。ご同慶の至りだが、しかし人々はこれが18年前に作られた作品と一昨年公開作品の続編ということを知っていて見ているのだろうか。今ティーンエイジャーなら、かなりの確率で「アンブレイカブル」は見ていない。「ミスター・ガラス」が「アンブレイカブル」の続編ということを知らずに見ているのか、それともちゃんと予習して「アンブレイカブル」を見てから「ミスター・ガラス」を見ているのか。 

  

もし「アンブレイカブル」を見てなくて「ミスター・ガラス」を見たとなると、いったいどのくらい話が理解できるのだろうか。「ミスター・ガラス」の中で、デイヴィッド・ダンやイーライジャの素性はある程度説明はされるから、もしかしたら「アンブレイカブル」を見てなくてもそこそこ楽しめはすると思うが、しかし、やっぱり、「アンブレイカブル」、見てた方が「ミスター・ガラス」、もっと楽しめると思う。他人事ながら、「ミスター・ガラス」を見るなら是非「アンブレイカブル」も見てた方がいい、公開当時確かにこけたけど、あのアイディアは、バカミスというか非凡というか、やはり面白いと今でも思う。また、もちろん「スプリット」を見ていることも必須だ。「スプリット」を見ずにいきなりビーストを見たら、ほとんど噴飯ものだろう。 

  

とまあ、前作を見てるか見てないかについてこうもくどくど書くのも、シャマラン・ファンの私としては、「ミスター・ガラス」を見るなら是非3作とも見て、堪能して欲しいと思うからだ。18年前、「アンブレイカブル」がこういう展開を見せるとは、当時は、たぶんシャマラン本人さえ考えていなかったに違いない。 

  

先々週見た「メリー・ポピンズ・リターンズ (Mary Poppins Returns)」も続編といえば続編だが、キャラクターは同じでも演じている俳優は別人だ。ところが「ミスター・ガラス」では18年の時を経て、同じ俳優が同じキャラクターを演じている。子供だったジョゼフは、今では一人前の大人だ。 

  

演じているのはスペンサー・トリート・クラークで、最初、彼がスクリーンに登場した時、それまでうろ覚えでしかなかった「アンブレイカブル」でウィルスの息子役を演じた少年の顔が、いきなり脳裏に甦った。まさしく、あの子が成長したらこんな顔になりそうで、もしかしたら本当にあの少年が成長して18年後に再度ジョゼフを演じているのかと思って調べてみたら、本当にそうだった。ある意味 「6才のボクが、大人になるまで。 (Boyhood)」の上を軽く行っている。そういえば「アップ (Up)」シリーズの最新作であるはずの「63アップ (63 Up)」は、今年放送されるのだろうかと考える。シャマランって、やっぱりすごいことを平気でする。 

 

「ミスター・ガラス」は、「アンブレイカブル」で不死身のスーパーヒーローだったデイヴィッド・ダン、その彼の存在理由に肉薄したイーライジャ (ミスター・ガラス)、そして「スプリット」に登場した超人間ビーストを介し、果たしてスーパーヒーローという存在は現実にあり得るのかという命題に挑む。 

 

これが普通の者なら、最初から、スーパーヒーロー? 何言ってるの? の話になるだろうが、シャマランの場合、まずスーパーヒーローがいるという視点から語り始める。しかし常識では決して存在するはずのないスーパーヒーローが事実目の当たりにいる。それはなぜかという、さらにその上の謎が今回のキモだ。正直言って、最近うじゃうじゃと掃いて捨てるほどいるマーヴェルやDCのスーパーヒーローなんかより、こちらの方がよほどエキサイティングに感じる。 











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デイヴィッド・ダン (ブルース・ウィリス) は以前より多少力が衰えたとはいえ、今でも悪を見逃すことはできず、昨今何かと世間を騒がせているビースト (ジェイムズ・マカヴォイ) の素性を確かめたいと思っていた。スーパーヒーローとしての父を尊敬している息子のジョゼフ (ペンサー・トリート・クラーク) は、そういう父を心配しながらもヘルプする。デイヴィッドはついにビーストと相まみえ、そこにフィラデルフィア警察も現れて、二人は治安を脅かす者として捕らえられる。彼らは、かつて列車転覆事件を計画し、今では厳重に身柄を拘束されているイーライジャ (サミュエル・L・ジャクソン) のいる施設に、同様に収容される。自分たちがスーパーヒーローと自認している彼らはいったい何者なのか、気が狂っているだけなのか、精神医学者のステイプル (サラ・ポールソン) は彼らの精神を鑑定しようとする‥‥ 


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