Ghost in the Shell


ゴースト・イン・ザ・シェル  (2017年4月)

「ゴースト・イン・ザ・シェル」、要するに士郎正宗原作、押井守演出のアニメーション「Ghost in the Shell 攻殻機動隊」のハリウッド版実写ヴァージョンだ。「Ghost in the Shell」はSF界に大きな影響を与えているらしく、崇拝者が世界に大勢いるようだ。 

 

私自身はここ十何年というものアニメーションから遠去かっているため、「Ghost in the Shell」は見ていない。さらに、近年はCG重視の作品全般にあまり興味がなくなってきた。とはいうものの「ゴースト・イン・ザ・シェル」には興味がないかというと、そういうこともない。 

 

この作品ならよくてこれはダメという線引きがどの辺りに引かれているかというと、実は私自身にも判然としない。たとえばキングコングがCGにしか見えない今公開中の「キングコング: 髑髏島の巨神 (Kong: Skull Island)」にはほとんど惹かれないが、同様にほとんどをCG後付けの「猿の惑星: 聖戦記 (War for the Planet of the Apes)」は見たくないかというと、そんなこともない。「ライフ・オブ・パイ (Life of Pi)」は積極的に見たいが、「ジャングル・ブック (The Jungle Book)」には惹かれない。 

 

要するにCGそれ自体が前面に出てくるのではなく、話に奉仕する使われ方をしているのならいいが、CGそれ自体のできに特に興味があるわけではない。しかしそれがどこまでなら許容範囲でどこからならダメというラインはがどの辺にあるかは、自分自身でも定かではない。ケース・バイ・ケースだ。そのため「キングコング」はダメだけど「ゴースト・イン・ザ・シェル」ならいいというのが、たとえば女房には納得できなかったりする。私自身でもうまく説明できないのでしょうがない。しかしこれならよくてこれはダメという嗜好は厳然としてある。 

 

少なくとも「ゴースト・イン・ザ・シェル」に関しては、CG画像より、主演のスカーレット・ヨハンソンを見たいから、というのは言える。女性SFヒロインというと、「バイオハザード (Resident Evil)」シリーズのミラ・ジョヴォヴィッチ、「アンダーワールド (Underworld)」シリーズのケイト・ベッキンセイルが即座に思い浮かぶが、ヨハンソンも負けてはいない。「アベンジャーズ (The Avengers)」シリーズではブラック・ウィドウとしての出番が多いわけではないため特に記憶には残るわけではないが、2014年の「ルーシー (Lucy)」、そして「ゴースト・イン・ザ・シェル」と着実にSF界に進出しており、現在ではジョヴォヴィッチ、ベッキンセイルと共にSF女優三羽烏という印象がある。 

 

ジョヴォヴィッチの「バイオハザード」はシリーズが終わってしまったため、「マッドマックス 怒りのデス・ロード (Mad Max: Fury Road)」や「ワイルド・スピード ICE BREAK (The Fate of the Furious)」、シリーズ化しそうな「アトミック・ブロンド (Atomic Blonde)」とアクションものが続くシャーリーズ・セロンが、ジョヴォヴィッチの代わりにその座に収まりそうな気配もある。いずれにしてもこの辺りが、現在を代表するSFヒロイン女優と言える。 

 

上記4者に共通しているのが、全員紛れもなく美人ということだ。それが顔を汚したり殴られたりしながらアクションするのを見るのもいいし、あるいは綺麗なまま眉一つ動かず敵を倒しても、それももちろんいい。要するに美人は得だ。何をしても絵になる。「ゴースト」ではヨハンソンが首の後ろに穴開けられてチップを交換したり、顔の皮膚剥がされたり胴体に風穴開けられたり腕引き千切られながら格闘したりする。 

 

もちろんそういうのを見に来ているのだが、近年世の中に危ない奴らが増え、こんなのを見て猟奇殺人に走る奴が出て来やしないかと、一瞬不安になる。これはフィクションだから。とはいえ「ゴースト」自体が、リアルとメタの世界を行き来するような作品だ。それなのに、これは現実じゃないからという諭しにいったい何の意味があるのだろうかという疑問ももたげる。テクノロジーが発達して、なんで世の中よけいに生きにくくなるのか。 

 

「ルーシー」ではヨハンソンは、ただの留学生がドラッグの運び屋として利用されたために尋常じゃない能力を手に入れる。「ゴースト」でも元々はただの一般人だったものが、最先端技術の利用によってスーパー身体能力を手に入れる。手に入れるとはいっても、両方とも望んで手に入れたものではない。強制的に利用され、そうなった。「アベンジャーズ」では自らその道に身を投じたように見えるが、実はそうでもないのかもしれない。それもおいおい明らかになるだろう。「ゴースト」には続編というのがあるのだろうか。 

 

「ゴースト」はヨハンソンの映画ではあるが、共演陣も興味深い。「ルーシー」でも共演していたピルー・アスベックは、ヨハンソンを売った恋人未満の男だったが、「ゴースト」では命を賭してヨハンソンを守る不屈の男だ。変われば変わる。オウレイ博士に扮するジュリエット・ビノシュは、「ゴジラ (Godzilla)」でもやっぱり研究職だった。日本発のSF作品に似たような役で出て、似たような運命をたどる。ビートたけしはどこにいてもやっぱりビートたけしなのだった。 

 

冒頭の芸者アンドロイドに扮しているのは福島リラで、ウルヴァリンのボディガードとして「ローガン (Logan)」に登場するものだとばかり思ってたら、こんな姿で「ゴースト」に出てきた。忍者の末裔が芸者ロボか。クゼに扮しているマイケル・ピットは、「クリミナル (Criminal)」でもここでも天才的なハッカー役。桃井かおりは「Sayuri (Memoirs of a Geisha)」以来、久し振りに見た。やはりお母さん役だ。演出は「スノーホワイト (Snow White and the Huntsman)」のルパート・サンダーズ。 

 

そういえば、「ゴースト」、「ゴースト」と書いていて思い出したが、ヨハンソンの初期の出世作に「ゴーストワールド (Ghost World)」ってのがあった。考えればあれもマンガ、というかグラフィック・ノヴェルの映像化だ。まるでSFではない、意図的に無表情に大根を演じていたような作品だった。そのヨハンソンが、今ではハリウッドSF界の筆頭女優だ。しかし今も昔もやはり美形ではある。 











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近未来。ミラ (スカーレット・ヨハンソン) はテロに巻き込まれて、頭脳以外のすべてをハンカ・ロボティクスのオウレイ博士 (ジュリエット・ビノシュ) の手によってサイボーグ化されていた。その後その身体能力の高さを活かし、荒巻大輔 (ビートたけし) 率いる少数精鋭の公安9課を束ねる少佐として活躍していた。ある時ハンカへのテロを最小限に食い止めた少佐は、しかし頭脳に違和感を感じる。オウレイ博士の手によってボディをリフレッシュした後も、その違和感は収まることがなかった。少佐はテロに加わっていたゲイシャ・アンドロイドのチップに同期し、禁じられている頭脳の最奥部へダイヴするが、逆にそれを予期していたハッカーのクゼ (マイケル・ピット) によってカウンター・ハックされ、ぎりぎりのところで最悪の事態を食い止める。少佐らはこの情報を元にナイトクラブに潜入するが、逆に返り討ちに遭う‥‥ 


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