Gett: The Trial of Viviane Amsalem


ゲット: ザ・トライアル・オブ・ヴィヴィアン・アムサレム  (2015年4月)

先週見損ねた「71」、あるいはアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされていた「ワイルド・テイルズ (Wild Tales)」を見に行こうとしたら、両方とも既に近くではやってないだけでなく、遠いところかマンハッタンで深夜上映のみみたいな感じになっていて、二の足を踏む。


それで他に何か面白そうなのは、と探していて、イスラエル映画の「ゲット」を見つけた。今春のゴールデン・グローブ賞で外国語映画賞にノミネートされており、アカデミー賞ではノミネートを逸しているが、わりと誉められているようなのでこれに決める。


とはいえ私の映画に関する前知識はここまでで、タイトルから察するにどうやら法廷ものらしいが、もしかして、これ、ドキュメンタリーかなと思ってたくらいだ。というのも最初、タイトルの「ゲット」を「ゲティ」と思い込んでいたためで、要するに、超大金持ちでスキャンダルの多いゲティ財閥に関する作品だと思っていた。つい最近、ゲティ家の御曹司の一人がLAの自宅豪邸で謎の死を遂げたというのがニューズにもなっていた。というか、そのニューズが頭に残っていたため、無意識に影響されてこの映画を選んだのだろうと、今となっては思う。


ところがどうやら映画はゲティ家に関する話じゃないというのは、劇場に着いてチケットを買おうとして、上映している映画の表示を見て初めて気づいた。これ、ゲティ (Getty) じゃなくてゲット (Gett) だ。ゲティ家とはなんの関係もない。どうやら私はまるっきりカン違いしていたらしい。むろんここまで来てだから見ないで帰るなんてことはせず、こういうカン違い間違った思い込みはむしろ率先して受け入れることで、色々と見る作品に幅ができる。それでも、まあ、そういう場合でも恋愛ものやティーンものだったりしたら、見ないで帰ると思うが。


さて、「ゲット」は、裁判の話とはいっても、政治社会的なものとは一切関係ない、離婚裁判を描くドラマだった。イスラエルでは離婚はどんなに妻側が欲していても、夫が最終的に同意しなければ離婚は成立しない。その時、夫はラビの前で妻に対して離婚同意書を手渡す。その同意書のことをゲットと呼ぶのだ。人の名前じゃない。


さらに驚きは、この作品、法廷ドラマも法廷ドラマ、徹頭徹尾法廷ドラマで、最初から最後まで話はすべて法廷の中で展開する。法廷とはいっても、裁判長がいて陪審員がいて、原告被告検察弁護人証人傍聴人がいるというような、重厚大掛かりなものではない。裁判長の代わりにユダヤの宗教的指導者のラビが複数人壇上に座り、後は離婚を申し立てる原告 (妻) とその弁護人、被告 (夫) がいるだけだ。後で証人や夫側にも弁護人も立ったりするが、それだけで、待合室でちょっとだけ映る者たちを除くと、全登場人物を合わせても10人いるかいないかだ。それで最初から最後まで通す。


アメリカには法廷ドラマというジャンルが確立しており、NBCの「ロウ・アンド・オーダー (Law and Order)」というフランチャイズ化したドラマ・シリーズもあるが、それとて全編法廷で話が進むということはなく、法廷シーンは話に決着のつく中後半以降のクライマックスに過ぎない。とすると「ゲット」は、どちらかというと最初から最後まで法廷で話・裁判が進行する、「ジャッジ・ジュディ (Judge Judy)」のような擬似法廷リアリティ・ショウの方によほど近いと言える。


あるいは、やはりこちらも離婚問題を描き、法廷シーンで幕を開けるイラン映画の「別離 (A Separation)」もあるが、これは離婚を巡る様々な事件を描くと言う方が適切で、法廷ドラマとは言えない。どちらかというと、最初から最後まで閉じられた場所で話が展開するということで思い出すのは、こちらは最初から最後まで一台のクルマの中で話が進行する「ロック (Locke)」だ。とはいえクルマは動いているので、夜でよく見えないとはいえ背景は常に変わっていくため、「ゲット」みたいな閉所に閉じ込められるみたいな閉塞感はあまりない。やはり「ゲット」はかなり特殊と言える。


それにしても古い、伝統のある国ほど何かとつまらない些事にあれこれと取り決め事があったり、時代にそぐわない古い決まりがまだ生きてたりするが、イスラエルも然りだ。ウクライナのユダヤ人を描いたミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き (Fiddler on the Roof)」で、主人公のテビエは伝統、しきたりばかりで大変だ、みたいなことを歌っていたが、この法廷での進行を見ていると、本当にそう思う。どうして時代に沿うよう物事を変えられないんだ。あるいは、そう簡単には変更できないからこその伝統しきたりなんだろうが、しかし人々の生活を円滑に運ぶために長い間をかけて熟成してきた伝統しきたりが明らかに人々の生活の重荷になっている場合、それはやはり変更されるべきだろう。


「ゲット」は、批評家の評価自体は高い。それでもゴールデン・グローブでノミネートされてはいても受賞は逸し、アカデミー賞ではノミネートを逃したのは、ずばり製作費が安いという印象のせいじゃないだろうか。最初から最後までカメラは同じビルから外に出ず、せいぜい小さな法廷とその隣りの待合室をとらえるだけだ。そのため、その閉塞感が妻のヴィヴィアンの閉塞状況を非常によく代弁している。つまり意図的な演出なわけだが、しかしおかげで製作費は安くあがったろうなという印象も否定し難い。舞台劇としてならトニー賞ものの非常によくできた作品だとは思う。しかし、室内だけが舞台のセリフ劇にアカデミー賞をあげにくかったというのはよくわかる。いずれにしても、映画を見終わって外に出た時の解放感といったらなかった。










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ヴィヴィアン (ロニト・エルカベッツ) は愛の冷めたエリシャ (シモーン・アブカリアン) との離婚を欲していたが、イスラエルでは離婚の是非は法廷でラビが判断し、夫の同意が必須だった。しかしエリシャは再三のヴィヴィアンの要請を無視し、法廷も無断欠席するなど、離婚には消極的だった。法廷もエリシャが承諾しないなら離婚はないとの態度を変えない。しかしどうしても離婚したいヴィヴィアンは法廷に訴え続け、何人もの知人を法廷に呼んで証言させるが、それでもエリシャは離婚に同意しないまま、ずるずると何年もの月日が経つ‥‥


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