Gangster Squad


L.A. ギャングストーリー  (2013年1月)

1940-50年代のフィルム・ノワールの伝統は、今でも廃れていない。ハリウッドを舞台にしているということもあるだろうが、特にこの時代を描くと、人々はお洒落になり、映像はスタイリッシュなものとなる。それは映像がモノクロからカラーになっても変わらない。


それでも、一時期この分野は多少衰退した印象があったが、1996年のリー・タマホリの「狼たちの街 (Mulholland Falls)」、1997年のカーティス・ハンソンの「L.A. コンフィデンシャル (L.A. Confidential)」辺りから、このジャンルに新しい息吹きが持ち込まれたように思う。特に、中身よりもまずスタイリッシュな映像という視覚的な 外観から語られることの多かったこのジャンルに、大衆的なエンタテインメントを持ち込み、商業的にも成功した「L.A. コンフィデンシャル」がこのジャンルに与えた影響は、多大なものがある。


その後も2006年の「ハリウッドランド (Hollywoodland)」「ブラック・ダリア (The Black Dahlia)」等、この時代を描く作品は、不定期にではあっても忘れ去られることなく製作されている。一昨年の「ドライヴ (Drive)」だって、この路線の延長線上にある。そういえば「ドライヴ」の主演は、ライアン・ゴズリングだった。


「L. A. ギャングストーリー」が特に近いのは、ミッキー・コーエンという実在したギャングが共に登場する「L. A. コンフィデンシャル」だろう。邦題が共に似通ったものになっているのも、故なきことではない。今回は「コンフィデンシャル」では脇の登場人物の一人に過ぎなかったコーエンを敵役の中心人物に据え、彼とLAPDとの対決を描く。


映画に描かれている、LAPDの警察署長直属のスクワッドは、実在したそうだ。「狼たちの街」でも登場しており、その時既に署長直属で、外部の圧力に屈しない精鋭部隊という性格が描かれていた。もっとも、そういうものが作られるというのは、そもそも警察に賄賂や汚職が横行していることを意味している。そういや、これにもニック・ノルティが出ていた。


一方、いくら署長直属でも、銃器の携帯はともかく、外部から見れば警察に所属しない無所属の人間が、たとえギャングといえども勝手に人を殺してしまってもいいものかとも思うが、ま、そこはフィクショナルな味付けの部分もあろう。いくら目には目を歯には歯をとはいえ、勝手に生殺与奪の権を人に付加してしまっては、その権力も腐っていくだろうというのは目に見えている。


「狼たちの街」の時はそのスクワッドの一人に過ぎなかったノルティが、「ギャングストーリー」では署長のパーカーになってスクワッドに指図する。出世した。今 回抜擢されたそのスクワッドのリーダーが、ジョシュ・ブローリン扮するジョン・オマラだ。熱血漢のオマラは、腐敗にも屈せず一人正義を貫き通す孤高の男で、その点をパーカーに買われる。


オマラはその道の選り抜きのプロを選び出し、スクワッドを結成する。惜しむらくは、その時もうちょっと盛り上げられるはずなんだがと思うのだが、ハリウッドのこの種のティームワークものがなぜだかいつも人集めの部分をさらっと描いてしまって盛り上がりに欠く嫌いがあるのは、ティームワーク、ティームワークと口を揃えても、基本的に個人主義のアメリカでは、誰もティームワークを本心では信用していないからではないのかと最近では思う。だからこそ皆異口同音に ティームワークなんだといつも強調する。じゃないと皆てんでばらばらになって、例えばティーム・スポーツが機能しなくなる。


「ギャングストーリー」でも、ナイフ使い、ニヒル屋、ヴェテラン、技術屋等、簡単に膨らませられそうなキャラクターを揃えといて、実は特に印象に残る見せ場はあまり用意されていない。さらっと描き過ぎだ。こういうプロフェッショナル寄せ集めものは、人集めのシーンこそ最も面白いのは黒澤明の「七人の侍」が証明している。いったいぜんたい、「七人の侍」、見て勉強してんのかと訊きたくなる。


裏主演のゴズリング演じるジェリーは、最初、スクアッド参加に乗り気でなく、スカウトされても断っているのだが、その彼が気を変えるきっかけになった事件 も、話としてはすごくドラマティックなはずなのだが、実はあまり記憶に残らない。ナイフ使いがだいたいシーンを盗んでしまうのは、黒澤明の「用心棒」や ジョン・スタージェスの「荒野の七人」が証明しているが、ここでのアンソニー・マッキー演じるコールマンも、今イチ印象が薄い。そういえば「荒野の七人」 だって黒澤のリメイクだし、実は意外にも「ギャングストーリー」は「七人の侍」と共通点が多い。


その後も、ああ、このシーンはもっと盛り上がるはずなのに、ドラマティックになるはずなのにというシーンが山積みで、これだけさらっと流されると、もしかしてこれは意図的か。話の流れとしてはこれ以上ないくらい劇的なものだし、銃弾ぶっ放し最後は素手での殴り合いになるのだが、それですら血まみれになっても血沸き肉躍るという感じはしない。


考えると、フィルム・ノワール時代の銃撃戦や乱闘は、実際にはそれらしくない、視覚的にスタイリッシュなことだけに重点を置いたものが多かった。マシンガンを乱射する時は葉巻をくわえていなくちゃならないし、パンチは相手を倒すものというよりも、見せるだけの捨てパンチだ。


それを考えると、「ギャングストーリー」は、むしろフィルム・ノワールの正統な後継者と言えるかもしれない。真っ先に来るのは、なによりもまずスタイルなのだ。つまり、ストーリーが作品をドライヴするのではなく、スタイルが作品をドライヴするのが、「ギャングストーリー」だ。


そう思って見ると、視覚的にほとんどのキャラクターは、いかにもと言える絶妙の位置に収まっている。ついでにモノクロのトーンにして、さらにサイレントにすると、この映画の効果が最大限に味わえるような気がする。しかし映画の中ではキャバレーのシーンもあるし、音楽や音響効果にもそこそこ気を使っていたから、さすがにそれはご法度か。









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1949年ロサンジェルス。ニューヨークから来たギャングのミッキー・コーエン (ショーン・ペン) は、LAPDのみならず政財界に顔が利き、LAの裏の部分をほとんど牛耳っていた。警察署長のパーカー (ニック・ノルティ) は、一匹狼的な正義漢ジョン・オマラ (ジョシュ・ブローリン) に白羽の矢を立て、隠密裏にほぼ無法でギャングに対峙するスクアッドを結成させる。オマラはコールマン・ハリス (アンソニー・マッキー)、コンウェイ・キーラー (ジョヴァンニ・リビシ)、マックス・ケナード (ロバート・パトリック)、ナヴィダッド・ラミレス (マイケル・ペーニャ)、そしてジェリー・ウーターズ (ライアン・ゴズリング) をスカウトし、敢然とコーエンに立ち向かう‥‥


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