Frozen River


フローズン・リヴァー  (2008年9月)

極寒の冬のニューヨーク州北部。川を挟んでカナダと接する町モホークに住むレイ (メリッサ・レオ) は、家の購入資金を夫に持ち逃げされ、二人の息子を抱えたまま途方に暮れる。夫の跡を追ったレイは、夫を見つける代わりに自分の車を運転しているネイティヴ・アメリカンの女性を発見、追跡して住居を突き止めて車をとり返す。その女性ライラ (ミスティ・ウファム) は、金に逼迫しているように見えるレイに仕事の話を持ちかける。それは凍結した川の上を渡ってカナダからアメリカへ密入国しようとしている人間を運ぶというものだった‥‥


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「フローズン・リヴァー」はこれまでのところ、今年「テル・ノー・ワン」と並んでロング・ランを続けているインディ映画だ。しかも一年で最も暑い時期に、アメリカでも最も寒い地方の出来事を描く話だ。もしかししたら最近の暑さにうんざりした人間が、視覚的にでも涼しくなろうと劇場に詰めかけている、というか、ある程度そうした効果を見こして配給もこういう時期に公開していると思われる。


「フローズン・リヴァー」の主人公レイは、育ち盛りの二人の息子を抱え、自分はパートの仕事しかないのに、やっとのことで貯めた金を夫に持ち逃げされる。その時に夫が持ち出した車の乗っていた女性ライラを見つけたレイはその後をつけ、車をとり返す。ライラはレイ同様シングル・マザーだがわけあって息子を親戚の子にとられ、自分はトレイラー生活をしていた。


ライラはネイティヴ・アメリカンで、同様に苦しい生活をしているレイの境遇を見てとり、レイに仕事の話を持ちかける。それは厳冬期に凍結している川の上を車で渡って、カナダからアメリカに不法入国しようとしている密入国者の手助けをするというものだった。


いや、この設定には参った。昨年、凍結した湖上を走って物資を輸送するトラッカーたちをとらえたリアリティ・ショウ「アイス・ロード・トラッカーズ」を見て、世の中にはこんなことをして生計を立てている人たちがいたのかと驚嘆したのだが、それでも彼らは一応事前に湖の氷の厚さを測って、安全だと思われる時に仕事をする。しかし自然は気まぐれで、いつどこで氷が割れるかは神のみぞ知る世界だ。実際、氷は割れる時は割れ、そして氷が割れる時は死を意味する。


一方レイとライラの場合、誰かが彼女らのために事前に川の氷の厚さを測ってこれなら大丈夫と太鼓判を捺してくれるわけではない。それでも金を得るために彼女らは四駆でもない普通の乗用車を駆って凍結した川の上を走る。常に氷が割れる危険と隣り合わせで、氷が割れなかったとしても車がエンコした場合、誰にも助けを求められず、というか助けを求めるわけにもいかない。しかも彼女らが利用する小型車はいかにも途中でエンジンが止まりそうだ。


その危険を知ってか知らずか、チャイニーズや中近東からアメリカを目指してきた密入国者はその厳寒の中をたぶん30分くらいだろうとはいえ小型車のトランクの中に入れられて運ばれる。狭く寒い真っ暗なトランクの中だ。私なら中に入れられたとたんパニック・アタックに襲われて出してくれと叫びそうだ。そこまでしてもアメリカに渡りたいと考える者が後を絶たないというのが、彼らの自国での境遇を物語っていると言えるが、しかし、途中で死ぬ可能性も低くないことがわかっていても、それでもアメリカに渡りたいか。


最初レイは仕事の話を断るが、しかしレジのパートの仕事ですらパート・タイムからフル・タイムにしてもらえず、それなのに金の督促だけはやまず、結局その話に乗る。手に特別な職のあるわけではないシングル・マザーのレイに、選択の余地はもはや残されていなかった。


主人公レイを演じるのがメリッサ・レオで、最近では「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」に出ていたのを覚えていたが、ちょっとIMDBでフィルモグラフィをチェックしてみたら、それから「フローズン・リヴァー」まで、TVやらインディ作品やらで出演作が20本近くあった。確かにバイ・プレイヤーとして重宝されそうで、特に今回のように逆境に苦しめられるような役に合う。それを徹底して主人公にしたら、「フローズン・リヴァー」のハード・ボイルド主人公になったという感じが濃厚だ。シングル・マザーの意地と矜持を叩きつける熱演を見せる。脚本/演出はIMDBによるとこれが初監督作のコートニー・ハントで、むろん女性だ。IMDBには経歴は載ってなかったが、彼女自身の体験が作品に反映していないわけはないだろう。


ところで「フローズン・リヴァー」は「アイス・ロード・トラッカーズ」同様、当然極寒の時期が舞台だ。川や湖に氷が張っていなければならないから当然で、映画の中でラジオのDJも今日は華氏零度、寒い一日になる、なんて言っている。華氏零度なんて、摂氏で言えば-17度、寒いニューヨークにいてすらまだそこまでの経験はない未知の領域だ。しかもよく考えたら、川向こうのカナダはさらに寒いに違いない。その中を人は結構外を平気で歩いている。むろん着込んではいるが、しかし特に寒がっているようには見えないのはなぜだ。寒がりの私から見たらまるで想像の及ばない世界のように見える。みんなタフだ。私がヘタレ過ぎるかと思ったのだが、実はそうではなかったのを映画を見た後で知った。


アメリカの劇場で映画を見たことのある者なら知っているだろうが、アメリカの映画館というものはどの映画館もまず寒い。冬寒いのではなく、夏寒い。エアコンをがんがんに効かせるからだ。年々デブになって暑がりになっていくアメリカ人の要求に合わせたものと思われるが、痩せぎすのエイジアンには寒過ぎる。エイジアンだけでなくアメリカ人だって特にお年寄りはやはり寒い寒いと言いながらカーディガンや薄手のスウェター等を羽織って見ていたりする。私も近年はショーツで映画を見ると、上映後に膝が氷のように冷たくなっていることがしばしばあり、これは絶対身体に悪いと、近年、夏に映画を見る時はロング・パンツで見ている。エコの時代に逆行していると思うが、なぜだかいまだに映画館はエコという言葉と無縁なのだった。


そういう劇場で「フローズン・リヴァー」を見ると、これは身に染みて寒い。最近は私は夏でもロング・パンツで予防しているので実は北極並みに寒かったとは思わなかったのだが、一緒に見ていた女房は厚手のコットンのスウェターを着込んでいたくせに雪山のように寒かったと主張する。トイレでも皆口々に寒かったと言っていたと言うので、トイレにいたのは冷え性のババアたちばっかりだったんじゃないのと私が茶々を入れても、いやそんなことはない、若い人も寒がってたと言う。外はうんざりするほど暑い中を、冷房が効き過ぎの劇場で寒い寒いと言いながら雪国の映画を見る。贅沢というよりは奢りか。どこか間違っているような気がすると思いながら、壊れてエアコンの効かない車に乗って、汗だくになりながら家路に着いたのであった。







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