From Hell

フロム・ヘル  (2001年11月)

「フロム・ヘル」 はヒューズ兄弟が主演にジョニー・デップを起用、19世紀末にロンドンを震え上がらせた「ジャック・ザ・リッパー (切り裂きジャック)」事件を再構築したものである。オリジナルはアラン・ムーアとエディ・キャンベルによるグラフィック・ノヴェルで、タイトルの「フロム・ヘル」とは、ジャック・ザ・リッパーがスコットランド・ヤードに送りつけた犯行声明状の一節からとられている。


因みにグラフィック・ノヴェルとは、何のことはない、日本の大型のマンガ単行本のようなもので、「フロム・ヘル」の体裁は、版形や厚みはほとんど大友克洋の「アキラ」とそっくりである。こっちの方がもうちょっと厚みがあるが、ほとんど同じ大きさのコマが延々と続くところなどは従来のアメコミとまったく同じで、いったい何を指してグラフィック・ノヴェルと言っているのか、従来のアメコミと何が違うと言いたいのかは、よくわからない。私に言わせれば、通常カラーで薄っぺらいアメコミが白黒になり、分厚くなっただけである。巻末に長々と注釈があるので、そこの部分を含めてノヴェルなのか? いずれにしても、絵に大した魅力もなく、描きなぐったという印象を受けるだけで、この手のものを見る度に、私はもっと日本のマンガを見て研究しろよと言いたくなる。


19世紀末、ロンドン。ジャック・ザ・リッパーがロンドンっ子を震え上がらせていた。事件を担当するアバライン警部 (デップ) は阿片窟に入り浸っており、白昼夢で事件に関係することを体験し、それを事件解決に役立てるという風変わりな調査法で知られていた。今回も様々な事件の被害者を夢に見たアバラインは、それを手がかりに調査を進める。途中、売春婦のメアリ (ヘザー・グレアム) や高名な医者のガル (イアン・ホルム) と知己を得たアバラインは、彼らの協力を得、一歩一歩ジャック・ザ・リッパーの正体に近づいていく‥‥


ムーディな暗い映像と、この時代を舞台としているスリラーということですぐに連想するのは、ジュリア・ロバーツとジョン・マルコヴィッチが共演した「ジキル&ハイド」。どちらも正体の知れない殺人鬼を追っていくという展開もそっくり。一方の主人公は小間使いであり、一方はれっきとした警部であるという主人公の立場の違いということはあるが、作品の持つ暗い、鬱々とした印象はまったく一緒で、それは事件が解決してめでたしめでたしとなった後も変わらない。ついでに言うと、両者とも批評家受けもあまりよくないとこまでそっくりである。「フロム・ヘル」はマーケティングが功を奏したか、興行成績の上ではそれなりのものを収めており、その点では批評家どころか観客からまで総すかんを食った「ジキル&ハイド」に較べれば幸運だったと言える。


正直なところを言ってしまうと、私は「ジキル&ハイド」も「フロム・ヘル」も、作品としては失敗していると思う。ムーディな演出という狙い自体は外してないと思うが、そのため全体の色調が暗く、スクリーンの上でよく見えない部分が多い。どんな作品にもだれる部分というのはあるもので、そういう時はスクリーンの上に現れる、ストーリーとは関係ない部分を見るというのは、ほとんどの観客が意識もせずにとっている方法だと思う。ところが、こういう画面が暗い作品だと、そういう、だれる時に見るところがない。これは困ったことで、観客としては貧乏揺すりでもしているしかない。あまり暗いので、もしかしたら私が見ている劇場の映写設備がおかしいのかもしれないと思ったくらいだ。


画面が暗いのはホラー/スリラーの常道と思うのは大間違いで、過去の傑作ホラーを見れば一目瞭然だが、舞台が夜が多いために暗いという印象はあっても、実は隅々までライティングされており、結構よく見える。ほとんど日中に事件が起きるジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」や、いつも灯りに照らされた室内が舞台のスタンリー・キューブリックの「シャイニング」なんぞは、暗いシーンはほとんどないくらいだ。夜のシーンが多いヒッチコックの「サイコ」だって、画面が暗いという印象はない。


それが「ジキル&ハイド」と「フロム・ヘル」の場合、とにかく画面が暗い。多分その時代は夜は室内は蝋燭で照らされており、実際に暗かっただろうということもあるのだろうが、それにしても暗い。「フロム・ヘル」を見終わって帰ってきてから画面を思い出そうとすると、ほとんどのシーンが真っ黒になってしまう。それくらい画面が暗いという印象が強い。普通に生活していると、夜や暗い場所にいると妄想が暴走して勝手に怖くなってしまうが、映画の場合、見えないと想像のしようもないので、何も生まれない。


これまた同時代を描いた映画である「ハウス・オブ・マース」が、結構退屈する作品であるにもかかわらずそれなりに最後まで見れたのは、ストーリーや演出そのものよりも、その時代の生活模様が目に見えるため、それ以外の部分を見る楽しみがあったからだ。マーチャント/アイヴォリーの諸作のほとんどは、第一にそういう楽しみがある。ところが「フロム・ヘル」では、貧民階級がどんな暮らしをしてるかなんてまるでわからない。貧乏だから売春婦たちが寝泊まりする部屋にも調度なんかほとんどないし、あれではあってもほとんど見えない。時代ものであれだけ美術担当の腕の揮いどころがない作品も滅多にない。


美術といえば、作品内で小道具として使う馬糞がなくて、美術担当はそれを集めるのに往生したそうだ。結局、同じ馬糞を使い回ししたそうで、でも、よく見ないとほとんどのシーンで同じ馬糞を使っているのはわからないと、ヒューズ兄弟の片割れが冗談交じりでインタヴュウで答えていた。しかし、私は道端に馬糞があったことすら気がつかなかった。あんたらの苦労は私には届かなかったよ。


アルバートとアレンのヒューズ兄弟は、これまで「メナース II ソサエティー」、「ダーク・ストリート (Dead Presidents)」と、人種問題を描いた問題作を連続して撮っている。「フロム・ヘル」が初めての人種問題の絡まない作品だ (まあ、そういう視点から見るとそういう点も見えないこともないが)。本当はティム・バートンが撮った「Planet of the Apes」を撮る予定だったそうで、もし順調に撮影に入れたら、人種差別を主題にした「Planet of the Apes」ができ上がる予定になっていたらしい。バートン版「Planet of the Apes」もそれなりに楽しんだが、人種差別を基調にした「Planet of the Apes」も、きっと面白い作品になったと思う。それも見てみたかったな。


ヒューズ兄弟は一卵性双生児の黒人で、本当にどこから見てもそっくり。コーエン兄弟がほとんど全作品を共同で撮っているといっても、少なくともクレジットの上では製作と監督が分かれているのとは違い、ヒューズ兄弟の場合は、監督も製作も二人同時にクレジットされている。実際、二人で交互に演出するそうだ。ヒューズ兄弟より早くハリウッドで作品を撮り始めたのに、依然として人種問題から離れられない同じ黒人監督のジョン・シングルトンに較べ、一足早く一皮剥けたという感じがする。いずれにせよ、既に才能が枯れ果てたスパイク・リー以外に黒人監督が出てくるのは頼もしい限り。


色々と苦情を述べても、見せてなんぼの映画でこれだけ暗い画面を構成してしまう作り手には感心してしまう。感動してしまうと言ってもいい。もし私が監督だったら、怖くてこんなことなんかできない。この作品、プラハで撮影しているが、スタジオの近くで撮っていたら、ラッシュを見た上役が首を縦には振らないだろう。どのように見せるかが最大の命題である映画で、見えない作品を撮るという倒錯的な作品を敢えて撮ったヒューズ兄弟は、勇気あるとしか言いようがない。


デップは相も変わらず主演作が続く。この2年間だけでも「ノイズ」「スリーピー・ホロウ」「ナインス・ゲート」、「ショコラ」、「ブロウ」と、半年に1本は主演作が封切られる。単なる出演作ではない。主演なのだ。とりたてて演技力が図抜けているとも思えないのにこれほど色々な監督から重宝されるのは、それほど我が強くなく、監督の思う色に染まりやすいからだろう。彼はきっと撮影現場でも態度がよく、皆から好かれてるんじゃないかと思う。一方のヘザー・グレアムは、準主演というよりも脇といった感じくらいの出番しかなく、それほど印象に残らない。それよりもグレアム以外の、デップの部下のゴッドリーを演じるロビー・コルトレーン、医者のガルに扮するイアン・ホルム、グレアムの同僚の売春婦に扮するレスリー・シャープやケイトリン・カートリッジ、スーザン・リンチあたりの方が私には印象に残った。特にシャープ、カートリッジ、リンチは本当にイギリス俳優のため、ちゃんとイギリスの、それも低層階級のアクセントの英語を喋ってそれらしさを出している。


劇場で見ていてびっくりしたのは、私の前に7、8歳くらいの男の子を連れて一緒に見ていた親子連れがいたこと。この映画はそのくらいの歳の男の子に理解させようというのは無理でしょう。ほとんどスロウな展開の上、事件のシーンの残酷描写はかなりのもので、その上オール・ヌードのシーンも幾つかある。父親が何を考えて息子をこの映画に一緒に連れてきたかはわからないが、多分、自分の興味を優先させたんだろう。おかげで途中、やはりというか、このガキの集中力が切れ始めたのがありありで、私のすぐ目の前の椅子でぐずり始め、始終椅子をゆすり始めるので、私の意識もそこへ向かってしまう。何度も椅子をけっ飛ばして静かにしろと無言の注意をしなければならなかった。この手の映画にガキなんか連れてくんなよ、まったく。


あ、それから最後にこれからこの映画を見る人に一言忠告を。間違ってもこの映画を見る前に出演者をチェックしようと思ってIMDBを見てはいけません。誰がジャック・ザ・リッパーかがちゃんと表記されています。







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