Final Destination 2

デッドコースター  (2003年2月)

本当は今年のアカデミー賞の最右翼、「めぐりあう時間たち (The Hours)」を見に行こうと思っていたら、私の女房が今週末は忙しく、映画を見る時間がないので、それは来週見ることにして、今週は「デッドコースター」を一人で見に行ってくれという。私の女房は最近パニック障害にやられており、この手のホラー系のやつは見れなくなってしまっている。一方、「めぐりあう時間たち」やアル・パチーノ主演の「ザ・リクルート」は彼女も見たいので、自分が絶対見ないだろう「デッドコースター」を先に見に行ってくれというのだ。


アカデミー賞のノミネート発表は来週であり、そうなると当然「めぐりあう時間たち」は目一杯ノミネートされるから、そうするとまた混んでくるだろうから今のうちに見ておいた方がいいと思うのだが、ま、それほど言うならしょうがない。というわけで、要望通り、「デッドコースター」を一人で見てきたのであった。それにしても、昨年、そういう状態で自分から「K-19」を見に行こうと言い出して、心臓ばくばくになってたのはどこのどいつだ。


「デッドコースター」は、基本的に前作「ファイナル・デスティネーション」の続編ということになる。前作で飛行機事故の起こったちょうど1年後、今度は本当ならフリーウェイの交通事故で死ぬはずだった者たちが、ちょっとした運命のいたずらによって間一髪で死を免れる。しかし、いったん死ぬ運命にあった者は、一時的に死を逃れても、結局は遅かれ早かれ死ぬ運命にあった。実際、事故を免れた者たちが、次々と予期しなかった不慮の事故で次々と死んでいく。結局、いったん死ぬと決められた運命は覆しようがないのか‥‥


ホラー映画というものは、出演者が殺されるんじゃないだろうかとドキドキする楽しさを味わうものだが、「ファイナル・デスティネーション」シリーズでは話を一歩進め、既に出演者が必ず死ぬことを約束している。そのため、死ぬんじゃないかというドキドキ感よりも、出演者がどう殺されるか、いつ死ぬかの方でドキドキさせる。出演者が死ぬことを前もって知っていたら怖くも何ともないんじゃないかとも思えるのだが、これが結構ドキドキもんなのだ。それなりに面白かったから前作もわりと人が入り、「デッドコースター」も作られることになったんだろう。


とにかくこのシリーズでは、「いつ」、「どのように」人が死ぬかが話の焦点だから、今回も張り切って観客の予想を覆すべく、今に来るぞとか、ここだな、と思えるところをできるだけ外そうと試みている。そのうちの幾つかは実際、これまでには見たことのないようなオリジナルの死に方をするので、思わず観客席からも、おおーっ、とか、ああーっ、とかいった、どよめきともため息とも悲鳴ともつかぬ声がもれる。やっぱこれくらいはやってくれないとね。しかし、やはり不思議とこういう怖いという感覚は慣れてくるもんで、最初の方はドキドキしながら見てたのに、後半になると、客観的に見る余裕が出てくる。ジェット・コースターと同じで、怖いのは最初の方だけなのだ。人間の心理というのは不思議だ。


ホラーというジャンルは既に基本的な技は出尽くしており、見る方も一筋縄では行かなくなっているので、現代のホラーでは、特に最後のオチがつけにくい。「キャリー」や「13日の金曜日」のような、安心させておいて最後にあっと驚かすなんて技を今使うと、自らB級であることを証明しているようなものだ。いっそオチなんかない方がいいとも思うのだが、そういうわけにも行かないのだろう。作り手もその点は重々承知して工夫しているのだが、しかし今回のオチは、ぎょっとさせるというよりは、ほとんど笑いオチになってしまった。


元々感情の昂ぶりである恐怖と笑いという現象は、脳科学的には極めて近似的な、ほぼ同種の環境に対する反応であるということをどこかで読んだことがある。怖いのも悲しいのも楽しいのも、すべて一線を超すと泣くか笑うかの同じ反応になってしまうのは、それらが興奮という一つの精神の働きを経由して表面に出てきたものだからだ。ほんのちょっとした精神のろ過作用の働き具合の差で、怯えることもあれば笑うこともある。しかしねえ、このオチは、さすがに「ファイナル・デスティネーション3」はないな。お笑いに行ってしまったからな。ま、わかっていてやっているのはわかるけど。


今回主人公のキンバリーを演じるのは、A. J. クック。同姓のレイチェル・リー・クックとウィノナ・ライダーを足して割ったような感じ。アリ・ラーターがクリア役で唯一「1」と「2」と両方出ている (確か彼女一人しか生き残らなかったから当然か)。警官のトーマスに扮するマイケル・ランデスはジム・カヴィーゼルに印象が似ている。


監督のデイヴィッド・エリスはスタントマン上がりで、いかにもその自分の経験を活かし、とにかく話の辻褄より、とにかくショッキングなシーンの演出に心を砕いたようだ。ま、こちらもそれを期待して見に行っているんだから、充分期待に答えたとは言えるか。特に冒頭のフリーウェイの事故シーンは、ハリウッドでしか撮れないアクションで充分満足させてくれるし、最初の二人が死ぬシーンでは、いつ死ぬか、今か今かとはらはらさせておいて、最後に一瞬すかしといてぐわっと来る。でも、私が一番オリジナリティ高いなと感心したのは、クリスティーナ・リッチ似の彼女が死ぬシーンでありました。


一つ不思議だったのは、前作で一人だけ死を免れて生き残っていたクリアで、彼女は死を身近に引き寄せないために、自ら率先して隔離病棟に入り、外界と接触を断つことで生き永らえている。しかし、これは無理があるよ。どんなに注意していても確実に死が訪れるということがこの作品のポイントかつ醍醐味であり、注意していたら死なずに済むんでは、まったく作品に説得力がなくなってしまう。いずれにしても、だったら彼女は怯えていればいいものを、キンバリーに「あなたは死んでいるのも同じよ」と言われて反発し、颯爽と外界に登場した辺りから、作品は登場人物が死に怯えるホラーというよりも死と対決するアクションになってしまい、まったく怖くはなくなった。その辺もまた、ハリウッド的といえばハリウッド的と言える。







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