1996年公開のコーエン兄弟の「ファーゴ」は、唯一無二のテイストを持つオフ・ビートのクラシック・クライム・ドラマとして名高い。もうちょっときびきびと動けないのか、もうちょっと早口で喋れないのかという登場人物の間で起きる間の抜けた殺人事件は、事件を起こす方も取り締まる方もどこかねじが緩んでて、一度見ると忘れられない印象を残す。
こうも独特のテイストを持っていると、スピンオフやリメイクなぞ到底作るのは無理だろうという気もするが、ところがあに図らんや、それだからこそ挑戦したくなる者は結構いると見えて、実は映画が公開された翌年に、「ザ・ソプラノズ (The Sopranos)」でブレイクする前のイーディ・ファルコ主演で、一度TV化されている。残念ながらパイロットが製作されただけでお蔵入りになったが、意外によくできていると思わせた。それでもシリーズ製作までには至らなかったところが、こういったオフ・ビートの作品の製作の難しさを物語っている。
今回の「ファーゴ」のTV化は、オリジナルが公開されてから既に20年近く経っているということもあり、前回のTV化の時とは少し事情が異なる。オリジナルを見ていない者も多いだろう。実 際私だって、見ながらオリジナルと比較しようとして、そのオリジナルの細部はほとんど覚えていないことに気づいた。これじゃ比較なんてできやしない。製作者側も、たぶんほとんどの視聴者はそうだろうと思っているから、特にオリジナルのリメイクということにはこだわらず、かなり自由に話を膨らませてみたよう だ。
だいたい、オリジナルの登場人物では、犯罪を計画するウィリアム・H・メイシーと、彼を追い詰めるシェリフのフランシス・マクドーマンドの二人の印象こそ強烈だが、私の場合、実はもうこの二人以外はほとんど記憶に残っていない。あとは覚えているのはせいぜい使えないピーター・ストーマーとスティーヴ・ブシェミのペアくらいで、要するにメイシーとマクドーマンドが作品の印象を決定している。特に大きなお腹を抱えて、えっちらおっちらよたよたと、進んでいるというより立ち止まっている時の方が多いという印象を与えるマクドーマンドは、忘れようと思っても忘れられない。
そういう縛りは、今回は特に気にしていないようだ。だいたい、今回メイシーが扮した役を演じるマーティン・フリーマンはともかく、マクドーマンド役のアリソン・トールマンは、妊娠しているわけではない。この違いは大きい。妊娠しているからこそ動きが緩慢になって、速く動かなければならないけど動けないというジレンマが逆に話をドライヴさせていたからだ。だからこそファルコ・ヴァージョンでもファルコはやはり妊娠していた。ただし、ファルコも第1話の最後では出産しており、その後話がどう転んだかは、今となっては定かではない。
今回はトールマンはシングルであり、妊娠もしていない。この差は決定的だ。その代わり夫ではなく、父としてキース・キャラダインが出てきて、やはりなにやら間の抜けた会話をトールマンと交わしたりする。それにマクドーマンド-ファルコこそ役名はマージだが、トールマンははモーリーと、キャラクターの名も違う。要するに、オリジナルのキャラクターをそのまま再登場させているわけではない。オリジナルとは異なるという意識がある。
一方で犯罪を起こす側のフリーマンは、かなりメイシーと印象が似ている。とにかく小心者という印象がそっくりだ。番組ほぼ冒頭で、フリーマンは高校時代のいじめっ子に絡まれ、それから逃げようとして鼻を骨折するのだが、そこんところの展開は虚を突いてなかなかよろしい。その後病院に行って、同様に怪我をしていた殺し屋のマルヴォ (ビリー・ボブ・ソーントン) に出会うのだが、その展開に無理がない。さらにいくら家でも外でも虐げられているとはいえ、ただの小心者で仕返しを考えているわけではないフリーマンが、結果的にマルヴォにいじめっ子の殺害を頼む件りもよくできている。また、メイシーは自分から率先して妻を殺すために殺し屋を雇う (と記憶している) が、今回のフリーマンは妻の殺害を殺し屋に頼むわけではなく、妻の死は別の理由による。その展開も意外でなかなかうまい。
オリジナルとキャラクターが違うといえば、ブシェミとストーマーが受け持っていた殺し屋役を今回ソーントンが担当しているが、これはもう完全に別キャラだ。コメディ的というよりはシリアスに演じているように見えるが、それでもそこはかとなく不気味なおかしさが漂う。
また、第1話の終わりの方では、別の町のシェリフ、ガス (コリン・ハンクス) が登場して話に絡んで来るのだが、ガスとクルマを停められたマルヴォとのやりとりは、コーエン兄弟の「ノー・カントリー(No Country for Old Men)」でハビエル・バルデムが店の主人に強引に賭けをさせた時の理屈にならない理屈を思い出させ、思わずにやりとしてしまう。
とはいえ、全体としての番組の雰囲気は、オリジナルほどオフ・ビートというわけではない。多少癖があるとは言えるが、あの作品全体を覆っていた身体に力の入らない脱力感は、今回はそれほどはない。たぶんシリーズとして考えると、この方がいいんだろうと思う。映画として2時間ならともかく、TVシリーズとして毎回あの脱力演出が続くと、見る方も飽きそうだ。今回は、これはこれで充分成功していると思う。続きが気になるのだ。