Fantastic Mr. Fox


ファンタスティック・ミスター・フォックス  (2009年12月)

ミスター・フォックス (ジョージ・クルーニー) は愛する妻ミセス・フォックス (メリル・ストリープ)、できはそれほどよくないかもしれないが愛する息子のアッシュ (ジェイソン・シュワーツマン)、それに仲間たちに囲まれ、仕合わせな生活を送っていたが、それも長くは続かなかった。元々不良キツネだったミスター・フォックスは、近くのボギス家、バンス家、ビーン家の3農家を襲い、ニワトリやその他の品々を強奪する。それを仲間たちに分配して気分をよくしていたところまではよかったが、3農家は結託してミスター・フォックスをなき者にせんと画策する‥‥


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ジョージ・クルーニー主演の「ザ・メン・フー・ステア・アット・ゴーツ (The Men Who Stare at Goats)」があまりにもクソミソに貶されているので、そこまで言われる作品を見に行こうという気になれず、それでもまだ未練を持っていたりするのだが、一方、そのクルーニーが声の吹き替えで主演しているアニメーション (正確にはストップ・モーション・アニメーション) の「ファンタスティック・ミスター・フォックス」が、今度は結構評がいい。クルーニーは、ついでに言うとさらに次作の「マイレージ、マイライフ (Up in the Air)」がまもなく公開予定で、一気に3本連続だ。しかもそちらの方も結構評判がいい。「ゴーツ」だけがなぜだか酷評されている。


近年私はほとんどこの手のアニメーション系を劇場では見ていないのだが、先々月「ナイン (9)」を見ているので、今年はアニメーションを2本も見ている。1年でアニメーションを2本見るのはかれこれ20年、いや、日本で今はなき板橋東映で「ガンダム」3部作をオールナイトで見た時から数えて、ほぼ30年ぶりくらいなんじゃないか。宮崎アニメですら年間2本も見た記憶はない。


「ミスター・フォックス」はTVで予告編を見ただけで面白そうだと思って劇場に出かけたので、実際に劇場で作品のクレジットを見るまではこれが原作つき、しかもロアルド・ダール原作だとはまったく知らなかった。実際、我々夫婦は最初この映画のタイトルを、なぜだか「ファビュラス・ミスター・フォックス」とカン違いして覚えていた。先頃来米していたポール・マッカートニーの影響だと思う (ビートルズは「ファブ・フォー (ファビュラス・フォー)」ともよく言われる。) しかしこうやって映画化されるくらいだ、「チャーリーとチョコレート工場 (Charlie and the Chocolate Factory)」ほど有名じゃないとは思うが、ダール・ファンの間ではつとに映像化が熱望されていた、というのは大いにあり得る話だ。


もちろん「ミスター・フォックス」のポイントは、これが実写でもCGアニメーションでもなく、一コマずつ人形を動かしながら撮るストップ・モーション・アニメーションで映画化されていることにある。だいたい、この作業が気の遠くなるような忍耐力を必要とするのは言うまでもない。このジャンルで現在最も有名なのは「ウォレスとグルミット (Wallace and Gromit)」だろうが、古くはレイ・ハリーハウゼン、ヤン・シュヴァンクマイエルといった大御所もいた。最近では昨年のアカデミー賞短編アニメーション部門を制したスージー・テンプルトンの「ピーターと狼 (Peter and the Wolf)」もこの手法で撮られている。


今回この難行に挑むのはウェス・アンダーソンで、これまた実際に劇場で見るまで知らなかった。「ダージリン急行 (The Darjeeling Limited)」、「ライフ・アクアティック (The Life Aquatic with Steve Zissou)」同様の脱力キッチュの世界がここでも展開する。どうやら実際に人が演じようがストップ・モーション・アニメーションだろうが、本人の製作姿勢、ひいては作品の感触は変わらないようだ。


主人公ミスター・フォックスは、かつて不良で鳴らしたキツネだったが、今では結婚し妻と息子がいる。しかし不良というのは骨の髄まで染み込んだもので、結婚したからといってその本性が改まるものでもなかった。ミスター・フォックスは小高い丘の上に建つ一軒家 (木) に引っ越し、そこで巷では悪評の高い人間の3農家の家畜や農作物の強奪を企んでいたのだ。


ミスター・フォックスは息子のアッシュ、居候のクリストファーソン、バッジャーやイーゼルらの助けを借りて、無事3農家から戦利品を強奪する。しかしボギス、バンス、ビーンの3農家は結託して仕返しを画策、執拗にミスター・フォックスを追いつめる。間一髪のところで危機を免れたミスター・フォックスだったが、しかし大事な尻尾をとられてしまう。今度は人質にとられたその尻尾を取り返しに、ミスター・フォックスは再度3農家に戦いを挑む‥‥


ミスター・フォックスの声を担当するのがもちろんクルーニーで、声だけでもこういう「オーシャン」みたいな気のおけない悪役とでもいうようなキャラクターがぴったしという印象を受ける。ミセス・フォックスを吹き替えるメリル・ストリープや息子アッシュの ジェイソン・シュワーツマン、あるいはバッジャーのビル・マーレイが、なるほどとは思ってもクルーニーほどどんぴしゃりという気がしないのは、クルーニーの声が癖があるためにすぐわかるからか。クルーニーだけは最初からクルーニーが吹き替えていると知らなくてもすぐわかると思う。他にもウィレム・デフォーやブライアン・コックス、エイドリアン・ブロディなんて有名どころが吹き替えているが、声を聞いただけですぐその子を吹き替えている顔が思い浮かんだのはクルーニーと、ビーンを吹き替えたマイケル・ガンボンだけだ。


ダールの書く話は、子供向けにせよ大人向けにせよ、話の面白さ、展開の妙が興味の中心となっているので、たとえ子供向け作品にせよ、教訓じみた話にはならない。というか、特に子供向け作品の方が、子供が好きそうな話、つまり生理的に下卑ていたり残酷だったり汚い話になりやすい。「チャーリーとチョコレート工場」の、特に悪い子でもない子供たちが被る試練を見てもそのことがよくわかる。


「ミスター・フォックス」ではミスター・フォックスが強奪を企む3農家は、ごうつくだったり傲慢だったり特に善人ではないだろうが、だからといってなんの関係もないミスター・フォックスから襲撃を食らういわれはどこにもない。いわばミスター・フォックスはキツネの習いとして人のものを襲撃するだけで、農家は歴史的にそれに対抗してきたというくらいが対立の理由でしかない。しかし人間とキツネなのだ。それで充分とも言える。なんにしたってキツネが農家を襲撃しないと話が始まらないから襲撃するし、実際それが面白いという、やはり最初から教訓や道徳を説く話にはまったくならないのだった。


「チャーリーとチョコレート工場」もそうだが、ダールの書く話は、お話をせがむ子供を膝の上に乗せて、子供の反応を見ながら即興でどんどん話を組み立てていった、みたいな乗りが多い。ちょっと話がある方向に脱線した時に、最も子供が目を輝かせた脱線話をどんどん展開して話を繋げてみましたという感触が濃厚だ。実際、多くはそうやってできたんじゃないかという気がする。そういう話に教訓やオチはつかないだろう。後で話としてまとめる時に相応の結末を用意するが、それがとってつけたようになるのも当然だ。


実際「ミスター・フォックス」でも、とられた尻尾をとり返しにミスター・フォックスが再度逆襲を試みるという、その辺が一番面白い。本当にミスター・フォックスが尻尾をとり返すことができたのかという結末は子供や人を納得させはするだろうが、正直言ってそんなことどうでもいいと思う。しかし別に特にそれである必要もない尻尾が最も記憶に残っているというその辺の面白さこそが、ダールの面白さなのだと思う。








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