放送局: A&E

プレミア放送日: 4/19/2004 (Mon) 21:00-21:30

製作: ハイブリッド・フィルムス、A&E

製作総指揮: ダニエル・エリアス、デイヴィッド・ハウツ、ナンシー・デュバック、ロバート・シェアナウ

製作: ポー・カチンス、ステイシア・トンプソン、アニー・サンドバーグ

監督: ダニエル・エリアス

音楽: ミュージック・ボックス

出演: チャック・ウィスミラー、メリッサ、ショナ、エミリー、リック・サドラー、ジョン・グリーニー


内容: カリフォルニア州サンディエゴのパウェイ・ベルナルド葬儀社の内情に迫るリアリティ・ショウ。


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死というものが禁忌であり、だからこそ惹かれるものであることは、いつの時代、どの場所でも変わらない。人々に平等に与えられる生よりも、その生を途中で無常にも断ち切られてしまうこともある死は、いわば生よりもドラマティックなものと言える。


その死に最も身近にいる者として考えられるのは、まずは医者、看護婦、殺人課の刑事、検死医、消防士、神父/牧師/お坊さんの類いだろうが、考えてみると、そういう職業の人物がよくTVや映画、小説の主人公になっているのは、ほとんど当然と言えるかもしれない。彼らは死というものを媒介する立場にいるからこそ、ドラマの主人公たりえるのだ。


こういう職種の中で、葬儀屋という職業は少々微妙である。葬儀屋も死に近い場所にいるという点では、上記の他の職業となんら変わるものではない。とこらが、他の職業が、死を防ぐためや、死の原因や理由を探ったり、遺族の面倒を見たりして勤勉に働くという印象が強いのに較べ、葬儀屋は、まず前面に出てこない。他の死に近い職業が前に向かうベクトルを持っているとしたら、死に関して後ろへ後ろへと向かうベクトルを一気に引き受けているのが葬儀屋なのだ。だから彼らは決してでしゃばらず、縁の下の力持ちに徹し、彼ら自体は目立たなければ目立たないほど有能だとされる。


それなのに、検死医を別として、始終死者に触れているという、最も死者に近い非常に特殊な立場にいるのが、葬儀屋なのだ。実際の話、葬儀屋は、遺族よりも死者に近しい存在と言える。死因になんらかの疑問点があるとして解剖に処されることがない限り、死者に最も多く手を触れることになるのは、遺族よりも、葬儀屋で防腐処理や死化粧、時には事故で原形を留めない死体を修復するなどの死体処理を施す、エンボールマーであることは間違いない。


「ファミリー・プロッツ」は、カリフォルニアのほぼ一族経営で営まれているパウェイ・ベルナルド葬儀社にカメラを持ち込み、彼らの仕事ぶりを記録する。恰幅のいいボス、リックを中心に、歳をとってはいるが、元ボクサーでいまだに気性が荒いチャック、チャックの長女メリッサ、次女ショナ、3女エミリー、その他、ジョン、デイヴィッドといった面々が葬儀社をつつがなく切り盛りする様をとらえる。


その中で最も興味深いのが、チーフ・エンボールマーのショナであることは間違いあるまい。死者をいかにも安らかに召されたように見させる技術は、葬儀社にとって、式次第を滞りなく進めることよりも最も重要なことであるはずで、その点、パウェイ・ベルナルド葬儀社は今後も無事仕事を続けていくことができるかは、ショナの腕一つにかかっていると言える。


そのショナは、パウェイ・ベルナルドで最もお喋りでもある。他の者はカメラを向けられても、特に何かをするわけでもないが、ショナだけは、たぶん、一人っきりでいつも死体処理をすることに倦んでいるか、さもなければ、いつも何か自分自身にでも喋ってないとおかしくなってしまいそうな気でもするんだろう、死体処理をしながらのべつ幕なしに喋り続けるのだ。


番組の第一回では、いきなり、墓地での埋葬を社の者が皆忘れていたことにショナが気づく。もう墓地には関係者が揃っているだろうに、棺桶はまだ葬儀社の中だ。全員真っ青になってパニクる中、慌ててチャックが霊柩車を走らせる。さらに、まだ死体処理をまったく施してないのに、死者に会いたいと葬儀社にやってくる遺族、いきなりの停電、チャックとエミリーの親子喧嘩など、今日もパウェイ・ベルナルド葬儀社は、戦争のような一日が始まっては終わるのだった。


しかし、まあ、傍らに死体という特殊なものがなければ、この番組は、ただ、一族経営のある事業をとらえた、どこにでもあるようなリアリティ・ショウかドキュメンタリーに過ぎない。それが、既に物体と化し、感じることも喋ることもできない不在の主人公の存在 (不在?) が、パウェイ・ベルナルドの社員、あるいはパウェイ・ベルナルドに関わる全員に有形無形の影響を及ぼすのだ。一日が終わった後、誰もが仕事のことを忘れようとしているように見え、ショナやエミリー、メリッサが、連れ立って女同士で頻繁に飲みに行っているようなのは、当然のような気がする。


プレミアの最後では、元ボクサーのチャックが、仕事が終わり、近くに住むボクサー志望の少年たちを連れてボクシング・ジムに赴く。彼はその時、防腐処理を行った死体を航空荷物として発送するという仕事もついでにこなすのだが、それは自分の車の後ろに段ボール箱に入れられて積み込まれている。少年たちはぎょっとして苦笑いしつつも、その死体のそばに座らせられてボクシングの練習に向かうのであった。うーむ、なんかシュール。


この番組の収録に関して最も問題となるのは、防腐や修復処理 (エンボールミング) を受ける死体を、実際にどこまで映すことができるかという線引きにあるのは間違いあるまい。死体こそがこの番組の興味の中心となるのは否定できないところであるが、かといって、そればっかり映すのは悪趣味だ。第一、そんなの、遺族の許可が下りるとは到底思えないし、ベイシック・ケーブル・チャンネルにおいては、放送コードというものもある。


一時期、インターネットで、そういうところでバイトをしている女の子が、どのように死体処理をするかを詳らかにしていたホーム・ページがあった。ただそれだけなら構わないと思うのだが、そのページを読むと、きっと関係者や遺族なら、その遺体がどこの誰かわかるに違いないと思われる書き方になっていた。亡くなった者の親や配偶者、子供たちが、どういう風に遺体が扱われているかを大っぴらにされて、気分を害さないわけはあるまい。たぶん、誰か近くにいた人がこのサイトに気づいたために、サイトは廃止に追い込まれたのだろう、しばらくすると、そのサイトはなくなっていた。


亡くなった近しい者が、もう反応も反抗もできないままに腹を開けられ、はらわたをくり抜かれ、防腐処理をされ、口に詰め物をされ、なんてのをTVカメラに映されるのを気にしない遺族というものは、ほとんどないだろう。したがって「ファミリー・プロッツ」でも、実はそここそが興味の焦点ではあるのだが、ショナが実際にエンボールミングを行なっているところを見せるのは、必要最小限の部分に限っている。


死者の顔を見せこそはするが、あとはせいぜいショナが死化粧をするところを見せるくらいで、まあ、規則が厳しいベイシック・ケーブル・チャンネルであることを思えば、このくらいが関の山であろう。それでも、間違いなく死んでいる人間が作業のために台の上に吊られたり、段ボール箱に詰められて何段にも積まれているのを見るのは、ある種の違和感を感じさせ、居心地の悪い思いをせざるを得ない。ほとんど死顔だけとはいえども、それを映すのを許可した遺族も、太っ腹というか、度量があるというか。しかし、死者にお別れを言ってショナに感謝の言葉を告げる遺族は、きっと死者が生きてきた印をTVカメラに収めてもらうことを、死者へのなんらかの弔いという風に感じているんだろうという印象を受けた。


番組第2回では、派手な交通事故で死亡したという老齢の婦人がパウェイ・ベルナルドに運ばれてくる。ほとんど修復のしようがないくらい損傷を受けており、遺体の覆いをとって死者の顔を見たショナは、一目でこんなの修復できないよと洩らす。リックは遺族に電話して、どんなに頑張っても、遺体の顔は遺族の皆が知っている顔には100%は戻らないと伝えなければならない。さもなければ、何も知らない遺族が初めて死者と対面した時、大きなショックを受けてしまうからだ。結局、皆から完全主義者と言われるショナは、なんとかして、一応見られる程度までには顔を修復する。


近年、アメリカのTV番組では、死者というものに対して敷居が低くなってきている。こういった風潮の最初のレールを敷いたのが、ドキュメンタリー専門チャンネルのディスカバリーだ。警察の鑑識や検死官の仕事ぶりを追う一連のドキュメンタリー・シリーズを視聴者に定着させたことが、この風潮に与って力になっているのは間違いないだろう。さらに、もろというわけではないが、そのものずばりのタイトルを持つHBOの「オートプシー (Autopsy)」が現れ、人気を受けてシリーズ化した。


フィクションにおいては、CBSの「CSI」、そしてHBOの「シックス・フィート・アンダー」というドラマの登場が、死者に対する心理的な垣根をさらに低くしたとも言える。さらに今年、イラク戦争時の映像で死体を見せられた者は多いだろう。トリオが放送した「オートプシー (Autopsy)」(HBO番組とは別もの) は、英国産の番組とはいえ、実際の死体解剖の模様を初めてTV中継してしまったという番組だった。


その後にサンダンスが放送した「ア・サーテン・カインド・オブ・デス (A Certain Kind of Death)」は、死者に対する社会という図式をとらえたドキュメンタリーで、当然番組内では何度も死体が映る。最近、普通の死体の映像には驚かなくなってたとはいえ、それでもほとんど腐りかけた本物の死体が画面に映った時には、私もかなり気分が悪くなった。とはいえ、そういう番組が何も問題なく放送される程度に、死体という存在は禁忌ではなくなったとは言える。それにしても、そういう死体にマスクもなしで平気で近づいてチェックなんかしている、わりあい美人の女性検死医なんか見ていると、さすが捜査官ケイ・スカーペッタを生んだ国なんだなと感心してしまう。


A&Eは最近リアリティ・ショウにも力を入れており、空港職員が直面する問題にどう対処するかをとらえる「エアライン (Airline)」も、わりと面白い。スピルバーグの「ターミナル」公開よりも前に、同様の視点のリアリティ・ショウは既に出ていたわけだ。警察調査に焦点を当てた「ザ・ファースト48 (The First 48)」も先頃始まった。既に人気番組として定着している「コールド・ケース・ファイルズ (Cold Case Files)」は、迷宮入りした事件を意味する「コールド・ケース」という新しい単語を人口に膾炙させ、CBSの人気刑事ドラマ「コールド・ケース」の語源にもなっている。なにもネットワークのリアリティ・ショウばかりが注目番組というわけではない。





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ファミリー・プロッツ   ★★1/2

 
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